九州大学文藝部・追い出し号 『生前葬』

九大文芸部

ある雪の日、男が歩いていくお話   作・秋月渚

 ざくざく、と雪を踏みしめて歩く一人の男の姿があった。彼はすらっとした体躯を黒いコートに包み、マフラーと手袋を身に付けていた。どちらも、色は黒。


 男は急ぐふうでもなく、ただひたすらに足を交互に動かしている。彼が足を動かすたびに足元にある融け残りの雪がざくざくと音を立てる。


時刻は日付が変わって午前一時前。ところは住宅街を突っ切る一本道。起きている者もいるのかもしれないが、少なくとも見える範囲には人影は見えず、窓に明かりがついているということもない。


そんな道を、男は一人で歩いている。そんな中、彼は時おり立ち止まって、ほう、と息を吐く。吐き出された息は白く可視化され、目の前を揺らめいた後に天へと昇っていく。


男は白が流れていく様子をぼうっと見つめた後、マフラーを口元に引き上げ背を丸め、再び歩き出す。


先ほどよりも心なしか足早に歩いていく男は、それでもどこかゆったりとした雰囲気をまとっていた。


街路灯によって照らされた道には、昼間に降った雪が融け残っている。しかし男は気にした様子もなく雪を踏んで歩く。


ざくざく。


ざくざく。


ざくざく、と。


不意に、びょおおう、と風が吹く。男はコートの前を合わせ直し、風に耐えるようにぎゅっと目をつむる。


落ち着いた、ともすれば老成したともいえるような雰囲気を持つ男だったが、その顔は予想外に幼い。幼いと言っても大人の男にしては、であるが。


その子供のような顔を再び前に戻すと、彼は再び足を前に出す。


しかし、今度は驚いたように眉を上げ、足を止める。そして懐から携帯を取り出すとスリープを解除する。携帯のぼんやりとした光に照らされた横顔は微かに笑みをたたえ、口からは細く白い息がたなびく。


そして男はいそいそと携帯を懐にしまうと、今度は傍目にも分かるほどに足早に歩き始めた。


そのまま静かな道を足早に通り抜けた彼は、ひとつのマンションの前で立ち止まった。一度そこで上を見上げた彼は、何かを見つけて顔をほころばせる。


エントランスを抜け、エレベーターで昇り、ひとつの部屋の前に立つ。カバンから取り出した鍵を鍵穴に差し込み、ゆっくりと回す。


がちゃん、と控えめに錠の開く音がして、男はドアノブを掴んで回す。


やあ、といった風に手を挙げながら男が部屋の中にいた女にただいま、と声をかける。


女は呆れの中に愛情をこめて彼におかえりなさいと答える。そして彼女はおもむろに右手を挙げると、私に叩きつけた。




「ねえ、肩にこんなに雪を乗せていたのに気が付かなかったの?」


「ん? ああ本当だ、道理でなんだか肩のところが冷たいと思ったんだよ」


「もう、しっかりしてよね」


 ごめんごめん、と謝りながら彼はドアを閉める。その間際、彼は私の方を向いて小さく手を振った。


 そして彼はドアを閉めた。


 パタン。

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