35 突き刺さったナイフ
ヘイゼルを呼ぶフユの声は、地下街にあふれる悲鳴と怒号に溶けていった。フユにできることと言えば、ヘイゼルが消えた角を呆然と見つめること以外には、腕の中で痛みをこらえてすすり泣く女の子を抱きしめることしかない。
ファランヴェールは、ただ黙々とトリアージを続けている。重傷者を搬送する手が一つ減ったことを気にする素振りは全く見せなかった。まるでヘイゼルの行動が想定内のことだったかのようだ。
再び無力感に襲われたフユを救ったのは、程なく現れたエイダー救助隊だった。
彼らはすぐさま、ファランヴェールの作業を引き継ぐ形で救護活動に取り掛かる。早くも、あちらこちらで緑色の髪をしたバイオロイド――セル・タイプのエイダーによる救急処置も始まった。
フユはそれを見て、ほっと安堵の息をつく。
逆立ったような赤い髪をしたバイオロイドが、すっと前に出てきた。バイオロイドにしては背が高く、精悍な顔つきをしている。男性型バイオロイドなのだろう。
ファランヴェールとは既知の間柄のようで、いくつか言葉を交わしていたが、横に並ぶとやはりファランヴェールの方が高い。
こうしてみると、ファランヴェールはやはり他のバイオロイドとは違う特徴を有している――背の高さだけでなく、その顔も青年と呼ぶべきものであって、人間で言えば二十代前半だろうか。一方、救助隊のリーダーは十代後半に見える。ただバイオロイドはほとんど成長というものをしないため、本当の年齢、つまり製作されてからの年数は、見た目では分からない。
あの時、フユの目の前に立ち、自爆していったバイオロイドもそれは同じだろう……
そう考えた瞬間、得も言われぬ恐怖がフユを襲った。
自身の命、そして負傷者の命、そしてヘイゼルの行動。爆発の後、フユはそれらだけを考えていた。
しかし今は、他のことを考える余裕ができている。それはつまり、今まで意識の外へと追いやっていた恐怖を感じる余裕もあるということでもあるのだ。
ファランヴェールと話をしているバイオロイド、そして救護活動をしている何体ものバイオロイド、その区別なく、あらゆるバイオロイドに対する恐怖が襲い来る。
バイオロイドは、人間の命を守ることを最優先として『遺伝子』に刻み込まれているはずである。にもかかわらず、そのバイオロイドが、フユの目の前で、大勢の人間のいる中で、あのような行為に及んだのだ。
フユの脳裏に、あのバイオロイドの姿が浮かぶ。
ヘイゼルと同じ灰色の髪の毛はヘイゼルよりも短いものだったが、手入れがほとんどされていなかったからだろうか、薄汚れ、あちこちに癖を作っていた。そして、光を失った虚ろな目……その目が、走り去る前に見せたヘイゼルの瞳と重なる。
自分の意識とは無関係に、フユの体が震えた。両手で必死にその震えを抑えようとするが、どうにもならない。
「大丈夫か、フユ」
ファランヴェールが、フユの異変に気付き声を掛ける。ファランヴェールの姿は他のバイオロイドとは違う特徴を持つがゆえに、今のフユにとっては、唯一無二の救いであるように見えた。
フユは、ファランヴェールの声にこたえようとしたのだが、赤い髪のバイオロイドと目が合ってしまい、口が固まったように動かなくなる。
白と緑の二色マント。その裏に、彼は一体何を隠しているのだろう……
ファランヴェールが傍により、フユをそっと抱きしめた。フユはその腕に身を委ね、ファランヴェールの胸に顔をうずめる。
「すまない、彼はかなりショックを受けているようだ。クエンレンに連れて帰り、診てもらうことにする」
ファランヴェールは、赤毛のバイオロイドにそう言うと、さらに二三の言葉を交わした後、フユを連れて爆破現場を離れた。
「ごめんなさい」
かすれた声で、フユがつぶやく。ファランヴェールは何も言わず、もう一度フユを抱きしめた。
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