第8話 理想と現実

 二人の視線の先で、先ほどの緑色の髪をしたバイオロイドが再び高台乗りにチャレンジする。しかし今度もまた、壁にぶつかり落ちてしまった。


「フユ、私がさっき、ヘイゼルがマーケットの『返品』だったと言ったのを覚えているかな」


 ファランヴェールが、スクリーンを見ながら、フユにそう尋ねた。


「え、ええ」

「実は、ヘイゼルだけではない。この学校に所属しているバイオロイドのほとんどは、マーケットでの『売れ残り』か『返品された』ものなのだよ。だからこの学校にいるバイオロイドは、『普通レベル』にある者すら全体の半数に満たない。『優秀なバイオロイド』となると、数体いるかいないかだ。ただ、この者たちはその中でも特別でね。この学校に所属するバイオロイドは七二体だが、その中でも最も訓練成績の悪い者たちが集まったのが、この第一八班なのだよ」


 それを聞いて、フユはなるほどと思う一方で、なぜファランヴェールが真っ先にこの者たちの訓練を自分に見せたのか、疑問に思う。しかし口からは、別の質問がついて出た。


「なぜ、そんな状況なのですか。この学校がマーケットで不利な扱いをされているとか」


 スクリーンでは、今度はやや長めの青い髪をしたバイオロイドが障害物にチャレンジしている。高台を越え、さほど軽やかな動きではないが、壁登りを始めた。しかし、動きだけなら、先ほどの赤毛のバイオロイドの方が良さそうだ。


「確かに、優秀な業績を上げている養成学校には、優秀なバイオロイドを優先的に選択する権利が与えられている。しかしそれは数体程度の枠だ。この学校にも優秀なバイオロイドをもっと連れてこようと思えば、できなくはない。だが、そうしないのが理事長の方針でね」


 ファランヴェールの言葉に、フユは更なる疑問を感じ横を見た。


「なぜ、ですか」


 ファランヴェールがフユの顔を見て表情を崩した。そして小声で笑いだす。何か変なことを言ったのかとフユは不安になったが、笑った後のファランヴェールの表情は、どこか寂し気に見えた。


「いや、いや、申し訳なかった。昔、君のように、私を質問攻めにした人間がいてね。その子のことを思い出してしまった」


 ファランヴェールがまたスクリーンへと視線を戻す。


「迷惑、でしたか」

「いや、その逆だ。とても純真で、純粋な心の持ち主だった。眩しいくらいにね」


 ファランヴェールにとって、その思い出はとても大切なものなのだろう。フユは『その子は今』と訊こうとしたが、慌てて言葉を飲みこんだ。ファランヴェールの横顔は、フユの質問を拒絶するような雰囲気を宿していた。

 次の言葉が見つからず、フユは少し黙り込んでしまう。それを察知したかのように、ファランヴェールは話題を元に戻した。


「どんなバイオロイドにも、エイダーになるチャンスを。どんな人間にも、コンダクターになるチャンスを。これが理事長の考えだ。だから毎年、どの学校にも選ばれなかったバイオロイドをマーケットから連れてくるのだよ。その分、この養成学校から輩出するエイダーの実績はお世辞にもいいものとは言えない。実績がなければ、優秀な生徒も集まらない。この学校のレベルが高くないのは、そう言うことだ」


 ファランヴェールの口調に、ネガティヴなものは感じない。そのことを悲観しているわけでも、批判しているわけでも無いのだろう。


「立派な方針だと思います」


 フユは思ったことを率直に口に出した。


「世間では、『補助金目当ての姑息な金稼ぎ』と陰口をたたかれていても、かな」

「例えそうであっても、結果的に救われるものがいるのなら」


 どちらかと言えば意地悪なファランヴェールの返しにも、フユはしっかりした声で応じる。


「そうか」


 ファランヴェールは、どこか満足そうな顔を浮かべながら、ただそうとだけ答えた。

 青い髪のバイオロイドが、何度も壁を往復しながら登っていく。一度に登る距離が短すぎる為、延々と壁の間を往復しているようにしか見えない。

 顔は上を向いている。何か様子をうかがっているように見えたが、その内徐々に下へと降り始め、また何度か往復をした後、とうとう地面に降りてしまった。

 傍で見ていたトレーナーが頭を抱えたが、そのバイオロイドは一度だけ頭を下げ、スタートへと戻っていった。

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