第15話 暗影

 空が割れたかのような衝撃がラドルファスを襲った。凄まじい地響きと、鼓膜が破れるほどの轟音。地面に伏せながら状況の把握に務める。竜の炎は街の東を焼き焦がしたようで、ここからでも白炎が、破壊された建物の瓦礫を嘗め尽くしているのが分かる。


「サフィラ! レスティリア! 無事か?」


「……はい!」


「こっちも大丈夫」


 被害は甚大だった。着弾地点から外れたここでも、一部の建物は崩れ、あちこちに破片が散乱している。そして白い炎、あれは。あの森で見たのと同じ​────


 瞬間、ラドルファスは殺気を察知して地面に身を投げ出した。先程まで彼が居た場所を剣先が通り過ぎる。


「あれもお前の差し金か?」


「……違う。だが、好都合なことには変わりない!」


 ターラントの猛攻を何とかしのぎながら、ラドルファスは必死に打開策を考えた。……このままでは埒が明かない。先に体力が尽きるのはこちらだろう。なんとかして暁ノ法を使わなければ。優位点はそれしかない。


 ラドルファスはひとつの暁ノ法に思い至っていた。消費する法力エンシェントは莫大だが、サフィラなら。その気持ちが法力回路エンシェント・パスを通じて伝わったのか、彼女から強い意志が返ってくる。ラドルファスとて、ペルーダとの戦いで実力不足を感じている。何もしてこなかった訳ではない。


「撃て​────」


 呟いた瞬間、ターラントが素早く飛び退く。部下たちを串刺しにした「フィブル・ソーン」を覚えているのだろう。しかしそれはブラフだ。生じたわずかな隙に、ラドルファスは畳み掛けるようにことばを紡ぐ。


我が身を剣と成せヘリオス


 直後、ラドルファスに襲いかかったのは痛みでも衝撃でもなく、圧倒的なまでの冷たさだった。


 法力エンシェントは扉のようなものだ。対して、ことばは鍵だ。夜狩りたちはこのふたつを使って門を開き、この世界にはない「破壊」や「炎」、「衝撃」を解放する。本来それらはこちらの世界とは隔絶されている。だから、鍵と扉は共には存在できない。人間は法力エンシェントを宿せず、扱える。《影》は法力エンシェントを宿し、扱えない。


 法力エンシェントは力そのもの。これを宿す《影》たちは人間の数倍の力を誇る。​────ならば、法力エンシェントを扱える人間にその力を適用すれば。さらなる身体能力を得られるのではないか?もちろん、門を開く、すなわち扉を開く一瞬法力エンシェントを流すならともかく、それを身体の内に流すとすれば、の適用は免れない。呪法を得意とするラドルファスでも耐えられるのは数秒未満。さらに、本来の用途以外の法力エンシェントの使用は、大きな負担を招く。


 ラドルファスとサフィラにしか叶わない暁ノ法。


 身体に染み渡っていく冷たさに耐えながら、ラドルファスは風よりもなお疾く地を駆けた。何もかもが遅い。驚愕の面持ちで剣をこちらに向けるターラントですら、以前の数倍鈍く見える。


 そのまま、《影》の心臓へ向けて一対の短剣を叩き込む、瞬間。サフィラとの法力回路エンシェント・パスが解かれるのを感じ、同時に凄まじい眩暈がラドルファスを揺さぶる。しかし刃の勢いは衰えない。肉に短剣が埋まる嫌な感触が腕に伝わり、ターラントが崩れ落ち​────


 刹那、ラドルファスの視界が激しくスパークした。頭が真っ白になるよりも速く、肋骨がひしゃげる感覚と共に、地面に投げ飛ばされる。


「ぁ、が……ッ! ごほっ、」


 暁ノ法の反動で勢いよく吐血しながら、ラドルファスは潰された虫のようにもがいて立ち上がろうとする。が、それよりも獣の如く飛びかかってきたターラントの方が速かった。遅まきながらラドルファスは失策を悟る。「我が身を剣と成せヘリオス」が予想よりも持たなかったせいで目測を見誤り、短剣の刃は心臓を僅かに外れている。


 だとしても、とてもラドルファスを振り払うようなことができるような傷ではない。傷と口からはドス黒い血が溢れ、完全に血走った目には苦痛ではなく憎悪しか映っていない。ラドルファスは初めて《影》に気味悪さを感じた。死に体の赤い剣先が殺意だけを込めて迫り、咄嗟にその刃を両手で掴む。彼は唇からボタボタと血を垂らしながら、渾身の力を込めてラドルファスを粉砕しようと吼えた。


「くそッ! 死ね! 早く死ねッ! 人間だけは許さない……ッッ!!」


 目からも血を零すターラントの力と相反して、ラドルファスの手からは力が抜けていく。無我夢中で刃を押し返そうとして身体を叱咤するが、暁ノ法の影響で溢れる血が止まらない。視界がチカチカと赤く瞬き、意識が遠のいていく。ついに両腕から力が抜けようとした時。


 ターラントの胸から鋭い何かが生えた。


「ごッ……!?」


 霞む視界の中でなんとか目を凝らす。短剣に加え、槍に串刺しにされた《影》は赤い剣を取り落とし、そのまま勢いで後ろに倒れた。溢れる血を受けて立っているのは​────レスティリアだ。


 もうターラントはぴくりとも動かない。先程までの力が嘘のようだ。


 《影》は死んだ。


「れ、すてぃ、」


「待って。動かないでください。暁ノ法は使えますか?」


 ラドルファスはまた咳き込んだが、いつの間にかサフィラとの回路が繋がっていることに気がついた。かなり弱々しいが、彼女自身もふらふらとこちらに向かってきているのが分かる。


「……っ、還れ、水流……、二十一の門よ……」


 苦手な暁ノ護法だったが、なんとか発動してくれる。ないよりはマシだ。表面だけではあるが、傷が塞がるのを感じてほっと息を吐く。


 視界の端で、暗い顔をしたレスティリアが、翼砕の槍から血を振り落とすのが見えた。







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