第一話 海辺の別荘
八月十五日 木曜日 天気 快晴 午前十一時頃
その日は見事な真夏日よりだったという。雲一つないことはもちろん、気温は39度を記録した。熱中症に注意、こまめな水分補給など、朝のニュースはそればかりだった。
数十年前までは、これほどの猛暑は珍しいとされていたという。その時代を生きていた私の祖父は「地球は寒かった」と、ガガーリンのような台詞を言っていたのを思い出した。
勤務日のサラリーマンや家で過ごしている人にとっては、天気が良くてもただの熱い一日。しかし、彼らにとっては今日ほど海日よりなことはない。
「海だ~」
千葉県某所の海沿いの車道を、一台の車が駆け抜けていく。中古車ではあるが、丁寧に赤く塗装されているので古さはあまり感じられない。
助手席に上席している茶髪の若い女性が、先ほどから興奮状態だった。彼女の左側には、はるか先まで群青色の海が広がっているからだ。太陽に照り付けられている砂浜が、景色にいいアクセントを施している。
それに加えて、天も一面青空のため、彼女はいつも以上に開放的になっていた。
意気揚々としている彼女の名前は比嘉希恵。むらのある茶髪に派手目の化粧をした女子大生だ。
「車内ではしゃぐなよ」
運転席に座っている焼けた肌の男が注意した。彼は比嘉の恋人で車の所有者でもある灰城健。
サングラスをかけて、耳には黒薔薇の形をしたピアスをつけている。今どきの若者といった印象だ。
「健、せっかく海に来たんだからもっとテンション上げようよ!」
「うるせぇ。運転で疲れてんだ」
彼らは東京からここまで遊びに来ている。運転は唯一免許と車を持っている灰城の仕事だ。よく運転しているとはいえ、まだ二十歳で免許を取ってから一年弱だ。長時間の運転は体にこたえているようだ。
「ごめんね。運転してもらっちゃって。今年も電車にしようかなって思ったんだけど、せっかくだから、と思って」
比嘉の後ろに座っている新垣友美が申し訳なさそうにしている。艶のある肌をしており黒髪ポニーテイルと、清楚感ただよう女性だ。
着ている服も青に近いパステルカラーのワンピースを着ており、それを一層際立てている。
毎年夏になると彼らはここへ来るのだが、以前は免許持ちがいなかったので車ではなく電車で訪れていた。
「気にすんなって。俺がむかついてんのは、希恵だけだからよ」
前を見ながら、首だけ助手席に向かってクイっと動かした。
「なによ。はしゃがないともったいないでしょ」
「あーもう、隣でガンガン喋るな」
話を聞いた限りだと、比嘉希恵と灰城健は幸せいっぱいな恋人同士というよりは、熱も冷め始めてきた夫婦のようだ。二年以上も交際しているようで、お互いの嫌な部分もある程度理解して関係を続けているのだろう。
「ほんと仲がいいね、二人は」
「腐れ縁だよ」
冗談交じりに灰城が話したのは、後部座席に座っている山井誠だ。ぼさぼさとした髪で服も無地のシャツで地味さがぬぐえないが、顔は整っており美形だった。草食系美男子といったところか。
「お、見えてきたぞ」
灰城の言葉を聞くと、全員が目の前の目的地に視線をやった。小高い斜面の上にある立派な一軒家だった。決して綺麗ではなかったが、海に囲まれたこの土地では、少しぐらい汚れがある方が哀愁漂ってマッチしている。
この家は新垣友美が所有している別荘だった。といっても、購入したのは彼女の祖父だ。生前そこで暮らしていたが、亡くなった後は溺愛していた孫に所有権を渡した。
彼女の両親や、親戚は亡くなった後はほとんど訪れていない。なので、新垣はその若さで自分の別荘を持っているということになっていた。夏になると、友人たちと共に泊りがけで遊びにくるのが恒例となっている。
辺りにスーパーやコンビニはほとんどないが、代わりに先ほどから比嘉希恵が興奮していた海がすぐそこだ。海でめいいっぱい遊んでも、すぐに疲れを癒すことができるといった具合だ。
「よし、到着だ」
別荘の駐車場に車を止めた直後、灰城は深いため息をついた。これから海へ繰り出すというのに、すでに心身共に疲れが現れていた。
「お疲れ」
それに気がついた山井誠が、灰城の肩を軽く叩いた。それに続いて「お疲れ様」と新垣も声をかけた。
「さんきゅ」
その言葉で長い時間運転したかいがあったなと、少し感じることができた。しかし、すぐにその気持ちは消え去ってしまう。
「疲れた~」
隣ではしゃいでいただけの比嘉が、あろうことか疲れたと言ってしまったのだ。これは私からしてもいただけない台詞だ。一言でいいから、山井たちのようにお礼を言うべきだ。
「……」
これに対して文句はいわず、どちらかというと呆れている様子だった。また深いため息をつくと、灰城は車内から出ていく。
「荷物おろそっか。それで、ちょっと休憩したら海にいこっ」
一応、別荘の主と言うこともあって指揮をとるのは新垣だった。
「はいはーい」
「りょうかい」
各々返事をすると、車内を出てトランクへと向かった。
一行は二泊三日を予定しており、普通ならキャリーケースを持って出かけてもおかしくない。しかし、トランクに入っている荷物はそれほど多くは見受けられない。普通車のトランクでも余裕をもって入れられる量だ。
ボストンバッグが二つに、リュックサックと小さめのキャリーケースが一つ置いてある。それと、クーラーボックスも一つだけしまわれていた。これがこのなかで一番幅をとっているかもしれない。
バッグは新垣と山井ので、リュックは灰城のだ。キャリーケースは比嘉ので、クーラーボックスは山井が持ってきたものだ。
中身は着替えがほとんどだ。別荘にはタオルやら歯ブラシなど細かいものは置いてあり、美容品などを持って行かない男子たちは着替えがあれば十分だった。
灰城に関しては、去年訪れた時に持って帰るのが面倒くさいと言って、Tシャツ類を置いてきていたのでリュックでことたりるようだ。
逆に比嘉は化粧品などが大量にはいっているのか、毎年キャリーケースで参加している。新垣も軽くは化粧をするが、別荘にほとんど置いてあるので荷物はそれほどではなかった。
「どんだけでかいんだよ、このスイカ」
灰城が重そうにクーラーボックスを地面へ下した。重量があるのか、地面に置いた際に鈍い音がした。
「立派なの貰ったからね」
「あとで食べよっか」
新垣がボックスを開いて中身を確認した。綺麗な縁をした縞模様の大玉スイカが氷漬けされて入っている。山井が親戚から貰ったものだ。
「スイカ、うまそ~」
「スイカはあとにして、荷物運ぶぞ」
一瞬魅力的な形をしたスイカに目を奪われた一同だったが、灰城の一言で我に返った。
このスイカは氷を追加してもう少し冷やしてから食べることにしたようだ。冷やしていたとはいえ、トランクで運んだのが心配になったようだ。
荷物を持った四人は、別荘へさっそく入っていく。鍵は新垣が持っていた。
ほとんど手入れされていない割には、家の中は綺麗さが保たれていた。壁は白で統一されており、扉などに使われている木材の色が心地いデザインになっている。床はフローリングで和室はなかった。
玄関から廊下を進んだ先には、大勢が一斉にはいっても窮屈ではないほど広いリビングと、機材が整ったキッチンがある。一階にはもう一つ客間のような部屋がありリビングとは別にテレビなどが配置されていた。あとは、トイレと風呂場も一階にあるようだ。
いったんリビングにあるソファで休憩をしたいところだが、荷物を部屋に置いてくるのが先なようだ。彼らが寝泊まりする各部屋は、玄関のすぐ近くにある階段を登った二階だ。
山井だけはクーラーボックスをキッチンへ持っていき、他三人は二階へ向かっていった。
「この家に来るのも三回目か」
彼らは同じ大学に通う三年生で、去年と一昨年の夏に訪れていた。他に利用する人がいないので、別荘には各々の部屋が割り振りされている。彼らの歳で夏に別荘に行くなど、羨ましい限りだ。
二十九歳になってしまったわたしは、家の家賃を払うのでせいいっぱいだというのに。
二階の廊下を中心に、左右に二つずつ合計四部屋という作りのようだ。右側の手前が比嘉でその奥が灰城。逆サイドの手前が新垣、その奥が山井になっていた。部屋準は最初に来た際にじゃんけんで決めたそうだ。
どこも同じ広さで優劣はないように思えるが、一つだけ他の部屋とは違う場所がある。それは、灰城の部屋だ。他の部屋はベッドとタンス、小さな机と椅子があるだけで、収納スペースは一か所だけ。
誰かが住んでいるわけではないので、家具は最小限だ。ホテルなどの一室に近い印象だ。
灰城の部屋も基本的には一緒なのだが、収納スペースが異常に多かった。生前、新垣の祖父が物置に使っていた部屋だそうだ。処分するのも気が引けるということで、釣り竿やゴルフバッグなどの道具が大量に入っている。
にもかかわらず、部屋の広さは他の部屋と変わりはないので、窮屈この上ない。灰城はじゃんけんに負けて、致し方なくここで過ごしていた。
灰城が来てからはバーべーキュー道具や海で遊ぶ用のビーチボール、そして着替えなどがさらに増えてさらに狭くなっている。
各々部屋に荷物を置いて、少ししたら海に行くので水着に着替えるようだ。もう三回目と会って、いちいち予定を確認せずともスムーズに行動できるようだ。
別荘からは海は目と鼻の先なので、水着で出かけても何ら違和感はない。さすがに女性たちは恥ずかしさや日焼け対策のため、パーカーなどを羽織るようだ。
着替えが終わり少し休憩をとった四人は、さっそく夏のビーチへ繰り出していった。
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