第11話
殺生石。
それはその昔、玉藻前として知られる大妖怪、白面金毛九尾の狐が討伐された際、その姿を変えたとされる、周囲に猛毒を撒き散らす妖石の事である。
――と一般的には言われているが、それは些か間違いである。というのも、件の白面金毛九尾であるが、そもそも実際には討伐されてなどおらず、今尚頗る健在で、人生ならぬ狐生を謳歌しているからであり、そんな彼女曰く「件の
つまり何が言いたいのかというと、俺がズボンのポケットから取り出した、限りなく無色透明に近いテニスボール大の真球が殺生石だからと言って、決して物騒な真似をしようなんて思っているわけではないという事だ。
だから、これから俺がしようとしている事は、飽く迄も神崎先輩の行方を知るための措置に他ならないのである。
部室の出入りドアに鍵をかけた俺はその場にしゃがみこむと、ポケットから取り出したその殺生石を床にそっと置き、上から手の平で覆うように右手を被せる。そして、ひと呼吸おき精神を落ち着かせてから、被せた右掌にほんのちょっと霊力を込めて真上から殺生石を軽く押した。
刹那、蛍の瞬きのような柔らかい光の粒が掌から透明な殺生石の中に零れ落ち、水に垂らしたインクのように、沈みながら薄れて消える。程なくして殺生石は床と手の平の接点を軸にして、その場でゆっくりと回転を始めた。
音もなくその回転を速めていく殺生石。それは俺が右手を殺生石から離しても変わらない。やがて回転速度が独楽回しの独楽程に達した殺生石は、回転軸を接点として床を滑るように移動を始めると、幼児が歩く位のゆっくりとしたスピードで部屋の一角、出入り口ドアから一番遠い窓側の隅へと向かっていった。
殺生石の向かう先には何も無い。ただ壁二辺と床が交わる部屋の角。人どころか物を隠せそうな場所もなければ死角もなかった。
そんな部屋の隅っこへとまっしぐらに向かう殺生石であったが、壁に到達するより一メートル程手前で唐突にその姿を消した。否、正確には一メートル手前に、忍者が隠れ身の術の際に使うそれの如く、背景が超精密に描かれた布のようなものが一枚、暖簾のように垂れ下がっていて、そこをくぐり抜けたら見えなくなったといった感じてあった。殺生石がそこをくぐり抜ける際、何も無いはずのその空間に、池の水面に石を投げ入れた時に見られる波紋のような僅かな歪みが広がり、その先にあるはずの風景を陽炎のように揺らめかして見えたからだ。
なるほど、と俺は心中で得心する。神崎先輩と思しき方の姿が消えたカラクリが判明したからだ。
どうやらあそこを境に何かしらの結界、もしくはそれに準ずる何かが施されており、彼女の姿を晦ましているようである。
殺生石が見えなくなって数秒。
「ななな、なんですかこの玉!?」
部屋の隅、見た目に何もなければ誰もいないところから、神崎先輩と思しき方の慌てふためく声が漏れてきた。
今、殺生石は大ざっくり言うと、俺の霊子を性質変換し、それを媒介とする事で、周囲に漂う俺以外の霊子濃度がより高い場所へと向かうように調整されている。結界だか特異能力だか知らないが、そうした術の発動時には基本的に相応の霊子が消費されるものであり、何かしらの術が発動されていると仮定すると、周囲にはその時消費された霊子の一部が残滓として漂っているはずである。であるならば霊子濃度がより高い場所に向かうように調整した殺生石は、その残滓を辿り、最終的に最も霊子の濃い場所、即ち霊子の発生源たる発動者本人に辿り着くという事だ。つまり俺はその性質を利用して、神崎先輩と思しき方を見つけるために殺生石を放っていたわけである。
そして先程の声は、恐らく思惑通りに事が運んだという合図だろう。
暫くの後、
「いやー!!! なんでこの玉、私の方に戻って来るの!?」
更なる悲鳴と共に、今度は動揺からか術を解いてしまったのだろう。目前の風景の一部が唐突に歪んだかと思うと熱したチョコレートのように溶け落ちて、壁にへばり付くようにして狼狽しながら足先でちょんちょんと殺生石を押しのけている神崎先輩と思しき方の姿が顕になったのだ。
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