第3話 3日目
今日は朝からなんか変な感じでさ。
魚釣りのために太陽よりも早く家を出た俺は、朝もやのかかったうす暗い道を一人でとぼとぼ歩いていたんだ。眠いなあ、だとか釣り具が重いなあだとかそんなことを思いながら坂道を登っていると、日本人なら誰しもが聞いたことあるであろう耳馴染みの深い音が聞こえてきたんだよ。
ホーホケキョ。ケキョケキョケキョ、キャッキャッキャッキャ。
そう、ウグイスの鳴き声さ。
半ば眠りながら歩いていた俺は急に聞こえてきたその鳴き声に本当に驚いて、思わずのけぞって発信源を探したね。でも声の主を見つけることはできなかったんだ。
毎年この時期になると頻繁にウグイスの鳴き声を聞くのに、一回も本物を見たことがないなってふと思った。君もそうじゃない? 木に止まっていたり飛んでいたりする生のウグイスって見たことある?
そんな話はまあいい。
それでさ、へえ、こんな朝早くからウグイスって鳴くものなんだって意外に思いながらも歩いていると、進行方向遠くの方から年老いた女性がとぼとぼとこちらに向かってくるのが見えたんだ。
さっきも言った通り、まだ太陽もほとんど出ていない時間帯だったし、朝もやもすごかったから最初は全然気が付かなかった。
遠くに人影が見えるなあ、って認識してからもしばらくはそういう置物か見間違いだと思っていたんだ。だって、その人影、ほとんど動いていなかったからね。
ゆら……ゆら……、とそんな風にとてもゆっくりと左右に体を揺らしているものが、老婆だと気が付いた時はこれまた驚いて。だってまだ早朝よりも早い時間だよ。いくら老人は早起きをするものだといっても限度がある。
それに、すごく失礼な物言いになってしまうんだけど、道ですれ違う知らない老人ってちょっと怖くないかい?
もちろん女性にとっては見知らぬ屈強な男性の方が怖かったりするのかもしれないけれど、そういう人間的な恐怖ではなく、どちらかというと心霊的な恐怖を抱くことが俺にはあるんだ。
老人からはやはり、少しだけ死の香りがする。
だから俺は少しだけ足早になって、ゆら……ゆら……と揺れている老婆とすれ違おうとしたんだ。出来るだけ目も合わさないように気をつけながら。
でも、すれ違う直前につい、老婆の方を見てしまった。
フードを被って俯いているその老婆は、ニタニタと笑っていた。
口が裂けているんじゃないかと勘違いするくらい、大きな口を横に伸ばしてニタニタと笑っていたんだ。
それを見て、何か根源的な恐怖をおぼえた俺は、ダンッ、と無理やり足を踏み出してそのまま歩き去ろうと思った。
でも俺は結局足を止めてしまった。
すれ違いざまに、老婆がぼそっと言った言葉に足を止められてしまったんだ。
「ウグイス、買わんかね」
混乱したよ。
挨拶でもなく、不吉な言葉や呪いの類でもなく、「ウグイス、買わんかね」だよ。
意味が分からなかった。意味が分からなかったから足を止めて老婆の方を見たんだ。
老婆は何かを包んでいるのか両手を体の前で交差させていて、フードを深くかぶったままニタニタと笑い続けていた。
そしてそのまま両手を広げて、手のひらをこちらに差し出してきたんだ。
そこにはウグイスが乗っていた。
それはポキリと首が折れていて、鳥についてよく知らない俺でも一目で死んでいることが分かった。
その小さな、濁ったウグイスの瞳とばっちり目が合ってしまって、俺はそこから一歩も動けなくなったんだ。
ケキョケキョケキョ。
死んでいるはずのウグイスがびくん、と体を震わせてそう鳴いた瞬間、俺は悲鳴をあげて後ろに倒れこんだ。
キャッキャッキャッキャ。
その鳴き声は、周りのものなのか、目の前の死体が囀っているのか。ただなんとなく、俺の内側から聞こえてきているような気がした。
俺はウグイスの死体から目を逸らすことができなくなった。
吸い込まれるように瞳に見入った。
「ウグイス、買わんかね」
われに返った時には、すでに老婆は消えていて、あとは大切そうにウグイスの死体を握りしめている俺がいた。
ただの死体なのに、すごく大切そうに抱えていた。
その異常さに気が付いて、俺は慌てて道端に死体を投げ捨てたよ。
さっきの老婆は何だったのか、そもそもさっきまでの俺は何に魅入られていたのか。何も理解できなかったけれど、時間を確認すると遅刻ギリギリだったので慌てて走ってきたわけ。
だからそんなに怒らないでほしいな。むしろこんな怪異現象を体験してきたって言うのに二分程度の遅刻で済んだことを褒めてほしいくらいだよ。
ごめん、褒めてほしいはちょっと調子に乗ったね。遅刻してごめんなさい。ジュース奢るから機嫌直して。
ん? なんだって?
ウグイスの死体はどうしたのかって?
さすがに怖いし気持ち悪かったから捨ててきたよ。あれ、言わなかったっけ。
なになに?
釣りの道具は持ってこなかったのかって?
何言ってんだよ、ちゃんと持ってきて……
あれ? ちゃんと持ってきたはずなんだけど、どこかに置いてきたのかな。
え、なんだって? 今日の釣りは中止でいい?
なんでだよ、せっかく早起きしてきたのにさ。
ま、いいや。俺は笑いながら両手を広げた。ところでさ。
「ウグイス買わんかね?」
ケキョケキョケキョ。
**
「都市伝説って言うのは、生まれては消え、生まれては消えを繰り返していくものなんだよねー。一握り、ほんの少しの都市伝説のみが世界中に広がり、様々な尾ひれをつけながら進化して、日常へと溶け込んでいく」
口裂け女、人面犬。フリーメイソン、陰謀論。くねくね、コトリバコ。
様々な世代で都市伝説は生まれ、消えていく。真実であろうと虚構であろうと、おもしろかろうとつまらなかろうと、人を惹きつけるもののみが残り、あとはすべて消えていく。
自然と淘汰されていき、残った都市伝説はより人を惹きつけるよう進化していく。
「都市伝説が生き残るための条件のひとつって、なんだと思う?」
少女と呼ぶには少し年を重ねているその女性が、柔らかな口調で歌うように問いかける。
「それはね、わかりやすいこと、なんだよ」
わかりやすさ。
難解な話や解釈が分かれるような話は都市伝説としては広まりにくい。わかりやすく人間の心に恐怖を刻むことこそが大切なんだと彼女は言う。
だからさー、と、間延びした口調で彼女はそれを睨み。
「ウグイスって、ちょっとわかりにくいんだよね。ホーホケキョって鳴くの、ホトトギスじゃないの?」
鳴かぬなら、フライドチキンにして食うぞ。
ちなみにホーホケキョ、と鳴くのはウグイスで正しく、ホトトギスはウグイスに托卵する習性があるのみである。ただしこの二種類の鳥は混合されやすい。
「そういう疑問が一瞬でも頭に過るような都市伝説は、聞いている途中で現実世界に引き戻されるような感覚になってしまうので、広まりにくいんだ。鶯売りさん」
そう言って彼女は。
生まれた都市伝説を消し去ることができる、『怪異切り』の異名を持つ彼女は。
「貴方についた怪異の類、私がこの手で切り祓いましょう」
軽くウインクをした。
<『う』ぐいすうり 討伐>
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