29 再会

 自分を見つめるエメラルドグリーンの瞳に、フユはまるで吸い込まれてしまうような錯覚を覚えた。


 瞳の中にはいくつもの光が、あるものは規則正しく、あるものは恣意的に瞬いている。しかしそれらは全体として見ると、どこか調和を保った協働のように思えた。


「貴女は、人間では」


 フユの言葉がそこで途切れる。カグヤ・コートライトは穏やかな、それでいて冷やかさを感じる笑みをフユに向けた。


「貴方は、『人間とは何か』と私に尋ねました。それに対する答えを、私はいくつも持っています。ただ、それらは究極的にはある一つの真実に収斂します。私は私。貴方は貴方。それ以外の何者でもありません。実存は本質に先立つのです」


 フユには、カグヤの言葉の意味がよく分かった。それは福音のようにも、呪文のようにも聞こえ、フユの心にまとわりついてくる。


 カグヤがそろりと壁の方へ後ずさる。


「あ、あの、僕はどうやって帰れば。ここはどこですか」


 いや、それをいうのならば、カグヤは一体どこへ行こうとしているのだろうか。部屋の中には外へ出る扉の類が見当たらない。カグヤは何もない壁の方へと移動しているのだ。


 しかしフユには、カグヤがここから『退出』しようとしているのが分かった。


「ここがどこなのか、ここから出ればわかるでしょう。そしてどうやって帰るかは、貴方のバイオロイドたちが教えてくれます」

「たち? ヘイゼルも来るんですか?」


 フユの問いかけに、カグヤはゆっくりと頷いた。


 なぜそれが分かるのか、フユには疑問ではなかった。バイオロイドたち――この女性は、まるで何もかも知っているようである。いや、何もかも知っているのだろう。


 ただその彼女をしても、父親がヘイゼルに組み込んだパーソナル・インプリンティングの技術的な正体は分からないという。

 フユは改めて、いや生まれて初めてかもしれない、アキト・リオンディという存在に興味を抱いた。父親ではなく、人間としてのアキトに。


「あの、僕の父は、一体」


 そのフユの言葉は、しかしヒュンという風を切るような音と、その後に続く意味をなさない叫びによってかき消された。


 フユがその声のほうを振り向く。一糸まとわぬ姿で、灰色の長い髪を振り乱しながら、ヘイゼルがカグヤへと飛び掛かっていった。


「ヘイゼル、待て!」


 フユの鋭い声が飛んだが、ヘイゼルの動作は止まらない。ヘイゼルがカグヤを掴もうとした、その瞬間、カグヤは着ていたムーンストーン色のローブを翻す。


 ヘイゼルが取り押さえたものは、中身のなくなった、そのローブだけであった。


「えっ、なんで」


 ヘイゼルは、起こったことが信じられず、辺りを見回している。カグヤの体はまるで元々からそこに存在していなかったかのように消えてしまっていた。


「ヘイゼル」


 フユが呼びかける。はっとして、ヘイゼルがフユを見た。


「フユ、良かった!」


 手にしていたローブを放り出し、ヘイゼルはフユへと抱き着いた。


「ヘイゼル、どうやってここに。というか、なぜ裸なんだい」


 ヘイゼルを受け止めながら、フユが尋ねる。しかしそれに応えたのはヘイゼルではなかった。


「それを説明する前に、とりあえずここから出ましょう、マスター」


 声のした方を見ると、それまで何もないように見えていた壁の一部に四角形の穴が開いていて、そこに白髪のバイオロイド、ファランヴェールが立っている。


「ファルも。来てくれたんだね」


 と、手が伸びてきて、フユの顔を強引に元に戻してしまった。


「あんなやつ、相手にしないで、フユ」


 ヘイゼルが不機嫌そうにフユを見ている。


「ヘイゼル、それはできない。ファルも僕のエイダーだ」


 フユの答えに、ヘイゼルは一層不機嫌な顔になった。


「ほら、外に出よう、ヘイゼル」

「嫌だ」

「ヘイゼル、僕を困らせないで」

「じゃあ、フユ。キスしてよ」

「ちょ、いや、あのねヘイゼル。ファルがいるんだし」

「だから。あいつの前で」

「ヘイゼル」

「あいつとは寝たのに、ボクとはキスもできないんだ」


 このような場所でするべきやり取りではない。しかしフユは、そのヘイゼルの言葉に、一瞬息が詰まった。


「やっぱり、そうなんだ」


 一体なぜヘイゼルがそう勘付いたのかは分からない。しかしフユは己の反応がヘイゼルに確信を持たしてしまったことを悟る。


 しかし焦りはしなかった。いずれ分かること。分からせなければならないことだった。


「僕がどんなことを、例えばファランヴェールと何をしても、僕を信じる。そう約束したよね、ヘイゼル」

「うん、信じてる。だから、フユもボクにキスできるよね。あいつのまえでも」


 フユを見つめるヘイゼルの瞳は、懇願でも哀願でもなく、確信に満ちている。それを確認したフユは、突然短い『鼻歌』を歌った。


「もちろんです、マスター」


 それにファランヴェールが答える。


「あいつと何しゃべったの」


 ヘイゼルの抗議にフユは「それは秘密だよ」と答え、そのままヘイゼルの唇を自分の唇でふさいだ。 

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