第23話 23日目
「約束だよ」
**
幽霊って言うのは意外と忙しいんだ。
なんて言っても、まだ生きているみんなには伝わらないだろうけどね。
例えば、四十九日っていう概念は聞いたことがあるかな。死んだら七日ごとに審査を受けて、七つの審査を総じて極楽浄土に行くかどうかを決めるっていう話。
あれが本当かどうかはまだわからないけれど、タイムリミットがあるというのは本当なんだ。それが何日間なのかはまだわからないけどね。
幽霊はお互いの姿が見えるから、しばらく行動をしていると顔見知りの幽霊も増えてくるんだけど、最近見なくなったなって思う人も多い。先輩幽霊に聞くと大抵「あの人はほら、もう次に行ったんじゃないかな」と言われる。
次があるっていうことは、タイムリミットがあるっていうこと。
それが、時間制限なのか、やり残したことがなくなったからなのかはわからないけれど、恨めしそうに道路を眺めていたお兄さんがいつの間にかいなくなったことから考えて、やり残したことがあったとしても次に行かされてしまう、ということが推察できる。
だから僕はとりあえず四十九日を目途にやりたいことをやりまくっているんだ。
やり残したことをできるだけ残さないようにね。
ほら、ちょっとずつ幽霊が忙しそうって言った理由がわかってきたでしょう?
それに、幽霊の移動速度の話もしなきゃいけない。
幽霊というと、ホラー映画のせいか気がついたら背後にいる! というイメージがあったけれど、あんな瞬間移動じみたことはできない。
空中に浮くことはできる。壁をすり抜けることもできる。でも、移動速度は生きている時の全力疾走よりはちょっと遅いくらいしか出ないんだ。
だから幽霊は交通機関も利用するよ。
あ、ほら。夜中タクシーに乗ってきた女の人がいつの間にか消えて、座席には濡れた後だけが残った、みたいな怪談話聞いたことあるでしょう?
あれって怖がらせようとしているわけじゃなくて、単純に早く移動したいだけなんだよ。
ぼくはもっぱら電車とかバスに乗るけどね。
まあ何が言いたいかというと、死んだあと、遠くの田舎のおばあちゃんのところに顔を出そう! っていう軽いノリで思い至っても向かうには普通に数時間から数十時間かかるっていうわけ。
もちろん幽霊はお腹もすかないし排泄もしない、夜に眠くなることもないんだけど、それでも休憩なしで移動し続けたら疲れるし座り込みたくなる。
ね、これらを加味すると、幽霊って忙しそうだなって気になってこない?
僕は自分が死んだことに気が付き、このルールを知ってからまずやりたいことリストを作ったんだ。
死ぬまでにやりたいことリストじゃなくて死んでからやりたいことリストだね。映画化決定。
例えばお母さんやお父さん、お兄ちゃんにあいさつしに行くなんて言うのは当たり前で、両方のおばあちゃんにも行くことにした。
学校の奴らに悪戯したりもしなきゃいけない。
四十九日しかない、そう思うと、ぼーっとしている暇なんてないよね。
びゅんびゅんと街中を飛び回る。
いや、まあびゅんびゅんというほど速度は出ないんだけれど。
そんなある日。僕は、道の隅で一日中蹲っているお姉さんに出会った。
最初はちょっと頭のおかしい人間だと思ってスルーした。でも、一時間経っても二時間経っても微動だにしなかった。
数時間が経って、もしかして頭がおかしいわけではなく何か悩み事があるんじゃないか? と思って少しだけ近づくと、そのお姉さんはちらりとこっちを見た。
「え?」
僕の姿が見えている?
幽霊は基本的に幽霊にしか見えない。
「お姉さん、僕のことが見えているの?」
聞くと、彼女はぽつりと呟いた。「ええ」
「お姉さんも幽霊?」
首を傾げる。
うーん、自分が幽霊っていうことをまだ理解していないのかなあ。もし霊媒師の類なら否定するはずだしね。
「お姉さんは、会いたい人とかいないの?」
「……」
彼女は静かにこちらを見て、また一言だけ呟いた。
「わからない」
「わからない?」
わからないって、どういうことだろう。
あ、もしかして。
「お姉さん、記憶がないの?」
そう聞くと、彼女は無言で頷いた。
幽霊は、死んだ時のショックで記憶をなくすことがままあるそうだ。これは先輩幽霊に聞いたことだから間違いないと思う。
だからこのお姉さんもそうなんだろう。僕は少しだけ可哀相に思った。
「思い出す努力はしたの?」
「ええ」
「そっか」
僕たちの間に沈黙が流れた。
正直、部外者の僕にできることは何一つない。
彼女の所縁の地や人を紹介して記憶を呼び起こすことなんてできるはずもない。
僕は「ごめんね」と言って静かにその場を離れた。
その日はどうしても悪戯なんてする気にならなかったので、大人しく家族の顔を眺めていた。
翌日もお姉さんはいた。
翌々日もお姉さんはいた。
その寂しそうな横顔を見ていると、なぜか胸が苦しくなった。
大切な人を何も思い出せない辛さは僕には全くわからない。けれど、想像することはできる。
でもやっぱり、部外者の僕にできることなんて何もないんだ。
「……」
本当に、何もないのかな。
記憶をなくしたお姉さんにできることは、本当に何一つないのかな。
いや、そんなことはないだろう!
僕はお姉さんに話しかけた。
「ねえ、お姉さん」
彼女が顔をあげる。
「僕と、デートに行かない?」
「……デート?」
訝しげな顔をされる。そりゃあそうだ。僕だってこんなナンパ師みたいなセリフを吐く日が来るなんて思っていなかった。
「僕と一緒に、日本の色々なところを回ろうよ! そしたら、なにか思い出せるかもしれないよ」
これが僕の出した答えだった。色々なところを巡って、記憶を掘り起こす。万が一何も思い出せなくたって、綺麗な景色を見るだけ心が洗われることもあるだろう。
でもお姉さんは静かに首を振った。
「ここから動けないんだ」
「え……」
地縛霊、というやつなんだろうか。
確かにお姉さんのことはここの道の隅以外で見かけたことがない。
本当に動けないのなら、この作戦は使えない。
「……」
いや、だったら、僕一人で行けばいいんだよ。
この場所から動けないお姉さんに代わって、僕が色んなところに行けばいいんだ!
「お姉さん、待っててね」
「……?」
僕は家族や友達から離れて、県内の有名な観光スポットを巡った。
生前僕が大切にしていたカメラを部屋から持ち出して、写真を一杯撮る。
そしてお姉さんに見せる。
最初は戸惑っていたお姉さんだったけれど、僕の気持ちに気が付いてくれたのか、歯を見せて笑ってくれた。
その笑顔があまりに眩しくて、僕は彼女の笑顔を見るためにまたいろいろな観光スポットを巡った。
県を飛び出したこともある。
海を渡ったこともある。
そのたびにお姉さんは心配してくれて、それ以上に喜んでくれた。
僕は、死んでもなお誰かの笑顔を作れていることを嬉しく思い、お姉さんに会い続けた。
函館の夜景を見せた。
東京スカイツリーを見せた。
姫路城を見せた。
沖縄の綺麗な海を見せた。
日本全国、色々な地を巡って、写真を撮った。もうお姉さんの記憶なんてどうでもよくて、ただ単純に、彼女の笑顔を見るためだけに写真を撮った。
「……いつも、ありがとう」
そう言って笑う彼女が本当に美しかった。
でも時間というものは残酷で、いつしか僕のタイムリミットが目前に迫っていた。
四十八日目。
僕はお母さんやお父さん、お兄ちゃんの顔を見て、さんざん泣いた。
未だに仏壇の前で泣くお母さん。誰が使うわけでもないのに僕のグローブを手入れしているお父さん。僕が買い揃えていた漫画の新刊を買って、その日の夜は読まずに僕のベッドの上に置いたお兄ちゃん。
そんな家族のみんなが本当に愛おしくて、本当に別れたくなくて、僕は泣いた。
でも、いつかは旅立たなきゃいけない。
そして家族のみんなにも、早く前を向いてほしい。
四十九日目。
僕は、お姉さんのところに行った。
「お姉さん、僕ね、今日で成仏するんだ」
彼女は驚いたように顔をあげた。どうして? と目で問いかけてくる。
「どうしてもなにも、幽霊って成仏するものでしょ?」
少し強がって、それっぽいことを言ってみたりもする。
「だからさ、もうお姉さんのところには来れないんだ。もう写真を、見せられないし……お話も……でき……」
おかしいな。笑って「じゃ、成仏するから」って言って消えるはずだったのに。涙は昨日家族の前で流しきったはずなのに。
僕は泣きじゃくって、まともに話すこともできずにただただ叫び続けた。
嫌だ、別れたくない。離れたくない。
まだ僕は!
するとお姉さんが僕の頭に手を乗せて、優しく微笑んだ。
「ありがとう。でも、私は大丈夫だから。ゆっくり成仏して、ね?」
僕は。
僕は、僕は、僕は。
僕は、ゆっくりと頷いた。
「ねえ、お姉さん」
右手の小指を立てて、お姉さんの方に突き出す。
「お姉さんもいつか成仏すると思う。その後、僕たちがどうなるかはわからないけれど、もし、生まれ変わりっていうものがあったらさ」
「うん」
「次の人生は、ずっと一緒にいよう」
「……うん」
「この人生では大切なものを思い出せなかったとしても、次は僕が、お姉さんの大切な人になるから!」
絡めた右手がだんだんと透明になっていく。
よく見ると、僕の体全体が透明になりつつあった。
意識が薄くなっていく。
僕が、世界から離れていく。
でも大丈夫。
怖くないよ。
だって、次の世界で僕はまた、お姉さんに出会うんだから。
「約束だよ」
**
「……やっぱり申し訳ないなあ」
お姉さん、というかあたしは少年を見送ってゆっくりと立ち上がった。
まあでもずっと座りっぱなしで、好きな時間にお手洗いに行けなかったことを考えると、罪悪感はどこかへと吹き飛んでいく。
「朱音ー」
遠くから友達があたしのことを呼ぶ声がした。
「あぁ、あおちゃん。やっと成仏したよ」
「お疲れさま。報告によると二週間くらい前から既に幽霊による悪戯は止まっていたみたいだけどな」
「あー、それはそうかもね」
あたしは微妙な顔で頷いた。
幽霊の悪戯をどうにかしてほしい、という依頼を終えたあたしたちは、んーっと背伸びをしてゆっくりと歩いていく。
「ねー、あたし函館に行きたい」
「函館ぇ? 遠くね?」
まあ、函館の写真を撮ってきたときは二日くらい姿を見せなかったしね。
じゃあね。
<『ず』っといっしょにいようね うん>
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