2章 講堂は地獄の戦場と化した

第11話 死神の寿命時計が予言する天使コーイチの命

 リコーダーのメロディが奏でられる午前中の教室。

 笛のうるわしい音色が流れるが、音楽の授業中ではない。

 そもそもまだ一時限目の英語が終わったばかり。皆それぞれが休み時間を各自の流儀にしたがって愉しみ、まったりと過ごしていた。


 喧騒はあったが、顔を顰めるほどではなかった。それもこれもリコーダーの生演奏が耳に快いおかげで騒ぐ輩が少なかったからだ。

 深みのある音の色彩がみんなの心を慰める。音楽が空気を浄化し、穏やかですがすがしい清涼な風となって教室を吹き過ぎてゆく。


 演奏に使われるリコーダーだが、音楽のカリキュラムで使われるオーソドックスな学校指定の縦笛ではなかった。バロックリコーダーと呼ばれる骨董品的な木製の笛を用い、ルネサンス時代の聖なる音階が古式ゆかしいメロディとなって蘇り、馥郁と流れだす。


 演奏者は三人。 

 彼女らは山科三姉妹という実際に血縁関係にある三つ子であり、天使の鼓笛隊を想わせる少女たちだった。

 いや実際のところ、天使の鼓笛隊というのは、ただの譬えではない。彼女ら三人とも序列としては下級三隊に属する正真正銘の天使だったから。


 美しい音楽を奏でながらもハーメルン三姉妹と陰口を叩かれる彼女たち。もちろん三姉妹が望んで、その名称を名乗ったわけではない。

 ハーメルンの笛吹き男の伝説とは、子供たちを誘拐し、人々を不安と恐怖の坩堝に叩き込んだことで知られる禍々しいストーリーだ。それと同列になぞらえられるのは名誉どころか、あからさまな蔑視とさえいえた。

 天使の属性が命じるままに良かれと信じ、音楽によって聖なる光と浄化をもたらし続けろ山科三姉妹は、いわれなき差別を受け、クラスでより孤立を深め、教室の片隅で寂しく縦笛を吹くしかなかった。


 ボランティアとして自発的に演奏される天界の音楽に聴き惚れながら、ユキはコーイチの溌剌とした活動をさっきから追い続けていた。


 彼は忙しそうだ。


 或る人には数学の解法を教授し、そしてまた或る女子には恋文の技術について講義を行い、はたまた母親との不和に悩む別のある少女が垂れながす愚痴の聞き役に徹し、耳を傾けていた。

 兎も角、寸暇を惜しんで動き回っている。コーイチの十八番である過度なまでのお節介ぶりを炸裂させ、リア充というわけでもないのに、常にクラスの中心にいた。


 同じ天使なのに山科三姉妹とは異なり、こうもクラスでの扱われ方に差があるのはコーチがみんなから愛されているから?


 だが、坂田がいみじくも指摘した通り、その姿はただのパシリ。天使の便利屋さんにすぎない。

 ユキは知っている。購買にレアなパンを買いに行かされたり、誰かがこぼしたジュースを掃除するため雑巾を持って走り回るコーイチの姿を。

 ユキはコーイチを見ながら溜め息をついた。  


 ともあれ。


 ハルピュイアとの空中戦があったが、ぎりぎりで遅刻を免れた。始業前で時間がなくて詳しい話が聴けなかったけれど、ユキはじかにコーイチからそんな事情を聴いたのだ。

 一緒にいた坂田はといえば、さっきからずっとバテ気味だ。青い顔をして、ぐったりと机に突っ伏している。

 きっと、ハルピュイアを間近で見てビビったのだろう。花林をいじった罰だ。いい気味だ、とユキは思う。


 それにしても学校にくると、とたんにコーイチは遠い存在になってしまう。もっとコーイチのそばにいたいユキなのに。


 そういえば、今朝のことを思い出すと猛烈に腹立たしくもなってくる。

 コーイチの不注意で、ユキはあわや死にかけたのだ。文句だって百も二百も言ってやりたい。

 だけど、まぁ、コーイチの近くにいると、そんなハプニングがしゅっちゅうあって、どっか麻痺してしまっている。気がつくと結局、コーイチを許してしまっているユキがいて、そんな目に遭わされてたって、やっぱりコーイチのことが好きなのだ。

 けど彼は、ユキのそんな思いを知ってか知らずか、あんまり一緒にいてくれない。ふたりに与えられた時間は限られているというのに。


 聖なる笛の調べを耳にしながら、ユキは、またもや気だるげな溜め息をつく。いまは左から二列目の席で穏やかに女子のグループと談笑するコーイチを横眼で見ながら……。


「ふふ。相変わらず黄昏ているな、森野。やっぱ真田のことが気になるか?」

 不気味で、ひんやりとした低い女の声がした。

 改めて確認しておくが、森野というのはユキの姓だ。フルネームは森野雪という。かたやコーイチの姓名は、真田光一だ。お忘れなく。


 そしてユキの後ろの席に人が居ないことをいいことに、中村由梨が浅くお尻を机の上にのっけた。

「なぁんだ、ユリッぺか」

「そのニックネーム、やだッ!」


 つやめきながら滑り落ちるストレートの黒髪と、白く透明な肌。さっきまで冷たかった瞳の少女が、とたんにお茶目なしかめっ面に変化する。黒髪乙女が意外と幼く可愛らしい女子の一面をキャピキャピと晒けだす、そんな瞬間だった。


「じゃ、なんて呼べばいいのよ?」

「“死神ゆり子の明日、死んで花咲くこともある”、ってのはどう?」


「売れない演歌歌手がやってるラジオ番組みたいになるけど、いい?」

「うー。それは困る」

 そう、中村由梨ことユリッぺは死神なのだ。


 見た眼はロングのストレートヘアがご自慢の水もしたたる美少女なのだが、根がお笑い体質なのだろう。自分では不気味でネクラな死神少女を演じているつもりが、ついうっかりメッキが剥がれまくってご陽気な天然ボケ娘になってしまうのが玉にキズだ。


 だけど、今朝は少し疲れているようす。むろん毎晩、ユリッぺの受け持ち地区で老若男女ふくめて何人もの亡くなった人たちがいて、彼女は魂の付添人として冥府へと導いてやらねばならない。それが死神としての仕事だった。当然、寝不足の日もあるだろう。


「そんなことはどーでもいい。花林と朝、トラブったらしいな」

「まぁね」


 ユキの脳裏で朝のあのシーンがフラッシュバックする。

 風に巻き上げられ、危機一髪のユキだった。その時、タイミングもバッチリ、天狗先生があらわれてユキを救ってくれたのだ。

 さらにケンタウロス少女の花林がいなければ、死んでいたかも、と思うと背筋が凍る。


 騎乗していたケンタウロス少女から降りると、ふたりは再び睨みあう恰好なった。喧嘩していたことを、ふたりとも突然、思い出したのだ。

 そそくさとばかり現場にのこされたコーイチの鞄と、踏み潰された坂田のリュックを拾い上げると、ユキは花林を残し、ぶーぶー文句を垂れながら登校したのだった。


 何はともあれ怖かった。あの時はマジで怖かったので、ついうっかり泣きじゃくって花林の背中にむしゃぶりつき、濡れた顔を押し付けてしまった。その挙句にあろうことか、「ありがとう」などとお礼まで口走ってしまうという始末。


「んで、森野はついつい花林に心を許してしまった、と。ウチらは花林と大喧嘩してるにもかかわらず……」

 ポツリとユリッぺこと死神の小林由梨が漏らす。


 ユキの机からが少し離れていたが、教室にいるケンタウロス少女に視線を向けた。

 逢沢花林は相も変わらず余人を寄せつけぬオーラを放ちつつ、窓際のそばにひとりぼっちで佇み、外の景色を眺めている。もしかしたら、元彼氏が眠るプールに心を奪われていたのかもしれない。

 教室では、いつも孤独なケンタウロス少女。 中学では、いつだって三人一緒につるんで遊んでいたというのに……。


 ユリッぺも察したのだろう。彼女もまた、ケンタウロス少女に視線を投げた。

「あの子の彼氏も、かつては天使だったよね。時間がないのはあんたもおんなじだよ、森野」

「死神の寿命時計は嘘をつけないからね。わかってるよ。それにしても」

 ユキは何度目かの大袈裟な溜め息をつく。


 死神は予言した。コーイチの死が近づいていることを。すぐには死なないが、せいぜいもってあと一年以内の寿命なのだという。

 

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