第26話 26日目
「どうしてかはわからないんだけど、お腹が空いてたまらないんだ」
金子さんがあまりにも深刻な表情でそういうので、ぼくたちは固唾を飲んで話の続きを待った。
「そして、食べても食べても満たされなくて。結局僕はこの一か月で体重が十五キロも増えたんだ」
金子さんはその言葉通りふくよかな見た目をしている。一か月前の写真を見せてもらうとそこにはスタイルのいい男が映りこんでいて、まるで別人のようだった。
「なるほど、あんたは何も昔っからそんな体型ではなかったって言うんだな」
岩崎くんがいつものようにため口で事実確認をする。
いま、ここ民間伝承研究会の部室には、ぼくと岩崎くん、そして相談者である金子さんの三人がいた。
民間伝承研究会は文字通り、地域に伝わる不思議な話を研究するサークルであり、怪奇現象に見舞われた学生が相談に来ることも多い。相談事の大半は単純なトリックを暴けば解決する不思議でも何でもない話なんだけれど、金子さんの話を聞くに、今回は人為を超越したなにか超常的な背景を感じる。
「何かきっかけは思い浮かばないのか?」
「……いや」
少しだけ言い淀んだ金子さんは、そのままふるふると首を振った。
岩崎くんが真剣な表情で机をバンと叩き、声を荒げる。
「俺は真面目なんだ。ちょっとでも心当たりがあるなら話せ。なくても話せ。『この話は関係ないかも』なんて言う余計な気は回すな。それを判断するのは俺だ」
「……」
しばし睨み合う二人。
ぼくは気まずくなって、コーヒーを一口啜った。
頭の中で簡単に、金子さんの相談事を反芻する。
一か月前からどうも体の様子がおかしいらしい。
一つ目が、その見た目に現れているような異常なまでの食欲。元々はそんなに食べるタイプじゃなかったらしいけれど、急に変わったらしい。
異常なまでの空腹感を覚えているのに、いくら食べても満たされないのだという。
その結果、常に何かを食べているようになったそうだ。それが体型に如実に現れている。
そして、酷く気分が落ち込むようになったらしい。
今までも明るくウェイウェイしているタイプではなかったそうだけれど、真面目で責任感が強く、それゆえ友達からの信頼も集めていたそうだ。しかしここ一か月、授業どころかサークルや飲み会に行く気も失せ、ただ自宅とコンビニを行き来するだけになったようだ。
そして、心配してくれた恋人にわけもなく暴力を振るい、性的にも相当酷いことをするようになった。
当然彼女さんは愛想をつかして泣きながら出ていったようだ。
その、まるで空腹を満たすかのような暴力衝動と性衝動を抱えた金子さんは、大量の食糧を購入し家に引きこもるようになった。
友人が家を訪ねた時、金子さんは半額シールの貼られた弁当を食べていたらしいが、それはすでに酷い腐敗臭を放っていた。
その異常性に背筋を凍らせた友人が病院に連れて行こうとしたが、連れていくべきが精神科なのか他のところなのかわからず、どちらかというと怪奇現象に近いということでうちのサークルを紹介したというわけだった。
こんなところに来ずにまず病院に行ってほしいんだけど!
しかしどうやら岩崎くんはその症状に心当たりがあったようで、話を聞くなり真剣な表情になって金子さんを睨んだ。
「俺はあんたのその症状に心当たりがある」
「だったら、どうすればいいか教えてほしい」
岩崎くんはゆっくりと首を振った。
「“これ”をやったから治るなんて確信のある方法はない。だから聞いてるんだよ、心当たりはないのかって」
「……」
「薄々気付いているんだろ? あんたのそれは、罰だ。祟りともいうだろうな。だからきっと、何か原因があるはずなんだよ」
祟りだって?
ぼくはその言葉の持つ非科学的な響きに首を傾げた。
しかし金子さんはそれを聞いて納得したようで、観念したように話し始める。
「体に異変が起こる数日前、僕は山を荒らしたんだ」
「……?」
ぽかんとするぼくと、なおも言いよどむ金子さんを睨みつける岩崎くん。
「そ、粗大ゴミを捨てようと思って」
「は?」
「ほら、粗大ゴミって捨てる時にお金がかかるんだよ」
それはもちろん知っていた。
市区によって変わるが、粗大ごみは袋に入れて燃えるごみのところにおいていいわけではない。お金を払って引き取ってもらうのが普通だ。
幸いぼくはまだ一人暮らしを始めて一年も経っていないので、粗大ゴミを捨てる機会なんてのは訪れていないけれど、時間の問題だった。だからその時に備えて少し調べたことがあった。
「粗大ゴミを捨てるならコンビニとかに行けばシールが買えますよ。なんで山なんかに」
と言いかけてからようやく金子さんの犯した罪に気が付いた。
「……もしかして、山に捨てに行ったんですか?」
金子さんは静かに頷いた。
粗大ゴミの不法投棄。れっきとした犯罪である。
「岩崎くん、こんな人の相談にのる意味ある?」
「お前さ、時々すっごい冷たいよな。本人の前でそれを言うか?」
「でも、粗大ゴミを山に捨てた人の話なんて聞く価値ないよ」
「まあ落ち着けって。気にならないか? 粗大ゴミと体調不良の関係について」
「興味はあるけど相談に乗るかどうかは別だよね」
「……」
金子さんは目を伏せて、おにぎりを食べる。
ぼくと岩崎くんが睨み合う。
数秒経って、根負けした岩崎くんが呆れたように両手を広げた。
「わかったわかった。このまま放っておくとこいつは死ぬけど、それでもいいんだな」
「な!」
「え?」
部室に驚きの声が共鳴した。
「死ぬ……? 僕が?」
「ああ。その祟りは人を死に至らしめる類のものだよ」
「それ……は」
「相談に乗る気になったか? さすがのお前でも人を見殺しにするのは嫌だよな」
「……」
ぼくは小さく頷いた。金子さんは恐怖に顔を染めながらラーメンを啜る。
「こいつについているのは、狸だ」
「……狸?」
ぽんぽこりん。
「あんた、粗大ゴミを捨てる時にそこらの土を踏み荒らしたりしただろ」
「なんでそれを」
「あんたは狸の縄張りを踏み荒らしたんだ。そこで憑りつかれた。異常な食欲も暴力性も、鬱も、全部狸憑きっていうやつの仕業だよ」
岩崎くんは分厚い本のとあるページを開いて机の上に置いた。
狸憑き。
狸に憑かれた際に現れる様々な症状の最たる例が大食だという。しかし、食べたものすべてが狸に吸収されるのか、体は太っていくのに本人は衰弱していき、やがて死に至る。
他にも暴力衝動や性衝動を帯び、腐敗した食べ物を食べるというのも典型的な症状らしい。
岩崎くんが口を開く。
「まずは、反省することだな」
「反省……?」
「ああ。っていっても、不法投棄の件についてじゃないぜ。そっちは人間が決めたルールだからどうでもいい。そいつに謝っておけ。最重要なのは、狸に許してもらうことだ」
「……」
「今日一日反省をしろ。で、明日またここに来い。俺たちがあんたの中から狸を追い出してやるよ」
「……さっきは感情的になってごめんね」
「あ? 気にするほどじゃないだろ。はした金をケチって犯罪に手を染めたのは事実なわけだし。でも、それは命を落とすほどの罰を受けるような罪じゃない。だからまずは、あいつの命を救ってやろうと思う」
「……うん」
具体的に何をするのかが気になったので素直に聞くと、なんとも意外な言葉が返ってきた。
「神様を、作るんだよ」
「あんたには今から、すごく苦しい思いをしてもらう。途中で嫌になったらもちろんやめていいし、俺たちのことが信用できなくなったら病院やほかの施設に行くといい」
「わかったよ」
仰々しい面持ちの岩崎くん。
金子さんは一日かけて反省をしたのか、昨日よりもさらに暗い顔をしていた。
もしかすると本当に体調が限界なのかもしれない。
岩崎くんは、しゃがんだ人が一人ぎりぎり入れるくらいの木箱を台車に乗せ、大学と近所の山を結ぶ道路の端っこにそれを置いた。
もちろん、車や人通りの邪魔にならないところだ。
そこは、人の往来がそれなりにあるので、何人かの視線も感じた。
岩崎くんが、中に何かが入ったビニル袋を金子さんに手渡す。
「じゃあ、この木箱の中に入れ」
「え?」
「狸を追い出す方法は様々なんだが、その中で一番確実で簡単な方法が、狸を祭り上げることなんだ」
「祭り上げるっていうと、煽てるとかそういう?」
ああ、と彼は一つ頷いた。
「狸の形をした道祖神とか、道端で見かけたことないか? あれは、狸を神様に祭り上げることによって、“神様は一個人に執着しない”という性質を利用しているんだ。神様は個人的な感情で誰かを陥れたりしない。なら、狸を神様にしてしまえば、祟りなどから解放されるという考え方だな」
「……」
なんというか、ぶっ飛んだ考え方だった。
「だから、あんたの中にいる狸に、自分は神様として祭り上げられていると勘違いさせる。そうすることで狸が神になり、あんたの中から出ていくという算段だ」
ぼくは彼の話に納得できない点があったので手を挙げる。
「神様ってそんなに簡単になれるものじゃないでしょ」
「ああ、そうだな。成るというと難しい。でも、“神様になったと認識”させることなら可能なんだ」
「……」
どういうこと? と目で問いかけると、彼はため息を吐く。
「道端でお地蔵さんを見かけたことがあるか?」
「うん」
「おそらく宗教に何の造詣もないお前は、見かけるたびに『へー、こんなところに神様がいるんだ』と思っていると思う」
図星をつかれたぼくは曖昧に頷く。
「お地蔵さんの役割とか意味についてはまた後日語るとして、大切なのはその『神様がいるんだ』という感情なんだ」
「ふーん?」
「道端に神々しい置物があれば、誰だってそこに神様が祭られていると思う。そう思った瞬間、そこに神はいるんだよ」
「……」
「神様ってのは、認識されることではじめてそこに存在する性質を持っているっていうことだ」
「……?」
「人がそこにいると信じた時、神様って言うのは本当にそこにいるんだよ」
岩崎くんの発言は理解しがたいものがあったけれど、なんとなく最後の言葉は思うところがあった。
「結論を言おう。金子には、この木箱に入ってもらう」
「いつまで?」
「狸が自分のことを神様だと勘違いするまで、だ」
「……」
「この木箱の上に俺が装飾をして、神々しくする。そうすることで、この道を通る人間が『あ、なんか祭られているんだなあ』と認識するんだ。その無意識の集合認識を感じ取った狸が、『俺って神様なのかな?』と勘違いをする。自分が神様だと勘違いした狸は、個人に執着しなくなるという道筋だ」
「……」
なんだか果てしない話だった。
「ただ、この作戦には一つだけ大きな難点がある」
ひとつだけ? 本当に一つだけなの?
「あんたが食事を我慢できるかどうかだ。もちろん食料は出来るだけ俺が運ぶし、苦労はかけさせないつもりだ。それでも、数日から十数日は窮屈な思いをすることになると思う」
「……でも、それが確実な解決策なんだろう?」
「ああ、そうだ」
「なら、やるよ。死にたくないからね。でも効果がなさそうだったらすぐに諦めて病院に行く。それでいいんだよね」
岩崎くんは頷いた。
そして最後に警告をした。
「お供え物として饅頭を置いておくが、絶対に食べちゃダメだからな。我慢するんだぞ」
目の前のお饅頭を我慢できるかどうかって……我慢リーチじゃん!
結局金子さんは我慢できずにお供え物のお饅頭をつまみ食いしていた。
しかし、お供え物がなくなることでより神秘的なものとして認識されて、数日で狸は金子さんの体からいなくなったのだった。
<『た』ぬきつき>
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