ノーゲーム・ノーライフ

榎宮祐/MF文庫J編集部

プロローグ

 ──『都市伝説』。

 世にささやかれる星の数にも届くそれらは、一種の『願望』である。


 ──例えばそれは、『人類は月に行っていない』という都市伝説。

 ──例えばそれは、ドル紙幣に隠されたフリーメーソンの陰謀。

 ──例えばそれは、フィラデルフィア計画による時間移動実験。

 千代田線核シェルター説、エリア51、ロズウェル事件に、エトセトラ──


 まいきよにいとまがないこれらの都市伝説を眺めれば、明確な法則性が見えてくる。

 すなわち……『そうだったら面白いのに』という『願望』によって構成される。

 火のないところに煙は立たぬという。

 だが尾ひれがつくと、しまいには魚より肥大化して伝聞する『うわさ』の性質を考えればこれら都市伝説の形成される過程も見えてくるというものだ。

 つまるところ、

 身もふたもなく言えば、ということだ。

 だが別段それは、責めるにも不思議に思うにもあたわない。

 人は古来より、『偶然』より『必然』を好んできたもので。

 そも、だという、事実より。

 と、本能的、経験則的に思いたがるように。

 世界はこんとんではなく、秩序によって構成されていて。

 後ろで糸を引く誰かを想像することで、不条理かつ、理不尽な世界に、意味をいだす。

 ……少なくとも、せめてそうあって欲しいと願う。

 故に都市伝説もまた、おおむねそんな切実な『願望』から生まれるといえる。


 ──さて。

 そんな天上を照らすほどの、数多あまたの『都市伝説』の中に。

『事実だが都市伝説とされている』ものが含まれているのは、あまり知られていない。

 ──誤解なきよう、前記した都市伝説達が真実であると言うつもりはない。

 発生した原理が異なる都市伝説が存在する、ということだ。


 ──例えばそれは、あまりに非現実的過ぎる『うわさ』が、『都市伝説』化した事例だ。


 そんな『』がここに一つ。

 インターネット上で、まことしやかにささやかれる『  くうはく』というゲーマーの噂だ。

 いわく──二八〇を超えるゲームのオンラインランキングで、不倒の記録を打ちたて。

 世界ランクの頂点を総ナメにしているプレイヤー名が〝空欄〟のゲーマーがいる、と。

「そんなはずはない」とお思いだろうか。

 まさしくそう、誰もが思った。

 そうして至った仮説は、単純だった。


 当のゲーム開発スタッフが、身元が割れないようランキングに『空白入力』したのがいつしかブームになり、様式美となったもので、実在はしていないプレイヤーであると──。


 だが奇妙なことに、対戦したことがあるという者は跡を絶たない。

 曰く……無敵。

 曰く……グランドマスターすら破ったチェスプログラムを完封した。

 曰く……常軌を逸したプレイスタイルであり手を読むことが出来ない。

 曰く……ツールアシスト、チートコードを使っても負かされた。

 曰く……曰く……曰く──。


 そんな『』に少しでも興味を持った者は、更に探りを入れる。

 なに……話は簡単だからだ。

 コンシューマーゲームやパソコンゲーム、ソーシャルゲームのネットランキングで1位を取っているのなら、そのゲーマーのアカウントは当然存在しているはずなのだ。

 存在しているなら、実績を閲覧することも当然出来るはずだ。

 だがそんな者がいるはずもなく──。


 ──と、鼻で笑って調べれば──それがわなである。

 なら『  くうはく』名義のユーザーは間違いなくどのゲーム機、どのSNSにも確かにアカウントとして存在しており、まただれでもその実績を閲覧出来るそこに並ぶのは。

 文字通り『無数』と表現されるべき数の実績トロフイーと。

 であるからだ。

 ──そうしてなぞは更に深まり。

 事実があるにもかかわらず『』は逆に非現実味を帯びていく。

『敗北実績を消しているハッカーである』

『ハイレベルプレイヤーが誘われるゲーマーグループがある』──などなどと。

 こうして新たな『』が生まれていくわけだ。


 ──だがこの場合『  くうはく』という、うわさを生み出した本人にも責任があるだろう。

 何故なら彼はアカウントを有し、発言の場を与えられているにもかかわらず。

 一言も発さず交流を持つこともなく。

 一切情報の発信も行わないためかろうじて日本人だということ以外すべてが謎なのだ。

 素顔を知る者がいない──それが都市伝説化を加速させる要因でもある。

 ──なので。

 ──紹介しよう。


 コレが、紛れも無く。

 二八〇を超えるゲームで世界ランキングの頂点を飾り続け。

 破られることのない記録を今なお打ち立て続ける伝説のゲーマー。

  くうはく』──その素顔である────っ!


   ■■■


「………ぁー……死ぬ死ぬ……あ、死んだ……ちょっとぉ……早くリザってぇ~」

「……ズルズル……足でマウス…二つ、は、無理あった……」

「いいから早く、リザリザぁ──つかズルイぞ妹よっ! こっちはもう三日何も食べてないのになに一人優雅にカップめんなんか食ってんの、しかも戦闘中に!」

「……にぃも、食べる……? カロリーメイトとか…」

「カロリーメイトなんてブルジョアの飯、だれが食うか。つか、はやくリザれって!」

「……ズズッ……ん、はい」

 シュヴァァァ……キュリンっ!

「お。あいよーさんきゅ~……つか、今何時?」

「……えと……まだ、……」

「朝八時を夜中とは、ざんしんな表現だな妹よ、で、何日の?」

「……さぁ……一、二──四つめの、カップめん……だから、四日、目?」

「いやいや妹よ、じゃなくてだな。何月の何日よ」

「……ニートの……にぃに、関係…ある、の?」

「あるだろっ! ネトゲのイベントの開催日とかランク大会とかっ!」

 ──と、ネットゲームに興じる一組の男女。

 部屋の中で視線も合わさず会話する二人。

 部屋は──十六畳ほどの部屋だろうか。中々に広い。

 だが無数のゲーム機と、一人四台──計八台のパソコンが接続された配線は、近代芸術を思わせる複雑さで床をい、開封されたゲームパッケージと、『兵糧』と彼らが呼ぶカップ麵やペットボトルが散乱したそこに、本来の広さを感じさせる余地は見受けられない。

 ゲーマーらしく反応速度を優先させたLEDディスプレイが放つ淡い光と。

 とっくに昇った太陽が遮光カーテンから落とす光だけがぼんやり照らす部屋で。

 二人は言う。


「……にぃ、就職……しないの?」

「──おまえこそ今日も学校、いかねぇの?」

「……」

「……」

 以後、二人の間に会話が交わされることはない。


 兄──そら。十八歳・無職・どうてい・非モテ・コミュニケーション障害・ゲーム廃人。

 典型的引きこもりを思わせるジーパンTシャツ、そしてボサボサの黒い髪の青年。

 妹──しろ。十一歳・不登校・友達無し・いじめられっ子・対人恐怖症・ゲーム廃人。

 血のつながりを疑うように兄とは対照的に真っ白い、だが手入れされていない様子の長い髪が顔を隠し、転校したその日以来、家の外で着たことはない小学校のセーラー服の少女。

 それが『  くうはく』──すなわち『空と白』というゲーマーの正体である。


 ──と。

 かくこのように、知らないままにしておくのも。

 夢があっていいもまた、存在するのである。


   ■■■


 ──さて、ここまで『都市伝説』が形成される過程を解説してきたわけだが。

 つまるところ、それは人々の『願望』であるとは、前記した通りだ。

 この世界はこんとんであり。

 必然などなく。

 偶然にだけ満ちていて。

 理不尽で。

 不条理で。

 意味などありはしない。

 それに気づいた者、認めたくない者が、少しでも世界を面白いものであればと。

 切実な願いから生まれるのが即ち──『』なのだ。


 ──では、ここで一つ。

 そんなつまらない現実を少しだけ、面白くする手伝いをしよう。

 即ち────『』を提供するとしよう。

──その行為に差し当たり、として。またとして。

──こんな書き出しで、はじめてみようと思う。


──『こんなうわさをきいたことがあるだろうか──』と。


 あまりにゲームが上手すぎる者の元には、ある日、メールが届くという。

 メールの本文には、なぞめいた言葉と、への『URL招待状』だけがある。

 そのゲームをクリアすると────


   ■■■


「……も、むり……ちょっと、ねる」

「ちょ、待て! 今お前にオチられたら回復担当が──」

「……にぃなら、出来る」

「理論上はそうですね! 今、両手で操作してる二キャラに、お前が操作放棄した二キャラを二足で操作すればね!」

「………ふぁい、と」

「待ってっ いや待って下さいしろさん! あなたが寝ちゃうとみんな──つか主におれ一人が死んじゃう!────うおぉぉぉぉおやったろーじゃねぇかぁ!」

 妹が積み上げたカップめんの空容器が五つを数えたころ

 すなわち五日目の徹夜の、そんな兄妹のやり取りが部屋に響く。

 そんな兄の悲痛な、だが覚悟の叫びをに、ゲーム機をまくらに寝ようとする妹の耳に。

 ──テロンッ、と。

 パソコンから新着メールを告げる音が届く。

「……にぃ、メール」

「四画面四キャラ操作してる兄ちゃんに何を要求してるか知らんが、そんな余裕ねぇっ」

 両手両足で、器用に四つのマウスを操作し。

 一人四人パーティーを操りふんじんの活躍を見せる兄は余裕なさげにそう答える。

「つかどうせ広告メールだろほっとけ!」

「……友達……から、かも?」

「──だれの?」

「……にぃ、の」

「はは、おかしいな、いとしい妹に胸をえぐられる皮肉を放たれた気がする」

「……しろの……って、言わない、理由……察して…欲しい」

「じゃあやっぱ広告メールだろーが。つかお前、寝るなら寝ろよっ! 寝ないなら手伝えぇぇぇぇっ! あ、あぁっ 死ぬ、死ぬっ!」

 兄──そら

 繰り返すが──十八歳・無職・どうてい・非モテ・コミュ障・ゲーム廃人。

 自慢ではないが、彼女はおろか、友達すらいないおのれに届くメール候補に「友人」などというカテゴリーはあろうはずもなく、その説は却下される。

 もっとも、それは妹──しろも同じらしかったが。

「……うぅ……めんど、くさい」

 だが白は、眠気に手放しそうになる意識を振り絞って、起き上がる。

 ただの広告メールなら問題ない。

 だが『新しいゲームの広告メール』なら、無視する訳にはいかないからだ。

「……にぃ、タブPC……どこ」

「三時方向左から二番目の山の上から四個目のエロゲの下ッ ぐおぉ足りそぉッ!」

 もんにあえぐ兄を無視して、言われた通りの場所をあさる白──発見。

 ヒキコモリとニートが、タブレットPCを何に使うのか、疑問に思われるだろうか?

 しかしそれは愚問と言わざるを得ない。

 もちろん──ゲーム用だ。

 だが、この兄妹に限って言えば別の使い方もしている。

 無数のゲームのため、無数のアカウント、メールアドレスを持っている二人だが、基本的にゲーム専用機となっているパソコンにかわってこの端末で、30以上あるメールアカウントを同期し、メールを閲覧している。

 効率主義と呼ぼうか。

 はたまたアホと呼ぶべきか。

「……音はテロン……3番メインアドレスの着信音……これ、かな?」

 異様な記憶力を発揮してメールをあっさり発掘する白。

 と──どうやら本当に一人で四キャラ、リアルタイム戦闘で操って、討伐に成功したらしき兄の勝利のほうこうを背に、メールをチェックする。

 ──【新着一件──件名:『  』達へ】

「………?」

 こく、と小首をかしげる妹。

  くうはく』──すなわち「空と白ふたり」に届くメールはさして珍しくはない。

 対戦依頼、取材依頼、挑発的な挑戦状──いくらでもあるのだが、これは。

「……にぃ」

「なにかな? 寝るといって兄ちゃん一人にゲームをほうり出して、結局寝てない上に兄ちゃん一人に物理的な縛りプレイさせた、いとしいちく妹よ」

「……これ……」

 兄の皮肉など聞こえていないかのように、画面に映るメールを兄に見せる。

「うん?──なんだこれ」

 兄もそのメールの特殊性に気づいたのか。

「セーブよーし、ドロップ確認よーし」

 間違いなく、確実にセーブされたのを確認して、五日ぶりに画面を閉じ。

 パソコンからメーラーにアクセスする。そしていぶかしげに。


「……何で『  くうはく』がだって知ってんだ」


 ──確かに、ネット上で空白複数人説があるのは兄も知るところだった。

 だが、問題は件名ではなく、本文にあった。

 本文には、一言だけ、こう書かれ、URLがはられていた。


?】


「……なんだこれ」

「…………」

 少し、いや、かなり不気味な文面。

 そして見たことのないURL。

 URLの末尾に、「.JP」などの国を表す文字列はない。

 特定のページスクリプトへの──つまりゲームへの直通アドレスで見かけるURL。

「……どう、する?」

 あまり興味はなさそうに、妹が問う。

 だが、二人の正体を知っているそぶりの文面には、妹も思うところはあるようで。

 そうでなければ、無言でゲーム機をまくらに寝に戻っただろう。

 兄に判断をゆだねる──それは、だと判断したため、すなわち──

「駆け引きのつもりか? まあ、ブラフだとしてもノッてみるのも一興か」

 そう判断し、URLをクリックする。

 ウィルスの類なども警戒し、セキュリティソフトを走らせながらURLを踏んでみた。

 が……現れたのは、なんとも簡素な。

 至ってシンプルな、オンラインチェスの盤面だった。

「………ふぁふ……おやす、み……」

「ちょちょ、待てって。『  くうはく』あての挑戦状だぞ。相手が高度なチェスプログラムとかだったらおれ一人じゃ手に負えないって」

 一気に興味がせたらしく、眠りに戻ろうとする妹を引き止める兄。

「……いまさら……チェスとか……」

「うん……いや、気持ちはわかるけどさ」

 世界最高のチェス打ち──グランドマスターを完封したプログラム。

 そのプログラムに妹は、興味がせて久しい。

 ヤル気がわかないのもわかる。が。

「『  くうはく』に負けは認められない。せめて相手の実力がわかるまで、起きててくれ」

「……うぅぅ……わかった」


 そうして、チェスを打ち始めるそら

 一手、二手と積み重ねて行く兄の対戦を、興味なさそうに。

 いや、眠そうに。船をぐように、かくん、かくんと眺めているしろ

 が──五手、十手と重ねたところで。

 五分の四閉じられていた白の目は開かれ、画面を凝視していた。

「……え? あれ、こいつ」

 と、空が違和感を覚えると同時、白が立ち上がり、言う。

「……にぃ、交代……」


 一切の反論なく、素直にを明け渡す兄。

 それは、妹が兄の手に負えないと判断したということ。

 つまり、と判断したということ。

 入れ替わった妹が、手番を重ねて行く。


 ──チェスは『二人ふたりれいゆうげんかくていかんぜんじようほうゲーム』である。

『運』という、偶然が差し挟む余地のないこのゲームにおいて。

 理論上、が、それはあくまで理論の話。

 十の百二十乗という膨大な局面を把握出来た場合の話である。

 つまりは、事実上ないに等しい。

 ──が、それを「ある」と断言するのが白。

 つまり、の話と断言し。

 事実世界最高のチェスプログラム相手に二十連勝した。

 チェスは最善手を打ち続ければ先手が勝ち、後手は引き分けることしか出来ない。

 理論上、そうなっている。

 そのチェスにおいて、一秒で二億局面を見通すプログラム相手に。

 、プログラムの不完全性を証明した、その妹が。

「……うそ」

 ときようがくに目を開く。

 ──だが、一方で兄はその打ち方に違和感を覚えていた。

「落ち着け、これ、相手は人間だ」

「──え?」

「プログラムは、常に最善手を打つ。集中力も切らさないが、既存の戦術通りの動きしかしない。だからこそ、お前は勝てる。が──こいつは」

 画面を指さして兄。

「あえて悪手をとって誘ってる。それをのミスと判断しただ」

「………うぅ」

 兄の言葉に、しかし妹は反論しない。

 ──確かにチェスの技量において、いや、ほとんどのゲームにおいて。

 いもうとあにを圧倒的に上回る技量を持つ。まさしく──天才ゲーマー。

 だがことなど「相手の感情」という不確定要素を見抜くことにかけては──兄は常人離れしてかった。

 故にこそ『空白』──二人だからこその──


「いいから落ち着け、相手がプログラムじゃないんなら、なおのことお前が負ける要素はない。相手の挑発に乗るな。相手のひっかけや戦術はおれが指摘するから、冷静になれ」

「……りょーかい……がんば、る」

 コレが。

 数多あまたのゲームで世界ランキングのトップを独走するゲーマーのからくりだった。


 ─────………。


 持ち時間制ではないその勝負は、六時間以上に及んだ。

 徹夜五日目ということを、脳からあふれ出るアドレナリンやドーパミンが忘れさせ、疲労をも吹き飛ばし、二人の集中力を極限まで引き上げていく。

 六時間──だが実際には数日にも感じられたその対局に。

 そして、決着の瞬間が訪れる。

 スピーカーから響く、無感動な音。


『チェックメイト』


 兄妹の──勝ちだった。

「「───────」」

 長い沈黙の後。

「「はぁあああぁぁああ~~~~…………」」

 大きく息を吐く二人。それは呼吸さえ忘れるほどの勝負だったことを語る。

 長い長い息を吐いたあと、二人は笑い出す。

「……すごい……こんな苦戦……ひさし、ぶり」

「はは、おれはおまえが苦戦するのを見るのすら、初めてだぞ?」

「……すごい……にぃ、相手……ほんとに、人間?」

「ああ、間違いない。誘いにノらなかった時の長考、仕掛けたわなの不発の時にわずかに動揺が見えた。間違いなく人間か──そうじゃなきゃおまえ以上の天才バケモンってことだ」

「……どんな、人だろ」

 グランドマスターを完封したプログラムを、完封した妹が、対戦相手に興味を抱く。

「いや、案外、グランドマスターかもよ? プログラムは正確だが人間は複雑だ」

「……そ、か……じゃあ……今度、しようでも……りゆうおうと、対戦、したい……」

「竜王がネット将棋にノッてくれるかなぁ。まあ、考えてみようか!」

 と、勝負後のエンドルフィンがもたらす幸福感に、にやけた顔で語る二人に、再び。

 ──テロンッ♪

 というメールの着信音が響く。

「今の対戦相手じゃねぇの? ほら、開けてみろよ」

「……うん、うん」

 と──しかし届いたメールには。

 ただ一言、こう書かれていた。


【おみごと。それほどまでの腕前、?】


 そのたった一文で。

 二人の心境は──氷点下まで下がった。

 LEDディスプレイに向き合い、激闘を繰り広げた二人の、その背後。

 無機質な光。パソコン、ゲーム機器が奏でるファンの音。

 無数の配線が床をのたうち、散らばったゴミと、脱ぎ散らした服。

 陽を遮断し切るカーテンが、時が止まったように、時間感覚を奪う空間。

 ──十六畳の、狭い部屋。

 そこが兄妹ふたりの世界──その、すべて。


 ──苦々しい記憶が二人の脳裏をはしる。

 生まれつき出来が悪く、そのため、人の言葉、真意を読むことにけすぎた兄。

 生まれつき高すぎる知能と、真っ白い髪と赤いひとみ故に理解者のいなかった妹。

 ──両親にさえ見放されたまま他界され、ついには心を閉ざした兄妹。

 お世辞にも楽しい記憶とは呼べない過去──いや、

 黙ってうつむいた妹。

 その妹を俯かせた相手に怒りをたたきつけるようにキーボードを打つ兄。

『大きなお世話様どうも。なにもんだ、テメェ』

 ほぼ即座に返信がくる。

 ──いや、果たしてそれは返信だったのか。

 答えになっていない文面が届いた。

【君達は、その世界をどう思う? 楽しいかい? 生きやすいかい?】

 その文面に、怒りも忘れて妹と顔を見合わせる。

 改めて確認するまでもない。答えは決まっていた。

 ──「クソゲー」だと。


 ……ルールも目的もめいりような、くだらないゲーム。

 七十億ものプレイヤーが、好き勝手に手番を動かし。

 勝ちすぎるとペナルティを受け。

 ──頭が良すぎる故に、理解されず孤立していじめられる妹。

 負けすぎてもペナルティを受ける。

 ──赤点が続いて、教師に、親に怒鳴られても笑顔を保つ兄。

 パスする権利はなく。

 ──黙っていればなおも加速していったいじめ。

 しやべりすぎたら、踏み込みすぎと疎まれる。

 ──真意を読みすぎて、的を射すぎて疎まれる。

 目的もわからず、パラメーターもなく、ジャンルすら不明。

 決められたルールに従っても罰せられ──なにより。

 ──。

 こんな人生クソゲーに比べたら、どんなゲームだって──簡単すぎる。


「ちっ──胸くそ悪ぃ」

 舌打ちし、なおもうつむいたままの、幼い妹の頭をでるそら

 ──そこには、先ほどまで神のごとき勝負を演じてみせた二人はいない。

 落ち込んだ──落ちぶれた──社会的に見ればあまりに弱々しい。

 寄る辺のない、世界につまはじきにされた兄妹ふたりがいるだけだった。

 イラついたことで、一気に襲ってきた疲労。

 久しぶりにパソコンの電源を切ろうとスタート画面にカーソルを向けた兄の耳に。

 テロンッ♪──と、再度メールが届く。

 構わずシャットダウンしようとする兄の手を。

 ──しかし妹が止める。


【もし〝〟があったら──】


 その文面に、いぶかしげに、しかし想像し、あこがれを隠すことの出来ない二人。


【目的も、ルールも明確ながあったら、どう思うかな?】


 再び二人は顔を見合わせて、ちよう気味に笑い、うなずいた。

 兄はキーボードに手を置き。

 なるほど、そういうことか、と。

『ああ、そんな世界があるなら、

 ──と、最初に届いたメールの文面になぞらえて。

 返信する。


 ───せつ


 パソコンの画面にかすかなノイズが走り。

 同時、ブレーカーが落ちたように、バツンッと音を立てて部屋のすべてが止まる。

 唯一──メールが表示されていた、その画面を除いて。

 そして──

「な、なんだっ!?」

「……っ?」

 部屋全体に、ノイズが走り始める。

 家がきしむような音、放電するような弾ける音。

 慌てて周囲を見渡す兄と、何が起こっているかわからずただほうける妹。

 そんな二人をに、ノイズはなおも激しくなり──

 ついにはテレビのすなあらしのように。

 そしてスピーカーから──いや。

 間違いなく

 今度は文章ではない──『』が返ってきた。

『僕もそう思う。君達はまさしく、生まれる世界を間違えた』


 もはや画面以外の、部屋の全てが砂嵐にまれる中。

 唐突に、白い腕が生える。

「なっ!?」

「……ひっ──」

 画面から伸びた腕は、兄妹の腕をつかみ。

 あらがう余地もない程の力でもって、二人を引きずりこむ。

 へ──。

『ならば僕が──っ』


 ──………。

 そして──。


 白く染まる視界。

 それが、目を開いたから──すなわち陽の光だと認識出来たのは。

 久しく感じていなかった、網膜を焼かれる感覚故。

 そしてようやく光に慣れつつあるひとみに飛び込んだ景色から、兄は理解した。

 そこは──上空だった。

「うぉおおあああっ!?」

 狭い部屋から一気に広がった広大な空間。

 ──だが兄を叫ばせたのは、視界に広がっただった。

 そらの脳が、状況を把握しようと、脳回路を焼き切らんばかりに加速し、叫ばせる。

「なん────なんだこれぇえええっ!」

 ──どう見ても、何度見返しても。

 空に、

 目を、頭を何度疑っても、視界の果てで空を飛んでいるのは、

 地平線の向こう、山々の奥に見える巨大なチェスのコマは、遠近感を失わせるほど巨大。

 かのゲームに登場しそうな、

 どう考えても自分が知る『地球』のそれではない景色。

 だが、それよりもなによりも。

 眼下に広がる雲から、浮遊感の正体が、

 自分達が今まさに、パラシュートなしのスカイダイビング中であること。

 このすべてに気づき、絶叫が──

「あ、死ぬ」

 という確信に変わるまで、兄が要したのは、実に三秒だった。

 だがそんな悲愴な確信を打ち破るように。

 高らかに叫ぶ声は、隣から聞こえた。


「ようこそ、僕の世界へッ!」


 壮大で、異常な景色を背後に、落下しながら『少年』は腕を開いて笑う。

「ここが君達が夢見る理想郷【盤上の世界・ディスボード】ッ! ッ! そう──ッ!」

 そらに遅れること十秒ほどだろうか。

 ようやく状況を把握したのか、目を見開いて、泣きそうな顔で兄に抱きつくしろ

「……あ、あ、あなた──だれ──っ」

 精一杯の、しかしささやくような抗議の叫びをあげる白。

 だが相変わらず楽しそうに笑って、が言う。

「僕? 僕はね~、あそこに住んでる」

 言って、遠く──空も見た、地平線の彼方かなたの巨大なチェスのコマを指差す少年。

「そうだね、君達の世界風に言うなら──〝〟──かな?」


 ほおに人差し指を当てて、可愛かわいげに、あいきようを込めて言う、

 ──だがそんなのは知ったことではなかった。

「それよりオイ、コレどうすんだよッ! 地面が迫って──うぉおおおお、白ぉッ!」

「……~~~~~~~~~っ」

 白の手を抱き込むように、意味が有るかはわからないが、自分を下にする空。

 そして声にならない声で、空の胸の中で絶叫をあげる白。

 そんな二人に、神を名乗る少年は、楽しげに告げる。


「また会えることを期待してるよ。きっと、そう遠くないうちに、ね」

 ──そうして、二人の意識は暗転した。


 ──────………


「ぅ……うーん……」

 土の感触。草の香り──気がつくと、空は、地面に倒れていた。

 うめきながら起き上がる空。

「──な、なんだったんだありゃ……?」

 ──夢か?

 そう思うが、空は口にはしないでおいた。

「……うぅ……変な夢」

 と、空に遅れて目を覚ました妹が、うめく。

 ──わざわざ口にしなかったのに妹よ。

 、妹よ。

〟なんてたてないでおくれ。

 そう思いながら立ち上がるが、どう気づかぬふりをしても

 見慣れない高い空、そして──

「うをああああ!」

 自分ががけっぷちに立っていることに気づいて、慌てて後ずさるそら

 ──がけから一望出来る景色を見渡す。


 そこには、ありえない景色が広がっていた。

 ……いや、違う。言い直そう。

 空に島。りゆう。そして地平線の山々の向こうに、巨大なチェスのコマ。

 つまり、落ちてくるとき見えた、変な世界の景色。

 つまり、夢オチは──なかった。

「なあ、妹よ」

「……ん」

 それを、光のない目で眺めながら、兄妹は言う。

「〝人生〟なんて、無理ゲーだ、マゾゲーだと、何度となく思ったが」

「……うん……」

 二人、声をハモらせて言う。


「「ついに〝〟……もう、なにこれ、超クソゲぇ…」」

 そうして──二人の意識は、再び暗転した。


   ■■■


──『こんなうわさをきいたことがあるだろうか』──。


 あまりにゲームが上手すぎる者のもとには、ある日、メールが届くという。

 本文には──短い文と、URLがはられているだけ。

 そしてそのURLをクリックすると、あるゲームが始まる。

 そのゲームをクリアすると─────という。

 そして──


 異世界へと誘われるという、そんな『』。



 ……あなたは、信じますか?

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