第10話 新人いびり⑩

「根津さん、大丈夫かな?」

「さぁ、突然泡を噴いて倒れちゃいましたからびっくりしましたけど、悪い病気じゃないといいですね」


 アズマが白々しく心配を装ってそう吐けば、清田は「そうだね」と頷く。

 あのあとアズマが資料室から出て根津が倒れたと声かけすると、救急車が呼ばれ彼は搬送された。

 ぴくりとも動かない根津に事務所内は騒然となったが、倒れた人物が人物なだけに、どんな反応したらいいのかといった感じでそれぞれの反応はまちまちであった。

 みんな顔に出さないながらも見えてるオーラが喜色が多いのは、日頃の行いというべきか。

 だがただ一人、唖然とした表情で見送る田町は根津を見送ったあと、アズマのほうに視線を送る。

 明らかに憤怒のような色をしたオーラは、彼がアズマを疑っていることを表していた。

 だが、アズマは気づかないフリをして、そのまま業務のほうに戻る。

 しかし、田町は追従するようにアズマのところに来ると、威嚇するようにアズマのデスクにダンっとわざと大きな音を立てて手をつき、上からアズマを見下ろした。


「吾妻くん、もしかしてだけどキミ、根津くんに何かした?」

「まさか。私が彼をどうこうできると思いますか?」


 まさか見た目がヒョロくて気弱そうなアズマがそんな返しをするとは思ってもみなかったのだろう。

 アズマの答えに返答できないのか、言葉に詰まった様子の田町。


「これからコンペ優勝のために頑張りましょうね」

「あ、あぁ……」


 それ以上何も言えずに戻っていく田町。

 根津がいないと何もできないタイプか、とアズマは思いながら根津の妨害がない事務所内は実に清々しいな、と思いながら作業に取り掛かるのだった。



 ◇



「はい、どうぞ」

「ありがとう、アガツマ」


 アガツマから資料をもらい目を通す。

 そこには森本と田町の関係について書かれていた。


「ふぅん、義父と婿の関係、ねぇ。ってすごいね、この関係性でよく紹介された勤め先で不倫なんて大それたことできるなぁ。ある意味肝が据わっているのか」

「何も考えてないバカなんでしょ。前職でも本人は優秀だってホラ吹いてたみたいだし。実際は大手企業に勤めてたけど、セクハラパワハラやってコンプラ違反で閑職だったみたい」


 アガツマに用意された資料を見る限りでも田町は前職でもそれはそれは悪行をしてきたようだった。

 お気に入りの新入社員にアプローチしてダメだった場合はしつこくいびり倒して無理矢理関係を持ったり、鬱に追い込んで退職に追い込んだり。

 しかも一度や二度では済まなく、その積み重ねで閑職に追いやられたというのは相当まずい状況だろう。

 裁判一歩手前までいったと書いてあるところを見ると、内々で相当金を積んだようだった。

 まぁ、そのタイミングで森本からこのカラスマ工業に来ないかと声が掛かったのは本人的には運が良かったのかもしれないが。


(まさに生ける貧乏神といったところか)


「うーん、こういう人間の気持ちってよくわからないなぁ。何を考えたら同じ過ちを繰り返すのか」

「こういうのは学習しなくていいのよ、アズマ」

「そうは言ってもねぇ。相手についてはよく知っておきたいと思わない?」

「そうかもしれないけど、アズマが学習してもいいことなさそうだと思うわよ。人間に愛想尽かすだけよ」

「そういうもんかなぁ」


 実際、人間が欲にまみれた存在だというのはよく理解しているつもりだ。

 だからこそ稀にいる善良な人間というのが貴重であり、その魂の煌めきをわけてもらうがためにアズマは悪しき魂の駆逐をしているのだが。

 こうも次々と反吐が出るような行いをする人間ばかり見ているといい加減うんざりしてくるのも事実だ。


「あ、そうそう、はいこれ根津の魂」


 空間に裂け目を入れ、ゴソゴソと亜空間から根津の魂を引っ張り出してくると、アズマはアガツマに差し出す。

 根津の魂は時間が経ったからか、茨の棘が纏わりついているかのように見るからに刺々しかった。

 色もグチャグチャに混ぜ合わせた絵の具のようにまだらで、匂いもどぶネズミのように腐った水に湿ったような臭いがする。

 だが、アガツマはそれを見るなり嬉々として受け取る。


「あら、全部もらっていいの?」

「どうぞ。アガツマは頑張ってくれたからね」

「本当? 随分と大盤振る舞いね。では、遠慮なく」


 アガツマはいつもの綺麗な顔から一変、口をがぱっと大きく開けるとそのままその魂をぱくんと一口で飲み込んだ。

 すると、ほう、と誰もが見惚れてしまうほどうっとりした表情を浮かべるアガツマ。

 それほど満足してもらえたならよかった、とアズマも満足げだ。


「うーん、このクセのある味。堪んない!」

「それは良かった。って、おやアガツマ……ツノが出てるよ」

「あらいけない、私ったら」


 ニョキっと生えた二本の立派なツノ。

 禍々しくうねり、虹色に輝くそれはまるで芸術作品のように美しかった。

 だが、アズマが指摘するなり、そのツノを引っ込めるアガツマ。

 見るたびに器用なものだな、とアズマは感心した。


「鬼のツノって本当に綺麗だよねぇ。ずっと出せてたらいいのに」

「現代でこんなもの出したまんまだったら討伐されちゃうでしょう。私はいい鬼だし有能な鬼なのだから、不用意に本性は表さないの」

「うーん、残念」

「そんなに見たいならいつでもベッドの上で見せてあげるわよ?」

「あー、それは大丈夫。間に合ってるから」

「本当、そういうとこ!」

「うん? どういうとこ?」

「もういい!」


(さっきまで機嫌がよかったはずなのに、難しいなぁ)


 ふんふんと突然怒りだすアガツマを不思議に思いながら、本当感情というのは変則的で面白いものだと感心するのだった。

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