16 その先へ
第四層というのが一体どれくらいの深さにあるのか。そして、この『煙突』はどこまで下りていくものなのか――
まさに煙突のようなものの中を下りていく間、フユはそのことに思いをはせた。しかし、それはすぐに終わりを迎える。
一〇メートルも下りただろうか。すぐにトンネルのような空間へと出る。トンネルの高さは五メートルほどだろうか。
「何もないよ」
先に下りていたヘイゼルが抑揚のない声でそう言った。確かに、トンネルと言っても前も後ろも壁でふさがれていて、ただ円柱を横に倒したような空間になっているだけだった。
照明は無い。しかし壁がほのかに光を帯びていて中は暗いというわけではない。
フユはこの壁に見覚えがあった。イザヨ・クレアの『屋敷』の壁だ。
フユの後から下りてきたファランヴェールが、前方にある円形の壁に近づき、また手を当てる。そして手を離したが、壁にはファランヴェールの手形の跡が光を帯びて残っていた。
と、音もなくその壁がスライドして開く。その向こう側に、下へと続く階段が現れた。それはかなり急な勾配がついていて、ゆるやかに左へと曲がっているため、先は見えない。
「浄水プラントの周囲を回るように設置されている非常階段です」
ファランヴェールがフユの方へと振り返る。表情は硬い。
「第四層まで続いてる?」
フユの問いかけに、ファランヴェールは首を振った。
「第三層まで。その先は封鎖されていて、道はありません」
「じゃあ、どうやって?」
「道なき道を」
まるで謎めいたような答え。フユはそれに頷き、階段へと歩を進めようとして、ヘイゼルに掴まれた。
「もういいでしょ、フユ、戻ろう。こんな訳の分からない場所まで来て、あの女に何の用があるの。だいたいアイツだってフユにとって良くない存在にしか思えない」
あの女、アイツ――クレアの屋敷で出会った、カグヤ・コートライトのことを、ヘイゼルは吐き捨てるようにそう呼んだ。
ヘイゼルがカグヤに会うのは、後にも先にもあの一回きりだったはずで、なぜそこまでカグヤを毛嫌いするのか、フユにはよく分からなかった。確かに初めて会うや否やヘイゼルはカグヤにとびかかっていったのだが、その理由もヘイゼルはただ『なんか、あれ、危険なものっぽいから』と言うだけである。
「お父さんのことをよく知っているのは、もうクレア博士かあのカグヤって人しかいない。お父さんのこと、聞きたいんだ」
「今じゃなくていいでしょ」
「この夏休みを逃したら、もう来年までチャンスがないんだよ、ヘイゼル。分かって」
「分からない。だいたい、会えるかどうかも分かんないし、もっと別の場所で会えるかもしれないし! そもそも、『エイダー首席様』もフユをこんなところまで連れてきて、どういうつもりだよ。いいかげん、ここがなんなのか、教えたらどうだよ!」
不満が爆発したのだろう。ヘイゼルはその矛先をファランヴェールへと向けた。ファランヴェールが、どこか悲し気でそれでいて懐かしげな表情でヘイゼルを見返す。
「ここにはかつて高い『塔』が建っていました。それは数百年前にネオアースに移住してきた人間が過酷な環境を耐え抜くための心のよりどころ。元々、人間が地球から移住するために使った『星間宇宙船』だったものです。人々はこの場所を中心に開発を進めながらも、いつもそれを見上げ、かつて住んでいた地球を懐かしみました」
「そんな話、聞いたことないよ」
メディアにも、学校の教科書にも出てこない話。フユにとってにわかには信じられないものだ。
ファランヴェールは一度だけ目をつむると、しばらく何かを考えた後、ゆっくりと目を開いた。
その目、その瞳――威厳や慈しみといったそれまで見たことのある色とは、全く違っている。
「フユ。戻りますか? それとも、進みますか?」
遥か高みから人間を見つめる、人ならざる存在の目。それこそが本来のバイオロイドの目なのではないか。フユにはそう思える。
それと同時に、もう目の前に『ファル』はいない――そうとも思った。
「僕は、行くよ」
フユがヘイゼルの手を取る。
「フユ!」
「ついてきてくれるよね、ヘイゼル」
フユがヘイゼルの手を引っ張る。
「ずるい」
ヘイゼルはそう言いながらも、結局フユにひかれるままに、歩き出した。
「案内して。ファランヴェール」
フユの言葉に、ファランヴェールが頷く。
「今から百年ほど前、あることが原因で、人間たちは今のガランダ・シティへと生活の中心を移しました。ガランダが今の姿になったのはそれからのことです」
フユたちの先を歩み始めたファランヴェールは、階段を下りながら、まるで独り言のように語り始めた。
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