16にちめ「焼きそばパン買ってこい」

 昼休み前、八束たちは授業そっちのけで、ジャンケン大会を催した。

 結果は八束の一人負け。

 負けた人が罰ゲームとして使い走りさせられる決まりだったので、敗者はこうして遠路はるばる購買部までやってきた次第である。


 今回頼まれたのは、凛が焼きそばパン。玲奈は量をご所望だったので、コッペパンをあるだけ全部。貧しい田中にはカツサンドを恵んでやることにした。


 購買部でパンを買ったのと同時、昼休み開始の鐘が鳴った。校舎から足音の大群が押し寄せる。

 これは早くおいとました方がよさそうだ。少しだけ急ぎ足になる。ほどなくして、階段から駆け下りてきた先頭集団とすれ違った。


 月乃のは『八束さんと同じ物』とのことだったので、嫌がらせで『たくあんサンド』なる一発屋新商品でも買ってやろうかと思ったが、自分の首も締めることになるからチョココロネで妥協した。

 ちなみに送り出す際、月乃はこんな言葉も託しただろう。

『私……信じてますから』

 ひとまず女子は避けて、真っ直ぐ帰ろう。浮気を懸念したのか知らないけど……すごく重かった。


 ところが、決意したのも束の間、女の声に呼び止められた。

「――あら? 鮎沢じゃない」

 この冷めた声には聞き覚えがある。ちょっぴり苦手な同級生だ。


「副会長……」

 本校の現生徒会副会長。

 名前を二階堂千晴にかいどうちはるという。


 千晴は元恋人の椋浦穂積と大の仲良しで、親しみを込めて『ちぃちゃん』と呼ばれている……のだが、ここだけの話、本人に『ちぃちゃん』感がまるでない。

 黒髪を上向きに捻ってワニクリップで留めただけという、できる女っぽい髪型。切れ長の奥二重は感情が読みにくく、大人びた顔つきも相まって、取り付く島もない気高さがある。

 よく言えば、クールビューティー。

 悪く言えば、いけ好かない女。

 好き嫌いがはっきり分かれそうな彼女は、穂積と同じ理数科生である。


「穂積じゃなくて、がっかりした?」

「いきなり声を掛けられたから驚いただけ……穂積は一緒じゃないんだ?」

「あの子なら実験器具の後片付けをしてるわ。さっき化学だったから」

「なるほど……」

「やっぱりがっかりしてるんじゃない」

「してないから」


 繰り返しになるが、八束は二階堂千晴という同級生が苦手だったりする。

 まあ『友達の友達は友達』理論の通用しない間柄というのもあるだろうが、それ以前に考えていることがいまいち分からないのが悪い。きっと人間味があまり感じられないから、苦手なんだろう。

 とはいえ、ちょっとばかし話しづらいと思うだけで、なにも嫌いなわけじゃない。

 理由は穂積の言う『ちぃちゃんは友達思いの優しい子』との評価に、なんとなく頷けてしまうから。普通科生だと知りながら、こうして話し掛けてくれるのも、優しい子だからこそかもしれない。


「弁当勢の鮎沢がここに来るなんて、珍しいわね。もしかしてパシられたとか?」

「ご明察。混雑を見越して、一足先に買いにきたんだ」

「あの鮎沢が授業をサボるなんて」

「サボりは普通科生の特権だから」

「鮎沢的に見て、今日のパンでよさそうな物はあった?」

「たくあんサンドってのがあってだな……」

「なにその玄人好みのパン? この前の『酢飯バーガー』と同じにおいがするんだけど」


 購買部は、早くも昼食を求めた黒山の群衆でごった返していた。もしかすると、たくあんサンドが目当てで押し掛けているのかも……そんなわけないか。

 千晴は鮨詰め状態の購買部を前にしても、手をこまねいているばかり。表情が読めないから確信は持てないが……もう少し話がしたいとか?


「それはそうと鮎沢、いつまで普通科にいるつもりなの?」

「なんだ藪から棒に。いつまでも何も、俺は端から普通科に骨を埋めるつもりだし、移動するにしても、どこも受け入れちゃくれないだろうし」

「あら、鮎沢ならいつでも受け入れOKだけど?」

「馬鹿を言うなって。副会長がよくても、他学科生の受け入れには学科代表、つまり穂積の許可が必要なわけで、さすがに無理があるでしょ」

「そうかしら?」


 千晴は「まあ学科代表の引き継ぎはまだなんだけど……」と前置きした上で、


「あの子のことだから、きっと両手を挙げて迎え入れてくれるんじゃない?」

「まさか。気まずくなるだけだって。それに俺、理数科生の大半に嫌われてるからなぁ……入ったところで四面楚歌になるのがオチだよ」

「それは普通科にいたって同じじゃない。ほら……首のそれって、いじめられて出来たんでしょ?」


 千晴が指摘したのは首の包帯だ。こうも仰々しく巻いていると、見た人はあれこれ邪推するのだろう。


「これは……いろいろあって……」

「ふ〜ん。原因が何であれ、鮎沢も災難だったわね。その怪我のせいで新学期早々、入院したんだって?」

「そうだけど……誰から聞いたんだ?」

「そっちの藤川さんから穂積経由で」

「じゃあ穂積も知ってるんだ……」

「すっごく心配してたわよ」


 八束は思わず千晴を見つめてしまった。

 千晴が含み笑いを浮かべる。


「メールで『入院した』って知った途端、私の席まで飛んできて大騒ぎ。そのくせ『そんなに心配なら見舞いにでも行けば?』って提案しても『それだけは……』って固辞して行かず仕舞いだったし。本心では誰よりも心配してたはずなのにね。あの子ったら変なところで強情なんだから」


 穂積が心配してくれた。もう終わった関係のはずなのに……どうしてだろう。八束はちょっぴり嬉しく思えてしまう。


「やっぱりまだ気になっちゃうんだ?」

「そんなんじゃないって……まったく、副会長も人が悪いよ。俺が振られたのを知ってるくせに『穂積、穂積』ってさ」

「いいじゃない。別に『嫌い』って言われたわけじゃないんでしょ?」

「だとしても『今も好き』なわけじゃないでしょ」

「どうかしら? あんなに心配してたくらいだし、もしかすると今でも好きだったりして……真相が知りたければ理数科に来て、あの子と話すことね」


 だから行かないって……八束が口を開く前に、千晴が言った。購買部に群がる大群衆を見ながら。


「立ち話している間に、ずいぶん混んじゃったわね。この様子じゃ今から並んでも買えないわ」

「たくあんサンドなら買えるんじゃない?」

「嫌よ、そんなゲテモノ」


 千晴は八束のビニール袋を見る。

 つられて八束も目を落とした。


「そうね……一個でいいから、そのパンを私に売ってくれないかしら?」

「え?……コッペパンで構わないなら」

「いいわよ。いくらだった?」


 千晴が買う気満々で財布のがま口を開く。


「一個七〇円だったかな?……ついでにジャムも買っとく? イチゴのとチョコのがあるけど」

「パンだけでいいわ。ちょうど生徒会室に貰い物のマーマレードがあるから」

「なにそれ。羨ましいんだけど」

「この前、農業科から貰ったのよ。役得ってやつね……はい七〇円。お釣りはいらないわ。取っておいて」

「代金ぴったし払っておいて、なに言ってるんだ」


 千晴の手も借りつつ、コッペパンを紙袋ごと手渡す。

 そんな様子を、通り掛かった顔見知りたちが変な目で見てくる。どうにも普通科生が白昼堂々カツアゲしているんだと思われているらしい。人口密度の増加に合わせて、そうした視線が増えていく。

 とはいえ千晴は注目なんて毛ほども気にならないらしい。紙袋の口を畳みながら、素知らぬ顔で話し続ける。


「なんなら鮎沢も一緒に食べる? もちろん穂積も一緒よ」

「遠慮しとく。早くこれを届けないといけないし」


 何より今は月乃で頭がいっぱいだから――もちろん好き的な意味じゃなく、悩みの種的な意味で。


「そう。残念」

 千晴は身を翻した。お帰りらしい。

「それはそうと……理数科の件は考えておいてね。待ってるから」


 その『待ってるから』は無表情ながら、あっさりしていたからか、月乃の『信じてますから』よりはずっとましに聞こえただろう。

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