16 流れる旋律
結局フユはポーターの中に一人残される形となった。いや、正確に言うならばもう一人、ポーターの操縦席にパイロットがいるのだが、操縦席とフユのいる後部スペースとは分厚い隔壁で仕切られていて、行き来することはできない。
パイロットはヘフナー・ザナンという三十手前の男である。パイロットとしてはまだ若いが、腕は確かで――とは言っても、普段のポーター操縦は自動で行われることが多いのだが――対テロ災害課程の生徒たちを運ぶ専属パイロットに抜擢されたのだ。
――ヘフナーさんなら何か分かるかも。
操縦室にも機体の状態をモニターする様々な機器が備え付けられているはずである。フユはそう思いつき、操縦室へのコールボタンを押した。
「どうした、坊やたち」
あっけらかんとした、年齢よりもさらに若く聞こえる明るい声が室内スピーカーに響き渡る。さほど年を取っていないヘフナーだったが、彼はフユたちの保護者を気取っていて、フユたちをいつも『坊や』と呼んでいた。
「ヘフナーさん、どうもGPSの調子が悪いようなのですが、そっちはどうですか。何か変わったことはないですか」
「あぁ、GPSは死んでるぜ。うんともすんとも言わねぇなぁ。ま、おいらがいるんだ、自動操縦がなくたってポーターは飛ばせるさ。移動か?」
「いえ、そうではなくて、原因は何か分かりますか」
「確かに宇宙線レベルは強いが、どうだろ、GPSがおしゃかになるほどじゃないな。衛星は何基も飛んでるんだし、それが全部いっぺんに吹っ飛んだんでないなら、そうだな」
そこで音声が一旦途切れる。ヘフナーは何かを考えているようだ。
「それとも?」
我慢できずに、フユが聞き返す。
「いや、本部からの情報も届いてない。高周波帯の通信が死んでる」
『本部』とは、クエンレン救助隊の本部のことであり、もちろんそれはクエンレン教導学校の敷地内にある。今フユたちがいる場所から二〇キロほど離れているが通常ならば通信圏内だ。
「でも宇宙線レベルはそれほどと」
「ああ。エイダーとは通信できるのか?」
「できます」
「なら、高周波帯の通信が
ヘフナーはきっと、単に頭に浮かんだ可能性を口にしただけなのだろう。その口調は極めて軽いものであった。
「誰に、ですか」
「そりゃ」
そこで再び音声が途切れる。
戦闘と言うならいざ知らず、災害救助の妨害をすることに何の意味があるだろうか。誰かにとって意味があるとすれば――
「解放戦線、ですか?」
「んー、こんな郊外でか? シティの中心じゃないぞ、ここは」
フユたちがいる現場で今なお燃えているビルは登録上は『居住用』であるが、今のところ住人がいたという報告はない。ラウレが口にしたように、イザヨ・クレアの研究所――きっと、秘密裡のものなのだろう――だとしても、今のところ被災者がいたという報告はない。無人だった可能性が高いのだ。
現場の活動を妨害しその災害の継続を望む者がいたとして、それがバイオロイド解放戦線だったとしても、その目的がフユには今ひとつ理解できなかった。しかしヘフナーの次の言葉が、フユをハッとさせる。
「それこそ、消火隊か救助隊を足止めしたいか、それとも攻撃しようとでも思わない限り、無意味だな」
そんなことは考えられない――ヘフナーの口調はそう言ったものだった。
そもそも、バイオロイド解放戦線と言う組織の目的がいまいちよく分からない。彼らは「バイオロイドを人間から解放する」ことを謳ってはいたが、カルディナの言う通り、彼らの活動によってバイオロイド達はどんどんと『制約』を課せられて行っているのだ。彼らの活動はその目的とは逆の効果を生み出している。
「バイオロイド解放戦線の目的って、なんなのですかね」
「そんなもん、おいらが知るかよ」
半分笑った様子で、ヘフナーの答えが返ってくる。
バイオロイドの解放とは全く別のことではないか――そう言おうとして、しかしフユは言葉を飲み込んだ。ヘフナーには興味のない話だろう。
フユは、もしかしたらそのテロ組織に命を狙われているかもしれなかった。だとしたら、今の状況はあまり良いものとは言えない。あまり考えたくはないが、今まさにフユは命を狙われているかもしれないのだ。
以前はそのような警戒心は無かった。しかし今は違う。ヘイゼルが早く合流してくれればよいのだが、今のところその連絡がない。いや、そもそも本部と連絡ができない状況であるなら、ヘイゼルが学校を出たという知らせも来るわけがなく、ヘイゼル本人からの通信を待つしかない。
フユはファランヴェールに通信しようと、ヘッドセットのマイクを指で持つ。と、そのとき、ヘッドセットから少し物悲し気な短調の旋律が聞こえた。
「フユ、そこは危ない。ポーターから出て。急いで」
その歌は、ヘイゼルのものだった。
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