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部屋につくと、わたしはすぐに、「ありがとうございました」と口を開いた。ディルミックの背中に怒涛の勢いで言葉を投げかける。
「マッサージの帰りになんか出くわしちゃって、戻れなくて困ってたんです。あの女性、ディルミックは誰だか分かりますか? って、名前呼んでたんだから知ってますよね。あ、ミルリ置いてきちゃいましたけど、無事にあの子の部屋に戻れましたかね? まあメイドさんならわたしと違って建物を把握するのも早そうですし、あの廊下以外の道も知ってるのかも。あ、最初からミルリに聞けばよかったかな。ええと、でも、そう、ミルリはメイドだし、あの場合、口は挟めないものなんですかね? それから、えっと……」
わたしが今黙ったら、絶対気まずい沈黙が流れる。一度黙ってしまったら、次に口を開くのが難しそうで、とりとめもなくわたしは言葉を紡ぐ。
その中身のない、ただただ沈黙を作りたくないが為に発する言葉をさえぎったのは、ディルミックの低い声だった。
「――いくらだ」
「え?」
「いくら払えば、君は僕の元から去らずに、ここにいてくれる!?」
振り返ったディルミックは、泣いていた。仮面を付けていても分かる。あごの辺りから滴るのは、間違いなく涙だ。
――やっぱり、さっきの会話、聞いてたんだ。
どこから聞いていたのかは知らないけど、泣くほどショックだったということは、半分くらいは聞いていたのかもしれない。
ディルミックは、わたしがいなくなったら泣いてしまうのか。
「僕、僕は……っ!」
ぐずぐずと泣きながら、ついには膝をついてしまった。随分と、心を開いてくれたものだ。そのくせ、信用がない。信用がないというか、不安なのだろうか。
多分、おそらく、彼の元から本気で『去らない』と言った人間が、いないから。
「信用がないですねえ」
わたしはディルミックに近付き、彼の仮面を取る。思った以上にぐしゃぐしゃに泣いていたが、それでも、彼の顔は美しかった。
そう言ってみても、彼は信じないだろう。まあ、そもそも言えないんだけど。
「ああ、ほら、仮面の裏がぐっしょり。仮面付けたまま泣くと、蒸れてかゆくなっちゃいますよ」
わたしは彼の目元をぬぐう。袖でぬぐうのは、まあ、許してほしい。ハンカチ持ってないんだ。マッサージ受けるだけならいらないでしょ、と思って持ち歩かなかったのだ。
「純銀貨五枚、貰いましたから。契約書にあった分だけの子供を産むまでは、生きている限りは一緒にいますよ。そのあとは、お役御免にならなければ」
「なるものか!」
「じゃあ、ずっといっしょにいられるんじゃないですか?」
ずっと捨てられてきた側だろうに、存外、途中でぽいと捨てられるのは困るということを、どうやらこの男は知らないらしい。まあ、その辺り、男と女じゃ違うけれど。
「……更新料払う」
なんというか、本当にわたしは信用がないな。そんなにもふらっと消えそうに見えるのだろうか。それとも、どれだけ金を貢いだとしてもそれだけの価値があると、判断したのだろうか。
まあ、お金と言うのはある意味、絶対だしね。その気持ちはよく分かる。
わたしだって、だからこそ、お金が大好きなのだ。
もう少し信用されないものか、と思う反面、更新料を貰えるならそれはそれで欲しいので「まあ嬉しい」と答えておいた。
貰えるなら混銅貨一枚だって、竹貨や木貨の一本ですらありがたく受け取る人間なので。
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