第28話 追憶 


 かつて、セイレーンの暴君スルゥが地中海を支配した。


 エジプトの地中海沿いには神々の血を引いているとされる一族が住んでいる。首から下は人で、首から上は鷹であったり狼であったり、頭は獣。


 スルゥは、臣下に言った———……屍山血河が見てみたい、と。

 広場にエジプト神の一族を200人集めると、その中に自分の臣下をただひとりだけ送り、戦わせた。

 王はわかっていた。最後に残るのが誰なのか。

 だから、臣下にこう命じたのだ。


「よいか。これは、我の思い描いたものを忠実に再現することが目的である! よぉく血が流れるよう、ひとりずつ四肢を切り落としていけ。わざわざ殺してやる必要はないぞ、手足を切り落としたら、どうせすぐに死ぬだろう? お前が我の目の前に山を作っている間に屍となり、完成する。」


 言われた通り、その臣下は神の血を引く者たちの四肢をひとりずつ切り落とし、胴体と手足を山のように高く積み上げていった———




 —————鉄格子の扉が閉まる。

 傷を見せないよう背中を壁に向けて座ったが、彼女はこちらへ寄ってくると、背中を見せるよう言ってきた。

 大丈夫だ、大した事はないとタナリアスは返したが、彼女は見せてくれと繰り返す。

 彼女は視線を落とし、段々と顔を歪めてゆく——それを追うと、自分の方から血溜まりがじわじわと、彼女の方へ広がっていた。


 広いとは言えない同じ鉄格子の中で、彼女のスペースを侵すわけにいかない。この血生臭さも、不快に思うはずだ……


 衛生管理などろくにされていない牢内の壁に、タナリアスは背中を当てつけた。


「問題ないよ、これで大丈夫だ。」


「……タナリアス、背中を見せてくれ。」


 モーベットの瞳は、憂いを帯びていた。 

 彼女は真前に座り続け、こちらを見続ける——…その視線に耐えきれなくなり、タナリアスはついに彼女の方へ背中を向けた。


 肩甲骨のあたりに二つ——。白い背中に、赤い肉が覗いている。

 とにかく、出血が酷かった。その生々しい傷口からトクトクと血が流れ、それは地面についたアイリスの膝を過ぎ去ってゆく。

 "指輪"が繋ぐ宝物庫から水の入ったボトルを取り出すと、彼女はそれをタナリアスの背中に掛け流した。

 薄まった血が地面に広がり、牢の外へ流れていく。

 それからアイリスは、清潔なタオルで傷口を優しく押さえた。


「所持品の調べは、されなかったのか?」


「されたよ。けど、どこに手を突っ込んでも誰も私の物を奪う事はできない。」


「……収納魔法は便利だな。」


「私は魔法を使えない。」


「そうだった……君のは手品、だったかな。」


 指の腹でそっと傷口を撫でられると、無いはずのものに触れられている、奇妙な心地がした。

 どうやら、薬を塗ってくれているようだった。


「痛い……?」


「いいや、大した痛みじゃない…」


 髪の色が、くすんでいく——。

 青みのある白い髪が徐々に灰色になっていき、段々と黒ずんでいく。廃れるように、失われるように。

 これは翼を失ったせいなのか。本人は気づいているのか。

 アイリスは、か細い声で彼の名を呼んだ。


「タナリアス……」


 背中にじわりと、温かい温度を感じた。

 傷口に触れないよう、彼女はそっと背中に額を付けてタナリアスに寄り添う。


「もしも私に翼があって、一緒に逃げようと言ったら……君は来てくれるかい?」


 その問いの裏に隠された彼女の心情を、タナリアスは何となく察した。

 どういう意図で、そんなことを聞いてきたのか。大体を悟ったが、本当にそうであるなら、彼女に対して意外に思う。

 今まで、互いが相手に抱いている感情を言葉にした事はなかった。遠回しにさえ。

 

 このふたりには共通点があった。

 罪を犯し、それを償うために生きている。

 自分の人生に幸など求めてはいけないと、互いがそう思っていた。

 だからこそ、互いが互いに一線を引いていたのだ。


 同じものを感じたとしても———……共有することはない。


 それは今も、タナリアスの中では変わらないままだ。

 彼女に申し訳ないと思いながら、彼ははっきりと伝えた。


「例え、確実にここから逃げられる手段があったとしても……私はここに残る。ここで、罰を受ける。」


「そうかい……」   


 きっと断られると分かっていながら、僅かな期待をした。

 今の問いはきっと、彼に愚かだと思われたに違いない……アイリスは、背を向けられていることに安心していた。

 だって、どんな顔をしていればいいのか分からない。

 彼と同じ贖う身でありながら、自分は彼に望んでしまった……あぁ、なんと愚かなのか。

 けれどやはり、彼女の中ではまだ諦めがつかない——


「君までここで死ぬ必要はない。君は彼らとは無関係だ。」


 彼女には生きていて欲しいと、タナリアスは切に思う。

 もしもここから出られる術があるのなら、彼女だけでも助かって欲しかった。


「私もここに残るよ……流れに身を任せる。助かりたいとか、願っていい立場じゃないからね。」


 ————それから二日後の朝、アイリスだけが連れていかれた。

 午後になると、タナリアスも牢から出される。

 先に連れていかれた彼女はどうしたのかと聞いてみたが、誰も何も答えなかった。


 群集に囲まれながらひとり海岸に立たされると、ロバに似た獣の頭をした者が、海魔を引っ張ってこちらへやってくる。

 この場にいるのは、エジプト神の血を引いているとされる者たち。群集は皆、頭は何かしらの獣である。


 ロバ頭の男は、海魔から枷を外した。

 下半身は魚のようで、頭部は犬に近い……イルカほどの大きさをした海の魔物が今、前足のヒレで地面を蹴りながらタナリアスの方に向かっていく。  

 その鈍い動きやでっぷりと肥えた見た目から、一見温厚そうな生き物のように見えるが、そうではない。


「見よ、ここに羽なしのセイレーンがいる! 神の血を引く我らを冒涜したセイレーンの愚王スルゥの臣下、タナリアス。この顔に、覚えのある者はいるだろう。およそ400年の時を超え、ようやく同胞の無念を晴らす時が来た———」


 あれに自分を食わせるつもりなのだろう…

 タナリアスが思っていたより、酷い処刑方法ではなかった。


「亡骸は海に返してやろう、せめてもの情けだ……奴の腹が、お前を海まで運んでくれる。」


 大きな体を引きずりこちらまでやってきた海魔は、がぱっと口を開く。口は顔の横についた目の下を通過し、まだまだ開きつづけた。


 視界が、一瞬で真っ暗になった———


 バクンッ


 食事を終えた海魔は、のそのそと体を引きずり海へと帰って行く…………水中で何度か、えずきはじめた。







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る