第5話 5日目

「ねえ、帰ろうよ。見えやしないよ」

 近所の山の山頂付近で、ぼくが岩崎くんにそう抗議するのはもう何度目になるだろう。時刻は午前五時。午後ではなく、早朝の方だ。太陽が昇り始め、電車の発車と共にブラック企業に勤める方々の一日が始まっていく、そんな時間帯。

 ぼくたち大学生にとっては、カラオケオールが終了して後悔し始める時間であり、徹夜していたハズなのにいつの間にか眠りに落ちている時間帯だ。

 でも今日はそのどちらでもなかった。ぼくと岩崎くんは二時間前、午前三時に目を覚まし、午前四時には山頂へとたどり着いていた。

 ここからは星がよく見えるため、午後十一時から四時間程度は意外とにぎわっている。ほら、大学生って星とか観に行きがちじゃない? 「今夜星を観に行こう!」って突然言い出した彼氏のことを思わずキッと睨む女の子も多いと思う。ぼくのせいじゃないですよー。

 ぼくは諦めの悪い岩崎くんに再び抗議をする。

「ねえ、諦めようよ。西の空に明けの明星なんて見えやしないんだよ」

「この目で確認するまでわからないだろう!?」

「わかるんだよ。理科の授業でやったんだよ」

 『西の空に明けの明星』

 この言葉にピンと来る人は、今や少ないのかもしれない。かくいう僕だって、たまたま父親とお兄ちゃんが好きだったから横で見ていただけで、全然世代というわけではない。

 ウルトラセブン。

 六十七年に放映されたウルトラマンシリーズの第二作目である。メガネ(ウルトラアイ)をかけてデュルルルルルゥゥンと変身する主人公や、エレキング、キングジョーなどのユニークな怪獣。それにあの『セブゥン セブゥン セブゥン セブゥゥゥン』という独特で耳に残るオープニングを、どこかで観たり聞いたりしたことくらいはないだろうか。

 ぼくはメトロン星人が好きです。

 ウルトラセブンは数々の名シーンや名台詞を残しているけれど、その中でも最終回に吐いたとある台詞が放映後五十年以上経っても未だに物議をかもしている。

 それが、以下だ。

「西の空に明けの明星が輝くころ、一つの光が宇宙へ飛んでいく。それが僕なんだよ」

 ウルトラセブンとの別れのシーン。

 小さい頃に見ると、ただの別れ際の名台詞にしか思えない。どこか詩的で、ロマンチックささえも感じられるだろう。

 けれど、ちょっと待ってほしい。

 西の空に明けの明星?

 明星とはご存じ、金星のことだ。水金地火木土天(改)の二番目、地球の一つ内側を回る惑星だ。そしてその衛星軌道の関係で、金星は明け方、東の空に存在している。

 つまり、西の空に明けの明星なんてないのだ。

「あるもん!」

 なんて岩崎くんは言い続けているけれど、ないんだよ。すると彼は少し不機嫌そうになって、声を荒げた。

「じゃあお前は確かめたのかよ!」

「……」

「お前は西の空に明けの明星がないことを確かめたのかよ!」

 あ……悪魔の証明だ……。

「確かめてもいないのにないって断言して、挑戦する奴を馬鹿にして。確認してもいないのに、あるかないかなんてわからないだろう! そこに星はあるんだ!」

「……ごめん岩崎くん、ひょっとしてオンラインで登録できる怪しげなサロンとかにハマっていたりしない?」

「は?」

「ああああ、ごめんね、さすがにそんなことないよね。ごめん、ちょっと最近観た映画のセリフにそっくりだったからつい……」

「サロンは怪しくなんかねえよ!」

「ハマってんじゃねえか」

 そんなこんなでぼくは紙とペンを取り出して、岩崎くんに惑星の軌道の話をした。というか岩崎くんだって馬鹿なはずないんだからこんな金星の問題中学生のころに解いただろうに。

 そしてぼくは最後に東の空を指差した。

 そこにはらんらんと輝く一番星があった。

 明けの明星、綺麗だなあ。

 証拠を突きつけられた岩崎くんはさすがに諦めたのか項垂れて、俺の負けだ、と呟いた。

「岩崎くんの挑戦する姿勢は好きだけど、無謀なことにあんまりのめりこみすぎるのもどうかと思うよ」

 ぼくがそういうと、彼は鼻で笑ってこっちを向いた。目と目が合う。

「お前だって結構無謀な夢を抱えてんだろうが。都市伝説になりたい、っつー無謀な夢をよ」


 都市伝説になりたい。

 それがぼくの夢であり、ぼくはそれを叶えるために日々を生きている。岩崎くんはそんなぼくの夢を気に入ったらしく、ぼくを都市伝説にするために日々を生きている。

 大学では民間伝承研究会に所属していて、怪奇現象を解決する組織として学内で認知されていた。巷に蔓延る不思議な現象や都市伝説を解析、解決していって、広まる都市伝説の法則を定量化し、ぼくを都市伝説にする。それが、ぼくと岩崎くんの当面の目標だった。

「すっげー今さら何だけどさ。お前はなんで都市伝説になりたいんだ?」

 原っぱに寝っ転がった岩崎くんが、すっげー今さらなことを聞く。

 確かに話したことはなかった気がする。入社してから志望動機を聞かれたような感覚だけれど、まあちょうどいい。

 せっかくなので、ぼくは軽く頭を振って、昔話をすることにした。

 これはぼくが高校生の時の話なんだけどね、という前置きをする。

「高校の選抜プログラムで、マレーシアへの留学に行くことになったんだ。学年で二人くらい選ばれるやつ。岩崎くんの高校にもあったでしょう?」

 当時のぼくは、勉強もスポーツもそれなりにできたけれど、将来やりたいことが見えていなくて、ただ何となくお金は稼いだ方がいいんだろうな、などと思っていた。それなりの大学に行って、それなりの企業に就職して、縁があれば結婚をする。

プロのスポーツ選手になる! やお嫁さんになる! などの明確な夢は何も思い描けず、ただ将来の選択肢が広そうだからという理由で理系に進んだし、きっと将来の選択肢が広そうだという理由で大学や学部を選ぶ。

 そんな自分が、少しだけ嫌いだった。

「留学に行くと世界が変わるっていうでしょ。それを信じて気まぐれで応募したら選考に通っちゃって。一か月間マレーシアに行ったわけです」

 高校生、とりあえず東南アジアに行きがち。

 大学生、とりあえずアフリカに小学校建てがち。

 いや、実際に小学校を建てるような有言実行ができる馬鹿は評価されてしかるべしだと思うけどね。

「英語はそこそこできたから、会話には困らなかったかな。ご飯もそこまで食べられないものはなかったし。現地食をあんまり食べなかったって言うのもあるけどね」

 ナシゴレンは美味しかった気がするなあ。もう一年以上前の記憶なのでかなり曖昧になっているけれど。

「なるほどなあ、留学か。一か月はどうなんだ? 留学としては短い気もするが、それでも十分長いだろう」

 ぼくは少しだけ言葉に詰まった。

 でも、この話をすると決めた以上、隠すわけにはいかない。

「最後の一週間と少し、ぼくはほとんど隔離されていたから、実質二週間程度しか向こうで過ごしていないんだ。だからそこまで長くは感じなかった」

「……」

 岩崎くんは言葉を失っていた。

「それは、体調でも崩したのか? 向こうの流行病に感染したとか」

「いや、いたって健康だったよ。隔離は、罰みたいなものだね。ぼくはやらかしたんだ」

 言葉通りぼくはやらかして、その罰として、そして再び同じ過ちを繰り替えさないために隔離状態になった。

 でもぼくは全く後悔していないし、あの時間があったから、少しだけ自分のことが好きになれた。

「隔離されるほどのやらかし……なんだ、向こうで売春でもしたのか?」

「しとらんわ」

 ぼくは岩崎くんを一喝して話を続ける。

「マレーシアってかなり開発が進んでいてすごいいい国なんだけど、それでも急発展に伴った貧富の格差って言うのは存在するんだ」

「まあ貧富の差ってのは急成長を遂げた発展途上国にはつきもののイメージだな。日本にもないとは言い切れないが」

「それでね、ある日ぼくは自由行動の時間にちょっと無理して遠くまで足を運んだんだ。そしたら怪しげな路地裏で少年少女に囲まれて」

 かなり治安がいいとはいえ、油断はするな。と引率の人に繰り返し警告されていたことを、問題に巻き込まれてから思い出した。

 その少年少女はストリートチルドレンで、裕福そうな外国人を狙ってスリや置き引き、恐喝を繰り返していたようだ。ぼくも標的にされ、呆気なく身ぐるみを剥がされそうになったんだけど、そこでふと思った。

 これは、チャンスなんじゃないかって。

 何のチャンスかはわからないし、どうしてそんなことを思ったかすらわからない。でもまあ、そう思ったんだ。

 ぼくは彼らと交渉をした。幸い現地語だけじゃなく英語も伝わったので、意思疎通は出来た。

「ここでぼくを見逃せば、もっと効率のいい狩りの方法を教えてあげるって言ったんだ」

「ふうん、あんまり褒められた交渉じゃないな。お前が助かる代わりに、他の観光客が犠牲になるわけだ。ストリートチルドレンがまともな教育を受けているとは思えないから、高校生とはいえお前のアドバイスがあればより効率よく金を稼げることは頷ける。それで?」

「紆余曲折あったんだけど、結局ぼくはその子たちと同盟を結んだ。ぼくが作戦を立てて、彼らが実行する。ぼくは日に与えられた自由行動時間のほとんどを彼らと過ごしたし、彼らはより効率よく狩りを行うようになったんだ」

 罪悪感がなかったわけではない。直接手を下したことはもちろんなかったけれど、ぼくの作戦にハマった観光客は間違いなく不幸になるわけだから。

 でも、狩りに失敗すれば逆に子どもたちが不幸になる。

 ぼくはだんだん彼らのことが愛おしくなってきたし、彼らもぼくのことを信頼するようになった。


 そしてその時に、マレーシアのストリートチルドレンに伝わる都市伝説を聞いたんだ。

「岩崎くんは、“イブ”っていう都市伝説を知っているかな?」

 一瞬彼の眉がピクリと動いたように見えた。

 しかし岩崎くんは何事もなかったかのような顔で「さあな、まさかアダムとイブのイブじゃあるまいし」と言った。

 ぼくは首を振って話を続ける。

「イブって言うのは、サンタクロースみたいなものでさ。毎晩毎晩、子どもたちを暖かく迎えてくれて、美味しいごはんを食べさせてくれた後、お風呂とふわふわのベッドを準備してくれる。それで寝る前には絵本を読んでくれるんだって」

「……」

 岩崎くんは口をつぐんだ。たぶん初めてイブについて聞かされたぼくも同じ顔をしていただろう。それは、日本人が夢見るにはあまりにも普遍的だったからだ。

「でもさ、そんな当たり前のことが彼らにとっては夢想するようなことらしいんだ。彼らは言っていたよ。いつか“イブ”と出会って、一緒に眠ってもらうんだって。早くこんな不安で辛い毎日から解放されて、“イブ”と一緒に過ごしたいって」

 ぼくは留学中の自由行動時間しか彼らと一緒にいられなかったので、夜、彼らがどう過ごしているかを知る由もなかった。

 でも、翌日顔に増えている生々しい傷跡や、やせ細っていく体を見て、だいたい察することはできた。

 ぼくは彼らと一緒にイブの名を呼び、一緒に願った。

 もちろんそんな都市伝説が実現することなんてなかったけどね。


 そんなある日、彼らのうちの一人が倒れたんだ。熱はなかった。けれどグループの中で一番やせ細っていて、ふらふらと歩く姿が印象的だったから、ぼくはすぐにピンときた。

 栄養失調だ。

 リーダーに聞くと、悲しそうに首を振って「残念だけど、よくあることだ」と言っていった。よくあってたまるか、そう叫びそうになった。彼は一番作戦への理解が早くて、ぼくに逆質問をしてくるくらい、勉強への意欲があった。お金の計算も早かったから、まともな教育を受けてさえいれば、国を動かす存在になっていたかもしれない。

 そんな子が、ここで死ぬ? それが日常茶飯事だって?

 ぼくはすごく悔しくなって。何もできない自分が本当に嫌になった。

 そこでふと思ったんだ。本当に、何もできないのかなって。

 今までのぼくなら、ここで諦めていたと思う。でも、ぼくは諦めなかった。

 まずは栄養失調の少年に、あと半日意識を保つよう何度も呼びかけた。グループの子たちに協力をしてもらった。

 その時もやっぱり少年はイブの名を呼んでいたよ。彼らにとってイブって言うのはそれくらい意味のある、縋りつける存在らしい。キリシタンにとっての神様みたいなね。

 そしてぼくは、決断した。

 一週間と少しの付き合いだったけれど、自分を変えてくれたストリートチルドレンたちに感謝の意を込めて、ぼくは留学を棒に振ったんだ。

 引率の人に事情を説明して、少年を病院へ送り届けてもらった。

 足りないお金は必ず払うから、と余分に持ってきていた大金をすべて預けたよ。

 その結果、ストリートチルドレンと交流をしていたことに対する罰として残りの日数は隔離状態になった。

全部自己満足だったよ。もちろん帰国後に親にものすごい怒られたし、学校からも厳しい注意を受けた。

本当にあの行動に、それだけの価値があったのかはわからない。

 もちろん隔離されたから、倒れた彼がその後どうなったのかなんて知らない。そのまま死んだ可能性だってあるし、そこでいったんは生き延びても、どうせまたあの生活に戻ってしまったら、この先長くはないかもしれない。

 ぼくに力がないせいで、最後まで面倒を見切ることができなかった。

 そういうと、岩崎くんは少しだけ優しい顔で「いや、高校生なりに頑張ったと思うぞ」と言った。

「まあ、そうかもね」

「それでお前の人生観が少しだけ変わったってわけか。あれ、でもその話がお前の夢とどう繋がるんだ?」

「あの時のストリートチルドレンたちを見て、“信じる”力の強さを思い知ったんだよ。彼らにとってイブは、日ごろ生きていくための支えであり、苦しい中でのより所だった。何もできずに引率の人に頼るしかできなかったぼくや、ぼくが訴えるまで見て見ぬふりをしていた救急の人、引率。その誰よりも、イブは彼らの心を奮い立たせていた」

「心の拠り所か。無神論者の俺には想像しにくいけどな」

 ぼくも想像しにくい。言葉を続ける。

「ぼくもそんな風に、人の心に巣食って、彼らを奮い立たせるような、そんな存在になりたいんだ。それが、ぼくが都市伝説になりたいって思い始めた所以。長々と聞いてくれてありがとうね」

 時計をちらりと見ると、話し始めて三十分以上が経っていた。喉が渇いたのでペットボトルのお茶を飲む。

 いつも心の片隅にいて、行動指針に影響を与える存在、都市伝説。

 大げさなことはなにひとつ言っていない。

 だって、髪の毛を洗っている最中に「だるまさんがころんだ」って思い出しそうになったら慌てて中断するだろう?

 夜中に怪しい人影が見えたら、とりあえず避けるだろう?

 だったらそれとは逆の、プラスの都市伝説だってあるはずだ。

 何かしらの恩恵をもたらして、人々の希望になる。そんな都市伝説があるはずだ。

 だからぼくは、都市伝説になりたい。


 しばらく間をおいて、岩崎くんが、これは言おうかどうか迷ったんだけど、と前置きをした。

「お前、マレーシアの公用語が英語じゃなくてマレー語ってことは知ってるか?」

 やっぱり岩崎くんは知っていたか。ぼくは苦笑する。

「そうだね。話せないけど」

「そっか。じゃあ、マレー語でイブ……“Ibu”の意味についても調べたんだな」

「うん。その意味を知った時、あらためてやりきれない気持ちになったよ」

 ストリートチルドレンたちの、日に日に増えていく生々しい傷跡や、ろくに与えられていない食事。

 そんな環境下にいても、結局彼らは信じ続けた。

毎晩毎晩、子どもたちを暖かく迎えてくれて、美味しいごはんを食べさせてくれた後、お風呂とふわふわのベッドを準備してくれる。寝る前には絵本を読んでくれるような存在を。

自分には決して手に入らない、それでも夢想せずにはいられないその存在を。


ぼくはいつか、そんな人たちの希望になりたい。確かに存在する、心の拠り所になりたい。

あの留学経験が、ぼくにそんな考えを植え付けた。

これがぼくの昔話。

あたりはすっかり、明るくなっていた。


<『お』かあさん 不在>

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