絶滅危惧種黒髪少女

七四六明

黒と灰

桔梗と楓

 気配を殺し、扉を開ける。


 接近を許したまま、寝息を立て続ける獲物はすぐ目の前。


 体勢は充分。戦闘態勢は万全。

 後はタイミングを見計らって――飛び掛かる。


 突然の襲来に獲物は驚きながら、すぐさま反撃を試みるが、両腕をすぐさま押さえつけられ、横たわる体の上に馬乗りになられては、抵抗の術など無い。

 獲物はそのまま狩猟者ハンターによって、首筋に噛みつかれて終わるのが自然界における食物連鎖の常である。

 が、このときこの狩猟において、狩猟者ハンターが噛みついたのは首筋ではなく、ましてや命を奪うため牙を突き立てる事もなかった。


 狩猟者ハンターたる少女、黒園くろぞの桔梗ききょうは自らの柔い唇にて、獲物たる綾辻あやつじ楓太ふうたのこれまた柔い唇を、優しくんだのだった。


「おはよう。フゥ太」

「んぅ……おはよう、キィちゃん」

「今日から高校生……学校じゃ、キィちゃんは恥ずかしいわ」


 そう言って、ムゥと頬を膨らませる姿は、未だ幼く感じられる。

 一四二センチと周囲から見ても小さな体も相まって、一五歳の少女ながら、未だ小学生のように見られる事も少なくない。


 そんな少女にわかった、と手を伸ばした楓太はゆっくりと起き上がり、今度は自分から、桔梗の唇に吸い付いた。


「わかった。じゃあ、家でだけ、いつも通りに呼ぶことにする」

「……うん」


 表情にこそ変化は無い。

 が、頭頂部から不思議な形で生えた一本の毛の束が、当人よりも雄弁に感情を語る。その様はまるで犬のようだが、本人に言うと怒るので、絶対に言わない。

 朝から噛みつかれ、引っ掻かれ、ボロボロにされるのはゴメンだ。


「あら、起きたの? 楓太はいつまで経ってもお寝坊さんね」


 一階リビングに下りると、母、黒園花梨かりんが朝食の支度を終えて、テーブルにいっぱいの朝食を並べていた。

 炊かれたばかりの白飯の仄かに甘い匂いに鼻腔の奥底をくすぐられ、楓太の腹がぐぅ、と鳴る。可愛らしく聞こえた音に微笑む花梨に促されるまま、二人は食卓に着席する。


「父さんは……」

「あぁ、今朝……『大量の仕事を押し付けてきた上司をぶん殴ったら、更に大量の仕事を押し付けられたんで、また暫くの間、息子を頼みます』って、連絡が来てたわよ」

「そうですか……すみません、花梨さん」

「いいのいいの。それに、じゃないでしょ?」

「そ、そうでした……その、義母かあさん」

「よろしい。さ、食べましょ食べましょ!」


 桔梗と楓太。それぞれの父と母は、それぞれ別の理由で他界してしまった。

 しかし幼馴染みだった子供達を縁に繋がり、桔梗の母、花梨と、楓太の父は近々再婚する予定だ。

 今は未来の家庭に慣れるべく、楓太は父より先に、黒園家へとお世話になっていた。


 とは言っても、元々幼馴染みの家だったから母が健在だった頃も何度か遊びに来ていたし、お泊まりもした事があったから、そこまでの新鮮味もなく、改めて緊張する事もなかったが。


「二人共、今日から高校生ね。何だか、感慨深いわ」

義母かあさんには、とても、感謝しています……実の息子でも無いのに、俺の面倒を見てくれて」

「楓太はもう息子同然ですもの。それに、もしも私達が再婚しなくても、家族になるのは時間の問題だったと思うわよ? ねぇ、桔梗?」


 ノーコメント。


 無言で貫き通すつもりの桔梗は、無表情のまま緑茶を啜っていたが、頭頂部のヒュン毛は正直だ。

 高速でと揺れる時は、照れている時、恥ずかしがっている時である。


「さ。早く支度しないと遅刻しちゃうわよ! 今日は記念すべき、高校生デビュー何だから!」


 未だ真新しく、少し生地の硬いままの制服に袖を通す。


 スカートの裾は短すぎないように。


 ネクタイは緩すぎず、締めすぎないように。


 各々の部屋で各々の身嗜みを整えて、自分のタイミングで部屋を出た結果、同じタイミングで出た二人は、互いに互いの真新しい制服姿に、暫し見入った。

 制服は中学でも着ていたが、心身共に大人らしく、子供の幼さは残すところわずかとなった成長途中の体が着飾る姿は、中学時代にはなかった凜々しさがあった。


「制服、似合ってるよ。キィちゃん」

「……ありがと」


 髪の毛はゆっくりとだが、くねくねと揺れている。

 褒められて嬉しいらしい。


 桔梗は照れ隠しにうんと背伸びして、「曲がっているわ」とネクタイを直してくれた。

 が、楓太は一生懸命に背伸びまでして、照れ隠しに曲がっても無いネクタイを直してくれる桔梗の事が可愛くて、つい、唇に吸い付いた。


「んむ――んぅ……っ!」

「……今朝の、仕返し」

「……ズルいわ」

「お互い様、だよ。行こうか」


 静かに頷く彼女の手を繋ぎ、腕を引くようにして共に歩く。


 近所の自分達をよく知る人達は真新しい制服姿を見て、成長を喜んでくれていたが、少し外に出るだけで反応はまるで変わってしまう。


 見知らぬ人達がまず視界に入れるのは髪の色と、色の濃さ。真新しい制服姿にて受ける感動はなく、そそくさと逃げるように距離を取っていく。

 虎や獅子と言った、危険とわかり切っている猛獣が横切ると言うよりは、正体不明かつ異質にして異形の怪物が目の前にいるかのような感覚。

 そう言った感覚に人々は襲われ、逃げていく。


 世界でも屈指だろう濃さを持ち、絶滅危惧種と比喩される黒い髪をなびかせて歩く、小さな体の少女から。

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