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「奥様は真面目ねえ」


 当たり前だ、こっちは純銀貨五枚も貰っているんだぞ。契約内容はきっちり守る。それがわたしなりの、ディルミックとお金への誠意である。


「ねえ、奥様。貴女、好きな食べ物あるかしら?」


「え? 食べ物? 急に何」


「だってほら、旦那様はもう三人も女に逃げられてるでしょう? だから今回もすぐいなくなるだろうって、奥様の好みとか覚えるつもりはなかったのだけど、この様子じゃ長くここにいてくれそうだし。もちろん、料理人のプライドにかけて、適当なもんは出してないわよ。でも、好きなものが出た方がうれしいでしょ?」

 まあ、確かに。すぐいなくなるだろう人間の食の嗜好なんて気にならないか。折角覚えても、すぐいなくなられたら意味がない。


 それにしても好きな食べ物か……。なんだろ。好き嫌い自体はあまりない。食わず嫌いな傾向はあるけれど。だってほら、試しに買って食べて、まずかったらお金を無駄にしたことになるし。

 そうなると、味の想像がつきやすいものが好きだ。食べなれたものとか、単純な料理とか。


「下手に凝った料理よりは、単純なやつの方が好きかな。肉焼くとか、野菜のスープとか。あ、料理人としてはそういう料理より、あれこれ凝りたくなるものなの?」


「シンプルな料理の方がごまかしがきかないから腕が出るわよ。それに、望まれた料理を出さないで、自分の出したい料理をだすのは二流だわ」


 『望まれた料理を出さないで、自分の出したい料理を出すのは二流』と言われてしまって、ちょっとウッとなる。

 お茶請けと共にお茶を出したいのはわたしのわがままで、美味しくないお茶請けを出すなら、ないほうが、ディルミックにとってはいいのではないだろうか。

 ……おとなしくパンとジャムでも出しておくか? いや、でもお菓子……ぐぬぬ。


 多分、わたしにそういうことを気づかせたくてこの話題を出したわけではなく、単純にわたしの食の好みを聞きたかったのだろうベルトーニは、突然頭をかかえて悩みだしたわたしに、「大丈夫?」と心配そうに声をかけてくれる。

 ディルミックにおいしいお茶を飲んでもらうのか、マルルセーヌ人の意地を通すのか……。


 いや、てかそもそもディルミックがお茶のお誘いを受けてくれるとは限らなくない?

 本人はそうそう仮面を外したくないだろう。必要最低限で済ませたいはずだ。

 となれば、断られる可能性も……。


 盲点だった、それは考えていなかったわ。もう少し、作戦を練り直さねばなるまい。

 クッキーに再挑戦するとしてもそれからだ。


「はあ……。とりあえずこれはわたしの胃に収めるわ。また出直してくる」


 わたしはベルトーニにそう言って、後片付けを始める。まずいとはいえ、食べられないほどではないので捨てるのはもったいない。

 オーブンの天板から皿へとクッキーを移していく。

 ……妙に視線が気になる。ベルトーニだ。


「奥様、よければ少しアタシにくれないかしら。未知の味に興味があるわ」


 料理人としては、まあ、気になるのだろう。そりゃあ、かつてあったかもしれない、でも廃れてしまったお菓子があるのなら、味が気になるのは道理だろう。

 ――でも。


「駄目よ。ディルミックにも上げてないのに、他の男に上げるわけないでしょ。わたし、こんなでも既婚者なんだから」


 そう言うと、ベルトーニは目を丸くして驚いていた。

 あと、普通にクソマズクッキーなので。貴族のお屋敷で料理長を務めるような人の舌を汚すだけなので、駄目である。

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