生きる者 【6】

 何故巣の中にまだ残っている雄が居るのか、今になって姿を見せたのか、そんな事を考える余裕はなかった。

 アズリがその存在に気づいて一瞬の間も無く、枯れ草から雄の体が飛び出たからだ。

 このまま突進し、矛の様な口を突き刺すとしたら、直線上に居るのは……カナリエだ。

「左!!ダニルさん!!!」

 獲物の奇声に掻き消され無いように、今まで出した事のない大声をアズリは上げた。


 ダニルの名を出したのは咄嗟の事だった。まだ獲物の眼球を狙い続ける小銃班の後ろを通り越して突進してくる雄は、もう既にカナリエまで五メートルも無いという所まで迫っていた。勿論、獲物に集中し、引き金を引こうとしているカナリエも気づいていない様子で逃げる素ぶりもない。もうカナリエの一番近くで一番早く助けられる距離に居るのはダニルしか居ない。


 アズリの声がかかると、増幅機の様子を見ていたダニルがハッと顔を上げる。ダニルの視界に突進する雄の姿が映ったのだろう、一瞬驚いた後、舌打ちと共に立ち上がる。そして勢い良く突進してくる雄に向かって飛びついた。


 本当に間一髪だった。


 カナリエからほんの一メートル手前でダニルは矛の様なその口を両手で押さえ込み、体当たりを決めたのだ。

 ダニルのお陰で最悪の事態は免れたと思ったが、そう易々と幸運は訪れない。全ての行動があと一秒早ければ良かったのだ。そう、これはタイミングが悪かった。

 体全体を使い突進する雄を止めたダニルだが、その雄の突進力は強く、ダニルの体とカナリエの体がぶつかり更に雄の口先が銃の先端にぶつかった。


 引き金を引いた瞬間にこの事態だ。口先が銃の先端に当たった事で銃身がズレた。「きゃ!」と言うカナリエの悲鳴と共に発射してしまい、狙いが逸れる。気体レーザーの被弾した先は心臓では無く、ガモニルルの左肩だった。

 ネオイット溶液を気体状にし、飛距離や威力を調整してから放つ青色の気体レーザーは、左肩を削り取った直後煙の様に飛散する。そして、ガモニルルの腕がまるで大木が切り倒され様な音を出して転がった。


 そこで漸く周囲がこの事態に気づいた。


 雄の両腕はダニルを抱く様に背中に回り、鋭い爪を突き立てている。幸いな事にこの雄は通常の雄よりも一回り小さく、身体の大きなダガニルとそう大差ない。ダニルは組んだままカナリエから遠ざけ、地面に押し付けながら腰に装備していたナイフで何度も腹部や腕を突き刺している。


 小銃隊にはダニルを助けに行く余裕が無かった。

 片腕をもぎ取られたという事は同時に銛も一丁外れたという事。ガモニルルの重心は左前に傾き、大きく長い口も下方まで届く様になる。

 狙って振り回すその長い口が一人二人と殴り飛ばし小銃班を翻弄させている。残り一つの眼球を潰してしまわなければ、殴り飛ばされるだけでは無く、噛み砕かれる被害も出るだろう。


 カテガレートの怒号の様な指示の元、被害が拡大しないように、牽制の意味も込めて小銃班は必死に銃を打ち続ける。

 口先を振り回す速度は目で追えば避けられる程度、とは言え、それを避けながら目標を狙い撃つなんて事はそう何度も出来る訳ではない。また一人、アズリの目の前で殴り飛ばされた。


 そんな光景に恐怖を抱きつつもアズリは全力で走り出した。無意識に自分がすべき事を感じ取り、無我夢中だった。

 アズリが懸命に走り、辿り着いた先は増幅安定機だった。

 ダニル含め皆手が離せない。カナリエの銃の核とも言えるコレを操作する為、咄嗟に自分がそこに向かったのだ。

 ガモニルルの目が見えていてもいなくても、心臓さえ潰してしまえば最悪の事態は免れる。そう判断した。


「カナ姐ッ! どうすればいい?!」

 着いてすぐ、声をかけると、カナリエは頭を押さえながらパイルレーザーの横で起き上がり、そして驚きながらアズリを見た。

 ダニルとぶつかった際、押し飛ばされて頭を打ったのだろう、額に血が垂れている。

 カナリエは、ダニルそして小銃班の順に目線をやり、状況を把握すると「レバーを一旦下まで下げた後、右の目盛りをゼロまで戻してッ!」とアズリに向き直し、叫んだ。


 アズリは邪魔に感じた手袋を口で噛んで、勢いよく脱いだ。そして言われた通りレバーを下げ、目盛りを一気に回す。

「もう調整なんてやってらんないわッ!」

 カナリエはすぐさま銃に跨がりグリップを握る。そしてカテガレートの方に顔を向け、「撃つわよッ!」と叫ぶ。

 カナリエの声に反応したカテガレートは頷き、それを確認したカナリエは今度はアズリに向けて叫んだ。

「アズリッ! レバーと目盛りを目一杯上げて!」

「はいッ」と返事をしてアズリは即、行動に移す。


 増幅機はアズリの内臓に響く程の重低音を上げながら振動し始めた。中央の強化ガラスから内部が見える。青い煙の様な光が螺旋を描きながら荒々しく揺らめく。その青い光の渦は美しく、自分をどこか遠い所へ吸い込んでしまいそうな程だった。

 アズリは一瞬その青い光に目を奪われたが、ハッとカナリエに向き直る。

 カナリエはグリップを握り、狙いを定めている。


 周囲の被害は既に五名にも及び、未だ銃を撃ち続けているのはカテガレートと他二名のみだ。皆、殴り飛ばされただけで死亡者はいない様だったが、当たり所が悪ければ骨くらいは確実に折れているだろう。

 小銃班がガモニルルの口がぶつかる距離でこんな状況でも懸命に銃を打ち続けるのは自分達を囮にし、カナリエを狙わせない様にする為だ。限界まで口先を前に押し出せばカナリエに届きそうな距離なのだから自分達がカナリエの居る数メートル後方まで下がる訳にはいかないとの判断なのだろう。


 また一人殴り飛ばされた。

 未だカナリエは必死に狙いを定めている。

 前屈みのガモニルルの胸部を撃ち抜く為には非常に角度が悪く、更には振り回す頭部が邪魔だ。

 カナリエの後ろから見ているアズリにもこの状況の最悪さが伝わった。

 そんな折、不意にガモニルルの残った目がこちらを捉えた。とうとうカナリエとアズリの存在を認識したのだ。


 ガモニルルはググッと首を後方に引き始めた。左右に振り回していた今までとは違う行動。今度は届くか届かないかのギリギリの距離にいるカナリエに攻撃が届くよう、口の先端で突き刺そうとしているのだろう。大きいが故に、刺さる事は無いだろうが、当たれば無事では済まない。


――カナ姐ッ! もう無理ッ! 逃げて!


 そうアズリは思い、カナリエの手を引いてでも逃げようと立ち上がった。

 しかし、ガモニルルは急に奇声を上げ、攻撃をやめた。

 首を引き、正面を向いて一瞬止まったガモニルルの隙をカテガレートが見逃す筈もない。その一瞬の隙に残りの眼球を狙い撃ち抜いたのだ。

 体を仰け反らせ、奇声を上げるガモニルルは正面を向き、胸部を晒している。勿論カナリエもこのチャンスを逃す筈はない。銃口を胸部に向け一気に引き金を引いた。

 気体レーザーは真っ直ぐ胸部を撃ち抜く。見事に心臓を貫いたであろうその一撃は一度目よりも若干細く、そして長かった。


 気体レーザーは貫通後、そのまま飛散せず直進する。そして洞内後方まで届き、オルホエイと船掘商会の銛班のいる場所、その更に後ろの洞壁に被弾した。そこに直径二十センチ程の穴が空いた。同時にガモニルルが地響きを立てながら床に転がった。

 その振動もあったからだろう、レーザーの被弾で出来た穴周辺からミシリと嫌な音が聞こえた。

「離れろッ!」

 オルホエイが大呼する。

 後方に居た全銛班は一目散にアズリ達が居る方へ走り出した。


 左右後方に居た銛隊への落石は酷く無さそうだが、レーザーの被弾した洞壁に近いオルホエイ達の居る場所には大小構わず落石が起きている。

「うおおお」と叫び声を上げ、まるで大量の動物が走り抜ける様な落石音と共に、銛を放置して散開した。


 細かい石粉が舞う。

 その石粉は周囲に煙の様に押し寄せアズリはゲホゲホと咳き込んだ。少し目に入った様で痛い。しかし目を擦りつつも皆が無事である事を確かめる為に目を凝らす。

「お前ら無事か?」

 アズリと同じく軽く咳き込みつつもオルホエイが声を上げた。すると各々に返事が返ってきた。

 少なくとも銛班の皆は無事の様だった。

「すまねぇ」

 カテガレートがそう言うと「ごめんなさい」とカナリエもオルホエイに謝罪する。

「いや、こっちは大丈夫だ。それより、殴り飛ばされた奴らの方が心配だ。早く安全な所まで連れて行って手当しろ。ダニルお前もだ。酷いぞ。」


 アズリは周囲を見渡す。小銃班の面々は腕を抑える者、脇腹を押さえる者、足を引きずる者、それぞれに打撲か骨折か何かしらの怪我を負っている。中には額から血を流し、肩を支えられながら立っている者までいる。とはいえ意識はあるようで、幸いにも脊椎や頚椎を損傷していそうな重傷者は居なかった。しかし、ダニルの怪我は酷い。

 雄のガモニルルは内臓が飛び出るくらいに腹部を滅多刺しにされ、腕は片方切り取られている。その横で荒い息をたてながら立ちすくむダニルの背中は無数の引っ掻き傷で真っ赤に染まっていた。血の出方からすると傷は見た目よりも深いのかもしれない。


 カナリエがすぐにダニルの元へ駆け寄った。アズリも次いで駆け寄る。

「ごめんねダニル。助かったわ。ああ……そんな。背中……酷いわ。早く手当しないと!」

「ダニルさん!ごめんなさい。もっと早く私が気づいていたらよかったのに」

 カナリエとアズリが矢継ぎ早に言葉をかけるとダニルは無表情のまま、カナリエの肩に手を乗せた。

「無事ならそれで良い。お前に何かあれば元も子もないからな。それとアズリ……」

 ダニルはカナリエの肩から手を離し、今度はアズリの頭に手を乗せる。

「助かった。声をかけて貰わなければ、気がつかなかったかもしれん。即座に増幅機に向かったのにも感謝する」

 ダニルはポンポンとアズリの頭を優しく叩いた。

「いえ、あの、咄嗟だったから」

「その咄嗟の判断が良かった。本当に助かった」

「……」

 酷い怪我まで負って尚、優しい言葉をかけるダニルにアズリは何も言えず、じっとダニルの目を見つめた。


 こんな事態になる事を阻止出来なかった自責の念。それがアズリの中で沸々を沸き起こる。

 ダニルはそんなアズリの気持ちに気が付いたのだろう、一瞬困った顔をしたが不意にアズリの背後に目線を送った。

 アズリもその視線に導かれるように後ろを振り向く。

 そこにはオルホエイとカテガレートが並んで立っていた。

 そしてカテガレートが「名前は……アズリ……だったな。後で状況の説明を頼む」と声をかけてきた。

 ある意味、この状況を一番把握してるのはアズリなのは確かだ。

「はい」

 とアズリが返事をすると、カテガレートは軽く頷いた。 

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