第13話 東雲結界

 思わず振り返ったラドルファスの目に飛び込んできたのは。飛び散った血と、半分になった人間。そして黒靄に包まれた長い蔦のようなものが伸びる、植物に似た《夜》だった。


「どうして……!? ここには灯火があるはず……!」


 レスティリアが叫ぶ。​─────その疑問はもっともだ。朝の灯火に守られているはずの街中に、どうして《夜》がいるのか。


 驚きに固まる三人をよそに、ギザギザとした歯が生えた、《夜》の食虫植物のような捕食器が地面に落ちている下半身を食らう。それだけでは満足しなかったのか、次の獲物を吟味するように蔦を蠢かせた。


「サフィラ!」


 走りながら、ラドルファスは《影》の少女に向かって呼びかけた。応じた彼女が法力回路エンシェント・パスを起動。法力エンシェントが流れる冷たい感覚が背中を走る。


「穿て黒鋼、十六の門よ!」


 ラドルファスが得意とする暁ノ呪法「キーン・クロウ」が速やかに発動し、黒い刃に夜明けの色が灯る。より鋭くなった刃は、たとえ夜の霞でも容易く切り裂くことができる。


「シッ!」


 気合いと共に短剣が閃いて、今にも住民に襲いかからんとしていた《夜》の蔦を切断する。《夜》はけたたましい奇声を上げて、ラドルファスに向き直った。住民から、自らを傷つけたものに敵意が移ったようだ。


 すぐ後ろで、レスティリアも別の《夜》と対峙している。​──────一匹ではないということは、まぐれである可能性は低い。まさか、門が破られたのか。


 そこで《夜》が蔦を振り回しながら襲ってきたので、ラドルファスは一旦思考を中断した。さほどの強さではなく、一対一ならまず負けることはないだろう。が、慢心は死に直結していることをラドルファスは知っている。


 何回目かの攻撃の隙を縫って、ラドルファスは勢いよく跳躍した。核は捕食器の中心にある。《夜》は蔦で迎撃しようとしたが、長い蔦では懐に潜り込んだ敵を攻撃することはできない。次の行動に移る前に、短剣が寸分違わず核の中心を貫いた。核が砕ける感触と共に、断末魔の叫びが轟く。レスティリアの方はまだ《夜》と戦っているようだった。


「やあっ!」


 見事な槍捌きで《夜》の攻撃を寄せ付けず、カウンターの一撃で核を砕いたレスティリアは、なるほど巫女に相応しい威厳を放っていた。彼女は夜狩りではないので、暁ノ法は使えないはずだが、翼砕の槍は竜以外の《夜》にも効果があるらしい。


「大丈夫か……!?」


「はい、こちらは片付きました……でも、どうして街中に夜が……? 原因を突き止めなければ!」


 レスティリアの意見はもっともだったが、上空に悠々と浮かぶ六翼の竜を無視する訳にもいかない。しかし、街中に《夜》が出るとなれば防衛も一筋縄ではいかないだろう。


「ああ、賛成だが、時間がない。何か心当たりとかは……」


「心当たり、ですか……申し訳ないですが、何も……」


「……嫌な感じがしない」


 そこにサフィラが口を挟んだ。巫女が不思議そうに彼女に問い返す。


「嫌な感じ、とは?」


「なんだっけ、その……灯火? それが傍にある時は、いつも嫌な感じがするのに、今はしない」


「……っ!」


 ​​────そうだ。よく考えてみれば、朝の灯火がある限り、門が破られたとしても夜が街中に入ってくることはできない。つまり、灯火に何か異常があったと考えるべきだ。


「レスティリア! 灯火はどこだ!?」


 走り出したラドルファスとサフィラを追いかけながら、彼女は一瞬で答えを出した。


「等間隔に配置してありますが、一番近いのは東雲結界アストリアスがある広場です!」


 アストラの道などまるで分からないラドルファスにも、前方の広場は丸わかりだった。しかし、近づくにつれて違和感が大きくなっていく​────明らかに、暗いのだ。


「おい……いつもあんな感じなのか?」


 隣のレスティリアは激しく息を乱していた。ラドルファスの言葉にも答えず、彼女は更に走るスピードを上げる。酷い動揺が伝わってきて、ラドルファスは否が応にも理解する。異変が起こっているのだと。


 辿り着いた広場は、半ば神殿のようになっていた。白い石柱がぐるりと円形に立ち並び、これまた白い石でできた床には凝った模様が掘られていた。中央に毅然と佇む祭壇からは細い溝が伸びている。これまで見たものよりも圧倒的に大きい、朝の灯火を燃やす灯台が印象的だった。が、肝心の灯台の火は全て消えており、そこには核が転がっているだけだった。


「朝の灯火が消えている!? そんなまさか……」


「……こういう事は、今まであったのか?」


「いいえ。あるはずがありません。灯火が消えれば、《夜》は街中に現れて全てを破壊するでしょう。幼子でも分かることです。しかし核が燃え尽きるまで、炎が自然に消えることはない。一体誰がこんな事を……」


 レスティリアはかなりショックを受けているようで、力なく項垂れる。やはりまだ年若いせいか、人の悪意というものに慣れていないのだろう。ラドルファスとて経験は浅いが、それでもテイワズが嗤いながら噛み砕かれる瞬間の音は忘れられない。人の悪意とは、そういうものである。


「レスティリア、気持ちは分かるが……」


「……はい。やるべき事を為さねばなりませんね」


 彼女は素直に頷くと、祭壇に向かって歩いていく。ラドルファスはその間に灯火を復活させることにして、開いたままの法力回路エンシェント・パスから力を引き出す。


「灯せ」


 一節で詠唱した下級の暁ノ攻法、「ティンダー」が無事発動し、飛び立った炎たちが核に触れる。ほんの僅かな火種にも関わらず、核は一瞬で燃え上がり、朝焼けの色のような、不思議な色の炎を揺らし始めた。これで一安心だと息を吐いたラドルファスは、不意に先程のサフィラの発言を思い出した。


「なあ、さっき、灯火に近づくと嫌な感じがするって……」


「……大丈夫。少し不安な気持ちになるだけで、どこもいたくない」


 そのズレた答えにラドルファスが反応する前に、祭壇に手を当てて目を閉じたレスティリアが二人を呼ばわった。


「……お二人共、お話中すみませんが、結界が使えそうです」


「起動方法は?」


「分かっています。ちょっとした秘技をお見せしますよ」


 巫女はからかうように言ったが、すぐに表情を消した。先程以上の緊迫がやってきて、ラドルファスは息を呑む。


 鮮烈な赤色をした翼砕の槍が、その緋を増した。彼女は槍で自分の手のひらを突き刺し、血を祭壇に垂らす。レスティリアは威厳とともに口を開いた。


『第九十七代目アストラの巫女、レスティリア・アーダーメストの名において命ずる。時は満ちた。過ぎる雷鳴ヴァーヴェングラート銀の鷹ステラアロウ星を堕とす閃光シュメーカーよ、開戦の暁角を高らかに鳴らせ。夜明けが未だ遠いならば、竜殺しの再来を!』


 長い言葉が最後まで紡がれた瞬間、祭壇から肌で感じるほどの法力エンシェントが溢れ出した。純粋な力の波動が肌を焼く。限界まで張り詰めた空気が一気に霧散し、数多の細い溝を赤い光が駆け登る。


「​────!」


 思わず息を呑んだラドルファスは、さらに驚くべき光景を目にした。赤い光は瞬く間に灯台に到達すると、蛇のように石柱を這い登り、朝の灯火に殺到していく。光を受けた炎は僅かに輝きを増して​────


 炎が黄金に変わっていく。


 暁の色と黄金が混じった炎は、とても神聖なもののように感じられた。


「これで東雲結界アストリアスは起動できました。ただ、完全に効力を発揮するためには少し時間が必要です」


「時間か……どのくらいだ?」


「残り三十分ですよ、夜狩り」


 答えたのはレスティリアではなく、冷たい響きを孕んだ男の声だった。振り返ると、そこには巫女の護衛、ターラントと十数人の男たちが立っていた。彼の表情はどう解釈しても、結界の起動を喜ぶものではなかった。


「ターラント! 今までどこに? 住民の避難は済んだのですか?」


「知りませんよ、そんなこと」


「……え?」


 レスティリアの案じるような声を一蹴したターラントは、鞘から剣をすらりと抜いてこちらに向けた。細身の優美な剣先は、まるで何十人の人を殺したかのようなどす黒い紅だった。


「あなたはもう用済みだ。忌まわしい夜狩り共々、ここで死んでもらいます」

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