謎の新聞広告
なんなんだ、これは。この意味ありげな語句のならびに、どことなく既視感もあるけれど。
「Dear Kとありますからどなたかに宛てたメッセージなのかしら」
「何だか暗号みたいですねぇ」
先輩がのんびりとした口調で答え、顔だけを左へ向けて話を続けた。
「新聞の広告欄に載せているということは、発信者は伝えたい相手に連絡を取るすべがないということです。あえてこのような暗号にしているのは、多くの人には知られたくない、けれどその相手なら意味が分かるはず。そういうことでしょう」
「でも『死に給う』とか『忌む』とか、すこし気味が悪いわ」
「まぁ急ぐ話じゃないし、せっかくだからまずは紅茶をいただきましょう」
そう言うと先輩は新聞をカウンターの上に置いて、もう一度メニューを手に取った。
「私はアッサムをミルクティーで」
「わたくしはダージリンのストレートをお願いします」
あ、僕が狙っていたダージリンを美咲さんに取られた。
被っちゃうのも何だしなぁ。どうしよう。
聞いた覚えがあるものにしておけば外れはないだろう。
「えーっと……それじゃアールグレイをください」
「かしこまりました。ミルクはお付けしますか」
「あ、はい」
安
カウンターのなかへ戻るとガラスケトルに水を入れて火にかけた。沸くまでに細身のティーサーバーとカップを三つずつ並べてお湯を入れている。
珈琲を淹れるのが得意な先輩は、一連の動作を黙ったまま眺めていた。
美咲さんはというと、手元に引き寄せた新聞へ目を落としている。
あの暗号文、この事務所に来てから体験したいくつかの謎と似ている気がする。同じ解き方だとしたら、まずは変換しないと――。
「きれいな色ですね」
先輩の声に顔を上げると、ガラス製のティーサーバーの中で茶葉がゆっくりと開いている。それと共に琥珀のようなオレンジ色が陽炎のように広がっていった。
「この茶葉が開くのを待つ時間が好きなんです」
「珈琲のドリップを待つあいだが楽しいのと同じかな」
カウンター越しに先輩と言葉を交わしながら、安須那さんはカップに紅茶を注いでいく。
「お待たせしました」
最初に美咲さんの前にカップが置かれた。次に僕、最後が先輩だった。
「茶葉の種類によって蒸らす時間が異なるんですか」
「さすが、武者小路先生ですね。おっしゃるとおりです。ストレートでご注文されたダージリンは香りを楽しむために短めで、アッサムはミルクに負けないよう長めに蒸らしました」
なるほどなぁ。さすが専門店。
さて、僕のアールグレイは……なんかさわやかないい香り。柑橘系かな。こういう紅茶なのか。覚えておかなくっちゃ。
「このダージリン、とっても香りがたっていますね。コクもあって美味しい」
「奥様にお似合いだと思います」
「え、やだ、奥様だなんて。どうしましょう」
「失礼しました。お二人がお似合いなので、てっきり先生の奥様かと」
「もぉやだぁ、お似合いだなんて」
「そろそろさっきの続きをやりましょうか」
身をよじって喜んでいる美咲さんを静めるように、先輩がすっと新聞に手を伸ばした。
今のは見え見えのお世辞だったけれど、先輩はどう受け取ったのだろう。気のせいか、ちょっとムッとしているようにも見える。
「さて、鈴木くん。この暗号文を見て何か感じたことはあるかい?」
僕に話しかけてきた声はいつもと変わらず、穏やかなままだ。安心した。
「はい。以前に扱った謎と似ている気がします」
「どんな?」
「一見、意味のあるような言葉でいて、文章としてはつながっていません」
「そんなとき、最初にやることは?」
「ひらがなに変換してみることです」
「おぉ、いいね。ちゃんと今までの経験が記憶となって生きているじゃないか」
やったぜ。先輩がうれしそうに笑ってくれた。
僕だって助手として成長していかないと、イギリスに留学して『シャーロックホームズにおける
「美咲さんもこれを使ってください」
先輩はシステム手帳を一ページ切り離して、ペンと一緒に彼女へ渡した。
僕もバッグから手帳を取り出し、新聞を見ながらひらがなへの変換を始めた。
*
若人か わこうどか
滝の瀬に たきのせに
死に給う しにたもう
庭石の にわいしの
はす向かい はすむかい
自己連鎖 じこれんさ
を忌むなど をいむなど
姦しい かしましい
住む話者の倭寇すじ すむわしゃのわこうすじ
壊れんドスはきわさす回す伸ばす連打 こわれんどすはきわさすまわすのばすれんだ
レモンレモンと寿司渡す れもんれもんとすしわたす
お酢漏れワイを汁が祝い おすもれわいをしるがいわい
可愛と薄れどキス かわいとうすれどきす
*
難しい漢字は読み方を調べながら変換したらこうなった。
初めのブロックはすべて五文字というのが違和感ありあり。まずはこちらを片付けていかないと。
「これ、縦読みかと思ったのですけれど中途半端ですわ」
ほんとだ。美咲さんの言う通り、先頭を縦読みすると『私には字をか』で切れている。二文字目以降は縦読みしても意味をなさないし。
うーん、なんだ。なんかモヤモヤするぞ。
先輩はというと愛用しているモンブランのペンで手帳に何かを書いている。
「のぞいちゃだめっ!」
首を伸ばして横から見ようとしたらバレてしまった。
座ったまま背筋を伸ばし反り返るようにした先輩は、えんじ色の革表紙を顔に近づけた。細く開いて手元を隠しながらも、右手のペンは止まらない。あの手の動きは文字を書いているようには見えないけれど、いったい何をしているんだろう。
カウンターの向こうからは安須那さんが興味深そうに僕たちの様子をうかがっている。
「どうです、解けそうですか」
その問いには誰も答えない。
三人とも黙ったまま暗号文と向き合っていた。
いったん落ち着こうとカップに手を伸ばす。さわやかな香りを鼻から胸いっぱいに吸い込んだ。
すると先輩が手帳を閉じた。解けたんだ!
でもうれしそうな表情を浮かべることなく、背筋を伸ばしたまま目を閉じた。
この暗号文が示すメッセージに何かあったのかもしれない。
美咲さんも反対側から心配そうに見つめている。
すぐに先輩は目を開けて、残っていたミルクティーを一気に飲み干すと長い息を吐いた。
「冷めても美味しいですね」
そこにはいつもと変わらない笑みを浮かべる先輩がいた。
「耕助さま、暗号文の謎が解けたのですね」
黙ったまま先輩が軽くうなずく。
よし、どんなメッセージなのか、僕もせめて前半だけでも解き明かしてみよう。
すべて五文字でそろえているのは絶対に意味があるはず。縦読みもイイ線いってると思うんだけどなぁ。なぜ中途半端なところで途切れているのか……。
先輩はいつも「暗号を解くためのヒントは必ずそこに隠されているから」と言っていたのを思い出した。
この広告には二つのおかしな文章のほかには、宛名を示す「Dear K」しかない。
ということは、これがヒントなのか?
Dear K……Dear K……K……。
「あぁーっ!」
また大きな声を出してしまった。
振り向くと他のお客さんたちが顔を上げてこちらを見ている。赤くなりながら頭を何度も下げた。
向きなおると美咲さんも安須那さんも僕に注目している。笑顔のままの先輩へ確かめるように聞いてみた。
「書き順、ですよね?」
「鈴木くん、いい所に気がついたね」
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