第63話 颯鬼 3

 再び扉が開いて、

「うぉ~~~」

 と奇妙な声を発しながら大きな顔を覗かせる者がいた。

 様子を伺うように店の中を見渡す。

「ああやだ、鬼熊、お前に喰わす物なんかないよ!」

 と磯女が厳しく冷たい声で言った。

「帰っとくれ。不潔な図体で店の周りをうろちょろしないでよ! こっちは客商売なんだ」

「そう言うなよ。仲間じゃねえ……か……」

 と言いながら、カウンター席に座った颯鬼に気がつき、にへらとお愛想笑いをした。

「こ、こいつは颯鬼のだんな……」

 鬼熊は大きな手でボサボサでゴミや埃の絡まった髪の毛のような物をボリボリとかいた。どこかで拾ったのか毛玉だらけの毛布のようなオーバーを着て、裾を地面にこすってすり切れたジャージ。汚く爪の伸びた足は真っ黒でサイズの合っていないビニールのサンダルを裸足で履いていた。

 鬼熊は鬼の字が入っているが鬼族ではない。老いて死に損ねた熊が変化した妖である。 妖力も低く、人間に化ける技も知能も低い。だが力だけは強力で、それだけに始末に負えない。仲間から食い物を奪って生きているので嫌われているが、逆らうとその力技で暴れてどうしようもない。牛や馬でも一殴りで死に至らしめてしまう程の力だ。

 力のない妖は仕方なく鬼熊に物を恵んで凌いでいる。

 もちろん颯鬼のような妖力の高い上級な妖には敵わないので、鬼族を見るとさっと逃げ出す。人間界で暮らす妖は颯鬼のような鬼族を頼りにしていた。


「人間でいうところのホームレスを気取っているようだが、そんなに生きるのが辛いなら俺がとどめを刺してやってもいいぞ?」

 と颯鬼が言った。

「あ、いや、そんな、勘弁してくださいよ……違うんだ。その、いつもこの店に来てる悪霊つきの娘がそこでまた絡まれてたからさぁ……磯女が気にしてたから教えてやろうと思っただけさぁ」

 と鬼熊は言い訳がましく言った。

「本当に?」

 と磯女がカウンターの中から出てきて、外の様子を見に出て行った。

「じゃ、じゃあ」

 とすごすごと帰ろうとした鬼熊に颯鬼は飲みかけの一升瓶を放り投げてやり、

「客がいる時間帯には顔を出すな。磯女の迷惑になる」

 と言った。

「へ、へへへ。こいつはすんません」

 鬼熊は大事そうに一升瓶を抱えて夜の闇に消えていった。


 鬼熊が姿を消すのと同時に磯女が戻ってきた。

 はあ~と大きなため息をつき、再びカウンターの中へ戻って行く。

「可哀想にねぇ。何の因果であんな目に……」

 とつぶやく。

「絡まれてたのはおさまったのか?」

「ええ、それもいつもの事なんですよ。月ちゃんに憑いてる男の幼馴染みって娘にね。よく絡まれてるらしいんですよ」

「幼馴染み?」

「ええ、どうも、その幼馴染みはそのストーカー男が好きだったらしく……でも自分は相手にされない上に、男は月ちゃんを想って自殺……それを逆恨みで……どうもその幼馴染みも病院へ入ってるみたいなんですけどね。抜け出しては月ちゃんを探して……多分、もうその幼馴染みも気が狂ってるんでしょう。人間って……本当に気味悪い生き物ですよ」

「なるほどな。しかしもう長くはないな。あの娘」

 と颯鬼が言った。

「え? 月ちゃん?」

「色濃い死相が出ていた。もう身体半分くらい悪霊に取り込まれているな」

「いっそ死んでしまいたいと呟いてた事もありましたねぇ」

「だろうな。だが死んだらあの悪霊の思う壺だ。同じような悪霊の世界に引きずり込まれ未来永劫、二人で彷徨う羽目になる。そいつが目当てで先に死んだんだろう」

 と颯鬼が言った。

「未来永劫?」

「そうだ。死ぬほど惚れた女と未来永劫、地獄だろうが常闇の世界だろうがふたりっきりだ。うらやましいな」

 と颯鬼が笑った。 

「笑いごとじゃないですよぉ」

 磯女が声を振るわせてそう言った。

「何とか……ならないですかねえ?」 

 颯鬼ほどの力を持つ鬼族なら月子からあの悪霊を引き剥がせるだろうと磯女は思った。鬼族には至極簡単な事だ。

 だがそれを頼むにはそれなりの理由と鬼族への捧げ物がいる。

 見ず知らずの月子に同情して助けてやりたい気持ちはあるが、鬼族への捧げ物など一体何を要求されるか分からない。鬼族は雑食であるので、磯女自身を喰わせろというのもあり得るのだ。

 鬼族にもいろいろいて人間好きも嫌いもいる。人間を喰らう鬼もいるし、人間と暮らすほど仲良くなっている鬼もいる。

 颯鬼は鬼族の中では親人間派で有名で、人間界で暮らす妖の中でもいろいろな場所に顔を出し、いざこざがあれば解決したりもする。

 人間との半妖である闇屋の事も可愛がっているし、磯女はそんな颯鬼が月子を助けてくれないだろうか、と思った。

 それは随分と都合のいい話である事は分かっている。

 人間と妖との違いは輪廻転生の輪に加わっているかいないか、それである。

 磯女のような妖は消滅してしまえば終わりだ。

 もう二度と何者かに生まれ変わる事はない。

 その代わりにちょっとやそっとでは死なない。

 細胞の一つになっても時間さえあれば復活出来る。 

 人間は違う。ひ弱な人間はすぐ死ぬ。だが善良な魂さえあれば、転生が可能だ。

 月子は悪霊に引きずりこまれたら最後、転生も叶わない地獄で未来永劫過ごすのだ。

 月子が死んでも磯女には痛くもかゆくもないのだが、大嫌いな男と未来永劫地獄で暮らすのは気の毒な気がする。  

 月子はあの男に見込まれる前は良く笑う、可愛い普通の女の子だった。

 仕事帰りに一人でも晩ご飯を食べに来て、カウンター席でビール一杯に焼き魚、おでんなどを食べる。そして会社での事や日常の事を楽しそうに磯女に話す。

 酔っ払ったりもしない。行儀良く、綺麗にご飯を食べては幸せそうな顔をする。

 磯女の作る魚料理をたくさん、美味しそうにほおばってくれるのを見るのは磯女も嬉しかった。  


「なんとか……ならないでしょうか?」

 絞り出すように言う磯女に颯鬼が首をかしげた。

「どうした? 人間など金を搾り取る存在じゃないのか?」

 と颯鬼がからかうように言ったが、磯女は、

「そうなんです。人間なんてねぇ、金さえ運んできたらいいんですよ。でもねぇ。ああいういい人間がいなくなると金を運んでくる人間も減りますよ。あの子、うちの店でも結構常連さんに可愛がられててね。ただ夜のほんの少しの時間にすれ違うだけの人間同士かもしれないですけど、あの子の美味しかった~って言葉や笑顔がねぇ、気むずかしい常連のおっさんもつい顔がほころぶってもんですよ」

 と言った。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る