第10話 六翼の竜
宿を探したものの、この時間では部屋を探すのにも一苦労だった。なんとか見つけた宿も二部屋しか空いていなかったので、当然とばかりにサフィラとラドルファスは一つの部屋に押し込められた。今回は迷惑をかけたので強くは言えないが、サフィラと同室というのはやはり気まずい。
歩きながら聞いたシルヴェスターの話をまとめると、最近、この近辺で見たこともないほどに巨大な【夜】が現れるらしい。命懸けで情報を持ち帰った夜狩りからすると、六枚の翼を持った竜型の【夜】らしく、四年前に現れて甚大な被害をもたらした【夜】と同一個体である可能性が高い。
が、アストラの住人は無謀にも、まだ十七にしかならない《竜殺しの巫女》にその【夜】を討伐させようと躍起になっており、夜狩りの介入を受け付けないという。かなり面倒な事態だ、
あれこれと考え事をしていると、ふとサフィラが部屋の入口に立ったままなのに気がついた。
「サフィラ、どうした?」
「……ねえラド、私って……気持ち悪いかな?」
「何を言って……」
俯いたままサフィラが発した言葉に驚いたが、すぐに原因が思い至った。ウィスタリアだ。
「そんなわけないだろ。あんなやつの言う事なんて気にするな。他の奴らがどう思おうが知らないが、俺にとってはお前が一番のパートナーだよ」
「ラドルファス……!」
サフィラは久しぶりに嬉しそうな顔を見せてくれたが、遅ればせながらラドルファスは、さっきの言葉があまりにも甘すぎることに思い至った。
(うわ、俺何言ってんだ……)
今更ながら非常に恥ずかしくなってきたが、口に出した言葉は戻せないし、たとえ戻せたとしても、「やっぱりさっきのはなしで!」なんて、瞳を輝かせて抱きついてくるサフィラに言えるわけがない。それに、先程の言葉が臭かろうとなんだろうと、ラドルファスの紛れもない本心であることに変わりはない、ないのだが……
「ラド、どうしたの? 顔真っ赤だけど……もしかして、熱でもあるの!?」
「なんでもない、なんでもないから放っておいてくれ……」
◇◇◇
ドン!と扉がノック……というよりも叩かれた。微睡みの中から引き戻されたラドルファスは目を擦る。この部屋にはベッドが一つしかなく、サフィラとの押し問答の末なんとか寝かせることに成功し、やっとの事で椅子で眠っていたのだった。窓の外を見ると、もう大分明るくなっていた。夜明けだ。ラドルファスがのろのろと扉に向かう間にも、扉は叩かれ続けている。
「……こんな時間に、誰だよ?」
ぼやいたラドルファスは、とりあえず扉を開ける。瞬間、何かが胸に勢いよく飛び込んできて、気を抜いていたラドルファスは床にひっくり返った。これが敵だったら間違いなく死んでいたが、そうではなかった。やたらともふもふした何かが耳元で叫ぶ。
『大変だ! 大変だよラドルファス! 起きろ!』
流石に覚醒してきたラドルファスは目を剥いた。胸元で落ち着きなく翼をばたばたさせているのはランディだった。
「おいランディ、俺はともかく他のやつを起こしたらどうするんだよ。大体、見つかったらどうするつもりだ?」
『どうでもいいよそんな事! それより、シルヴェスターが大変なんだ!』
「……シルヴェスターが?」
ラドルファスは小竜を引き剥がして立ち上がった。ランディはまた急いで飛んでいく。どうやら、ついてこいということらしい。扉を閉めて、ラドルファスも急いだ。正直ランディが他の客に見られやしないかと気が気ではなかったから、部屋に着いた時にはまだ何も終わっていないというのにほっとしてしまった。竜は器用に扉の取っ手を咥えて開ける。
「シルヴェスター! 大丈夫か!?」
「……ランディはいちいち大袈裟なんだよ。死にゃしねえよ」
そう言いながらも、シルヴェスターは激しく咳き込んだ。その手からぱたりと血が垂れ落ちる。彼は顔を顰めて
「おい暁ノ法使うなよ! 悪化するだろ!」
シルヴェスターはラドルファスの言葉には答えず、手に持った瓶から薬を呷った。
「ぴーぴー騒ぐなよ……薬があった所で、それは進行を遅くするだけで止めるわけでも治すわけでもない。こうなるのは当たり前だろ?」
その言葉に背筋が凍った。それは紛れもない事実だが、無意識に目を背けていたことをいざ目の前に差し出されると、息が詰まるような心地を覚える。極夜病に罹った時点で、緩やかに死んでいっているようなものだ。ただ、病の進行を止める方法はある。
「……暁ノ法を使わなければ、極夜病は進まないだろ」
「俺に夜狩りを辞めろと?」
咄嗟に肯定できなかった。目の前に座るシルヴェスターは病人とは思えない威圧を放っていて、それは夜と相対した時のざわめきよりもずっと大きく身体の中で渦巻いた。今、シルヴェスターは間違いなく
「ふざけた事言ってんじゃねぇよ。夜狩りを辞めた俺は俺じゃない。それなら死んだ方がよっぽどマシだ……まあ、次はないだろうがな」
翠玉の瞳が苛烈な光を灯してラドルファスを見据えた。何も言葉を発することができない。シルヴェスターは戦いの中で死ぬつもりでいる。もちろん今ではないだろう。だが、そう遠くない未来に彼は死ぬ。そして、ラドルファスにはそれを止めることができないのだ。恐ろしい想像に口が凍りついたように動かない。黙っていると、急に彼の気迫が薄くなった。そのままベッドにずるずると倒れ込む。
「.......疲れた。いつ【夜】が来るか分からない。お前ももう少し寝とけ」
「……分かったよ」
ランディが心配そうにベッドの周りを跳ね回っている。ラドルファスはできるだけそうっと扉を閉めて、サフィラの元へと帰った。
◇◇◇
次の日にようやくシルヴェスターは起きてきた。彼は何事もなかったかのように訓練を始めたが、ラドルファスは暗い想像を打ち消せずにいた。とはいえ、ここでうだうだ言っていても仕方がない。結局、強くなるしかないのだ。弱ければ失う。ただそれだけだ。
座学が中心だったが、ラドルファスはこれ以上ないくらいに打ち込んだ。サフィラとはあの一件以来とても上手くいっていたので、暁ノ法の扱いはより精度が良くなった。
よし、今日はこれで終わり、とシルヴェスターが言った頃には、もう夕方を過ぎていた。もうすぐ【夜】が活動する時間がやってくる。昨日は街の外に出て【夜】を狩ったのだが──
「下が騒がしくないか?」
「ああ……なんだか、この時間にしては暗いような……」
ラドルファスは窓から外を確認して絶句した。
「シルヴェスター、あれ……」
「はは、まさかこれ程までに大きいとはな」
何かが空に浮かんでいる。そのあまりの大きさの影が、空を暗く見せていたのだ。窓からでは全体像を把握できない。シルヴェスターは素早く
「あっ、おい!」
ラドルファスも続こうとして、サフィラを思い出す。暁ノ法をかけたとしても、彼女はここから飛び降りるなどとてもできないだろう。
「ラド、暁ノ法をかけて」
「サフィラ?」
「足手まといになりたくない。これくらい、私でも降りられる」
サフィラは決意を両目に閃かせて言った。実は、【影】の方が人間よりも身体能力が高いので、彼女自身がそう言うならば止める理由はない。少女は一瞬躊躇ったものの、ちゃんと窓から飛び降りた。ラドルファスも続く。
「ほら、見て。凄いでしょ」
上手く着地できたと得意げな顔をするサフィラに返答する前に、道の向こうの方からシルヴェスターの怒号が聞こえた。
「おい、いつまでやってる? 早くしろ!」
彼女は不満げにぷくりと頬を膨らませたが、ラドルファスが促すと走り始めた。
「上を見てみろ。攻撃が通るか怪しい大きさだな」
程なくしてシルヴェスターに追いつくと、彼は上空を指さした。言われた通り見上げると、想像の何倍も大きい。ペルーダやランディが小さく見えるほどの大きさだ。流石に街の上空を覆い尽くすほどではないが、一つ一つのパーツがランディ一匹分くらいはある。しかし、ラドルファスの胸は高鳴った。これが、奴が、父親を殺した【夜】なのだ。復讐相手に手が届きそうなのだ。
「こんなのを巫女に殺させようとしているのか? 無茶だろ……」
「それには俺も同意だ。ただ、《翼砕の槍》は欲しいな」
会話しながら街の門まで走る。夜も近いので閉まっているかと思いきや、門は空いていた。そこには兵士も含め、多くの人が集まり空を見上げては話し合っている。そのお陰でこっそりと外に出ることには成功したが、こんな所にいては危ないのではないだろうか。
しかし、なんと外にも人がいた。十数人の男たちと、一人の小さな少女と──少し離れたところに、アルフレッドとウィスタリア。
「おい、状況は?」
駆け寄ったシルヴェスターが声を潜めて問うた。アルフレッドは肩を竦める。
「見ての通りですよ。【夜】は悠々と空中遊泳、あの人達は巫女とそのお付きの男たちです。囃し立てて巫女に【夜】を殺させようとしていますが、ここから槍を投げたとしても届くはずがありません」
「……馬鹿なのか? それとも死にたいのか?」
「悲しいことですが、自分の利権で頭が一杯なんですよ。竜を殺した巫女の再来となれば、民衆は沸き立つでしょうからね。それで、私たち夜狩りはこんな所に突っ立っているわけです」
彼らが喋っている間に、ラドルファスはこっそりとウィスタリアの様子を盗み見た。相変わらずこちらに見向きもしない、どころか【夜】を見てすらいない。俯いている。
一向に動こうとしない巫女に苛立ったのか、男たちは【夜】の注意を引こうと騒ぎ立て始めた。
「ッ、あいつら……!」
シルヴェスターが何かを叫ぼうとした瞬間、六翼の竜の大きすぎる目がぎょろり、と動いて地上のちっぽけな虫たちを睥睨した。竜はゆっくりと口を開く。それだけで風が巻き起こった。その喉の奥に、膨大な熱量が渦巻くのがありありと見て取れた。
「
それより一瞬早く、凄まじい
転瞬、恐ろしい衝撃波がラドルファスたちを襲った。鼓膜が破れたようで、耳鳴りが止まらない。気づけば地面に座り込んでいた。これは攻撃などではない。【夜】が吼えたのだ。鱗と靄で守れない目に暁ノ法を食らった竜は、嫌がるように頭を振った。大したダメージは受けていないようだが、この辺りが焦土になるのは防げたようだ。
【夜】は翼を動かすことなく滑るように空を舞うと、闇の中に消えていった。安堵に力が抜ける。いっそこのまま眠ってしまいたくなるが、話はそう単純ではないようだ。向こうの方から男たちが群れをなしてやってくるのが見える。
「……面倒なことになりましたね」
「ちっ。ついでにあの狂人どもを灼いておけばよかったか……」
あっという間に四人は取り囲まれる。男たちのうちの一人が抗議の声を上げた。
「もう少しで巫女様が竜を殺せたというのに! なぜ邪魔をした? お陰で奴はどこかへ行ってしまったじゃないか!」
そうだそうだ、とあちこちから賛同の声が上がる。ラドルファスは怒りを通り越して呆れてしまった。
師匠たちも同じ気持ちのようで、どうする?とばかりに目配せをし合うばかりだ。あまりの下らなさに、シルヴェスターですら口を開く気が起きないらしい。
「いつもいつもお前たちは巫女様の邪魔をして……! いっそここで殺してやろうか!?」
一人の男の叫びとともに、男たちは手に持った申し訳程度の武器をこちらに向けた。途端、シルヴェスターが表情を消してすい、と手のひらを上に向ける。彼が
「おやめなさい! 私たちの命の恩人に何をしているのです?」
その声は凛と澄んでいたが、響きはまだ幼かった。男たちが一斉に道を開ける。やってくるのは一人の少女だった。その細い腕には、明らかに不釣り合いな美しい槍が握られている。まさに暁のような不思議な色合いをした槍の先端は、数多の命を奪ってきたことを示すが如く真っ赤だった。
「しかし巫女様……」
「いい加減になさい。恩人に礼も言えない恥知らずだと思われたいのですか?」
少女は厳しい声で男たちを叱った。それは異様すぎる光景だった。まだ年端もいかぬ少女の一喝に、大の大人たちが縮こまって平伏しているのだ。少女は初めてこちらを向く。長い黒髪に真っ白な装束、瞳は月のように美しい色合いをしている。
「助けて下さりありがとうございます。どうかこれから、私の屋敷に招かれては頂けませんか。お礼がしたいのです」
巫女はそう言ったが、後ろの大男が窘めるように少女の肩を引き寄せた。
「巫女様、勝手なことをされては困ります。よりにもよって夜狩りなどを屋敷に招くなど……」
巫女に敬意を払うと見せかけて、かなり失礼な物言いだったが、少女は雷にでも撃たれたかのように身体をびくりと震わせた。しかし、毅然とした瞳で男を見返す。
「無礼ですよターラント。それに、【夜】の件に関しては、私に決定権がある筈です」
男の目が一瞬苛立ちの色を灯したが、すぐに消えた。ターラントと呼ばれた大男は表情を消して頭を下げる。
「巫女様の仰る通りです。どうかお許しください」
「いいのです。それより、街の被害確認を。私はこの方々と共に屋敷に戻ります」
「巫女様、護衛を……」
「不要です。私にはあの竜を落とせるほどの力があるのでしょう? それよりも、力なき民を守りなさい」
ターラントは苦々しげな顔をしていたが、巫女の言うことには逆らえないらしい。渋々と他の男たちを伴って去っていった。
「すみません。私の護衛たちがご無礼を……」
「いえ、私たちが横から首を突っ込んだのがいけないのです」
何かを言おうとしたシルヴェスターを制し、アルフレッドが柔らかく言った。彼に喋らせるとろくな事がないのは分かりきっている。彼もそれは一応理解しているのか、大人しく口を噤んだ。アルフレッドが続けて何かを言おうとした瞬間、何かの唸り声が辺りに響き渡った。まだ夜は明けていない。
「シルヴェスター、ラドルファス、巫女様を連れて門の中へ!」
「はぁ!? なんで俺まで──」
「
「それは……」
なおシルヴェスターが抵抗しようとするので、ラドルファスはサフィラに合図した。
「お、おい引っ張るな! 分かった、行く! 行けばいいんだろ!」
サフィラの怪力で引きずられそうになって、慌てて彼はラドルファスと巫女に続いた。
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