36
茶葉の蒸らしが終わったお茶をサーブ用のポットに移す。茶器はわたしが初任給で買った、マルルセーヌから持ってきたものだ。嫁入り道具として一番人気があるのはやはり茶器一式だが、わたしにそれはない。
親しんで一番お茶を飲んできた、相棒たちといっても差し支えない茶器だ。まあ、安物なので、貴族のディルミックには合わないと思うけれど。もっといいやつ使ってそう。
「――どうぞ」
ディルミックの前に、紅茶の入ったティーカップを置く。わたしもディルミックの対面に座る。
「……何か作法が?」
ちら、と彼がこちらを見る。貴族らしい質問だ。
「基本的にはありません。でも、美味しければ美味しい、まずいならまずいとハッキリ言うのがマナー……というか、暗黙の了解でしょうか」
お茶の席で、相手のお茶がまずかったとき、当たり障りない言葉で言うのはあんまり好まれない。そりゃあ、いくらまずくともボロクソに言うのは流石に嫌われるが。
まずいのに、ハッキリ言わず言葉を濁すのは、相手と二度とお茶をする機会がないような場合だけである。友人関係なら勿論、恋人や夫婦、家族という特別な関係なら、なおさらハッキリ言う方が好まれるのだ。『次』がない席で適当に誤魔化すのだから、ハッキリ言えば『次』があるということになるので。
相手の好きなお茶を淹れられてこそ一人前のマルルセーヌ人なのだ。
「そうか」
そう言葉をこぼし、ディルミックがカップに口をつける。思わずその姿に見入ってしまった。
緊張する。
手順は間違えなかったし、茶葉も買ったばかりのものだから、香りが悪いわけがない。気に入ってもらえるかどうかは、もはや好みの問題ではあるのだが。
「――確かに、普段飲んでいるものよりは癖が強いな。だが、嫌いじゃない」
ディルミックの口元が、少し緩んだ。
「美味しいよ、ロディナ」
その様子に、飲もうと思っていた手が止まる。
彼の、ディルミックの笑ったところを、初めて見たかもしれない。
いつもは無表情で、たまに表情が変わったかと思えば、むすっと考え事をしているか、慌てたように怒るか、自信なさげに眉尻を下げているか。大体そんな感じだ。
無意識なのかは分からないが、ほんの少し、緩く笑ってくれた表情は、本当に美しい。
これが醜男と評価されるのか、この世界では。
もったいない――というか、普通に損失だと思う。世界的損失。
「――ロディナ?」
彼の表情が、いつものものに戻る。ちょっともったいないと思いながらも、見惚れていたことに気がつかれない様に、「なんでもないです、美味しかったならなによりです」と誤魔化し、わたしもお茶を飲んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます