第114話『女王の誕生』

 空気が凍ったかと思った。キェティは今なんと言った?


「生き、残れなかった…?」


 ターリャが言葉を繰り返した。生き残れなかったってなんだ?この代替えで生き残れなかったというと…。

 脳裏に甦ったグレイドラゴンとの戦いで死にかけたあの光景。更には夢で見たドラゴンに食われた光景までもが甦った。

 つまりは、そういうことだ。

 ターリャが目から涙を流した。

 俺の脳内にも、短い間だったが交流のあった彼女らの顔が思い浮かぶ。

 そうか…、俺達が順調に狩れているから、皆もそうなのかと思っていたのだが…。


「…代替えってのは、過酷なものだな…」


 スズは悲しそうにしながらも、これが当たり前とでも言うような顔をしているのに比べ、日向子は手を口に当てて顔色を悪くしていた。

 それなのにキェティは表情をあまり変えない。

 これが自然の摂理とでも、今にも言い出しそうだ。


『なので、今回の女王はあなた方のどちらかになります。どちらが君臨いたしますか?』

「……」

「……」


 心の整理が付かないままにターリャとスズはお互いを見た。

 二人とも女王になるべくして此処までやってきたのだ。そんなフワッとした感じで決められるのだろうか。


「あの」


 沈黙を破ったのはターリャだった。


「すみません、私は記憶を無くしていて、女王になればどうなるのかも全然覚えていなくて…」


 するとキェティはターリャの方を向いて「ああ、そうでしたね」と微笑んだ。


『あなたは“願い”を使い、“かなりの時を巻き戻した”代償を払ったのでしたね。それでは教えましょう』


 ターリャに関する気になる単語が発せられたが、俺はまずキェティの説明に耳を傾けることにした。

 まず、女王になると言うことは世界の流れを大きく変えるということ。人の姿を捨てて精霊体になって、この空間で君臨するのだという。その際、幼体だった頃の記憶を一部捧げなくてはならない。

 その記憶とは、相棒となった人間に関しての記憶だ。

 ずっと付き添い、共にあった人間が居た、ということは覚えているが、名前も顔も好きなものも全て忘れるという。理由は簡単だ。心を守るためだ。

 一度君臨すれば数百年から千年単位ここに座するのだ。

 世界を冷静に正しく回すには、そういった個に執着する心を丸ごと削り、魔力に変換して精霊を発生させなければならない。

 精霊の女王になるとは、そういう事なのだそうだ。


 ちなみにキェティは、ここに辿り着けた者達に、一つだけどんな“願い”も叶えてくれるそうだ。

 前のターリャは、前回の女王で、女王になったものには次の代替えにおいて資格習得が厳しくなると言う制限が掛けられる。それを見越して記憶を対価にして“時を巻き戻す”能力を得た。

 それを、俺に使ったらしいのだが全くわからない。

 いや、なんとなく分かる気はしているが、肯定をしたくないのだろう。巻き戻すとするならば、きっと、あの分岐点だ。

 だけど、キェティの言っている事に一つだけ引っ掛かっている事がある。ターリャが巻き戻した時は一度じゃないのだろうか。

 そんな疑問を残しつつも、俺はようやく日向子の言っていた言葉が理解できた。

 この“願い”とやらで時を巻き戻す事が出来るのなら、きっと、“元いた世界に帰る”ことも可能なのだ。


 ……そうか、本当に帰れるのか。


 初めて、確実に帰れる可能性を提示され、俺の心は一瞬揺らいだ。


「!」


 かすかにだが服に妙な圧を感じそちらを見ると、なにやら複雑そうな顔のターリャが俺の服を指先で摘まんでいた。

 そんなターリャを見て、俺の揺らいだ心はすぐに元に戻る。

 いや、俺の答えは決まっている。この服を摘まむ行為だって、ターリャは恐らくそんな事を心配しているのではないのだろう。


「ターリャ」


 名前を呼ぶと、ターリャは覚悟を決めたように顔を上げた。


「私は──」


 ターリャがキェティに向かって言葉を紡ぐ。


「私は、女王を辞退します」


 スズが驚いたようにターリャを凝視した。


「ターリャ、良いのですか?」

「うん。私は一度女王とやらになっているし、何より」


 ターリャが俺を見上げた。


「何より私はトキを忘れたくない」


 真っ直ぐな瞳だった。

 その選択をしたのか、ターリャ。ならば、恐らく“願い”を何に使うのかを俺はなんとなくだが分かった。


「……忘れるなんて無理だよ……」


 ターリャが俺の手を繋ぎ、強く握る。


 ターリャの声が震えている。

 そんなターリャの頭を撫でてやった。大丈夫だ、心配しなくたって良い。


「俺の願いは一つだけです」


 そう、一つだけ。だけど、俺が願ってもまだ半分足りない。


「なぁ、ターリャ。バカな願いを言ってもいいか?」

「……なに?」

「俺はきっとターリャと同じことを考えている」


 キェティを真っ直ぐに見詰め、俺は言った。


「青龍とその相方を生き返らせる。つまり万全な状態に戻してくれないか?」

「!」


 ターリャが俺を見た。驚いた顔だった。


「どうだ?同じ考えじゃなかったか?」


 目が潤んだターリャがへにゃりと笑いながらも俺に訊ねた。


「で、でも、いいの?それはトキの本当の願いなの?」

「ああ。本当の願いだ」


 そう言えば、ターリャは嬉しそうに笑い、「ありがとう…トキ…」と返した。


「あああの!トキナリさんはそれで良いんですか!?」


 そこで困惑したように日向子が叫んだ。


「だって、帰れるんですよ!?こんな、家族と離れて十年以上も…っ!唯一帰れるチャンスなのに!?」


 日向子の言うことは分かる。だが、俺は良いんだと首を横に振った。


「もう決めてた事です。ああ、でも一つだけ心残りはありますが…。日向子さん」

「は、はい!」

「手紙を、届けてくれませんか?」


 俺の唯一の心残りは、家族に俺は生きているって伝えられないことだった。だけど、日向子が帰るのならば、俺のその心残りが解消される。

 しかし、日向子は俺の言葉にポカンとしていた。


「手紙、ですか?」

「はい。あ、切手代は事前にお支払しますので、そこらのポストにでも入れて置いてください。引っ越しとかしていなければ、届くはずですから」


 きゅっと日向子の唇が強く結ばれる。


「任せてください!必ずトキナリさんのご家族に渡しますから!」

「ありがとうございます」


 これで憂いは無くなった。

 キェティは俺を見詰めたまま、再度確認を取る。


『良いのですか?一度受理されれば変更はできません』

「ええ。お願いします」


 ポンと俺の前に現れた光がキェティの元へと飛んでいき、掌におさまった。

 ターリャは嬉しそうな笑顔を浮かべ、キェティに向かって願いを言う。


「私はスーグ、いえ、白虎とその相棒を万全な状態に戻してください」

『よろしいですか?一度受理されれば──「女に二言はない!」


 キェティの言葉を遮ってターリャは言い放った。いやそこは男に二言はないでしょうに。

 思わず笑う。

 俺と同じくターリャの方からキェティへと光が飛んでいく。


「あのね、私トキに言いたいことがあるの」

「なんだ?」

「ふふっ、それは後でね」


 俺達を微笑ましく見詰めていたスズが一歩キェティの前に出た。


「ということは、私が次の女王でいいですよね?」

『はい』


 キェティの方から赤い光が生まれ、スズの元へと飛んでいき、キラキラと光を撒き散らしながら浮遊している。


『貴女の願いは?』


 まだ願いを言ってなかった日向子が「は、はい!」と姿勢を正した。


「私を、元居た場所に戻してください!あっ、あの、これ今すぐじゃなくて、帰りたいタイミングでって出来ますか?」


 チラリと俺を見た。

 ああ、そうか。今帰られたら俺の手紙を持っていってくれなくなってしまう。


『よろしいですよ』


 日向子の元から光がキェティの元へと飛んでいき、その代わりのように赤い玉が日向子の目の前に現れた。


『それに強く願えば帰れます』

「ありがとうございます!」


 玉を掴んで頭を下げる日向子。俺もほっと息を吐いた。

 良かった。早い内に帰れて。


『最後に、朱雀、貴女の願いを』

「はい。あ、でもその前に…」


 スズは隣の日向子に向き合った。


「ヒナ、私の大切な人。協力者。この一年、本当に…楽しかったです」

「スズ…」


 グッと日向子の顔が歪む。瞳は潤み、泣くのを堪えている。


「私も…っ、凄く楽しかった!突然こんなところに連れてこられて不安しかなかった、でも、貴女がいてくれたからなんとかなった!ありがとう…」


 涙を拭う日向子。無理やり笑顔を作り、スズに向けた。


「スズ、とても綺麗だよ!願いが叶って本当に良かった!」

「ええ、日向子も願いが叶って良かったです。…ねぇ、スズ。お願いがあります」

「なに?」

「指に着けた指輪を交換しませんか?」


 スズと日向子の左の小指に少しデザインの異なる指輪が嵌まっていた。


「いいよ」


 指輪を交換して、嵌め直す。そしてスズはキェティの方を向いた。


「私の願いは、女王になってもこの指輪を忘れないこと。失くさないこと。私の一部として認めて頂きたいのです。これだけは手放したくない…」


 どうやら女王になると所持品は全て無くなるみたいだ。

 キェティは『分かりました』と頷いた。


『そちらだけは上書きせずにいておきます』

「ありがとうございます」


 再びスズが日向子に向き合う。


「例え貴女を忘れてしまっても、この指輪が貴女と居たという証になってくれる。ヒナ、私の事を覚えていてくれますか?」


 グスッとヒナから鼻を啜る音が聞こえた。


「勿論よ!貴女は私の一番の親友だもの、忘れるわけがない!」


 ヒナがスズに抱き付き、フワリと優しくスズが微笑んだ。


「ありがとう、ヒナ」


 しばらく抱き合っていたが、スズがゆっくりとヒナから離れた。

 そしてターリャに向かって笑顔を向けた。


「ターリャ。ありがとうございます」


 ターリャも笑顔を返す。


「うん、どういたしまして。スズも、頑張ってね」

「ええ。勿論ですとも」


 スズがキェティの前まで来ると、キェティの手にはいつの間にか王冠があった。

 赤い宝石の散りばめられた王冠。


『朱雀。貴女にこの世界の権限を託します。その命でもって、世界を循環させなさい』


 膝を曲げて体勢を低くしたスズの頭に王冠が載せられる。

 するとスズの姿がみるみる内に変わった。ドレスが赤い花をモチーフにしたものに炎が加わる。翼も一際大きく、更に色彩が増していた。

 一目見ただけで、女王だと分かる。


「わあ…!凄く綺麗…!」

「だな」


 スズの手に炎で造り上げられた弓が握られ、真っ赤な矢をつがえると、天に向かって射ち放った。

 矢は真っ直ぐ上空へと飛んでいき、遥か上空で七色の光となって霧散した。その光によってこの白い空間が塗り替えられていく。

 夏を思わせる清々しいまでの青い空を、赤い花の咲き乱れる景色へと。

 ああ、これが女王の力なのかと感心した。


「あれ?スズは?」


 スズの居たところに視線を戻せばスズの姿は無くなっていた。


「スズは炎になって消えたよ。これで、代替えは終わり…」

「そうか…」


 日向子を見れば、端の方から赤い炎になっていく弓を抱き締めて泣いていた。

 けれど、その顔は何処か誇らしげなものだった。


 ターリャと二人、手を繋ぎ、空を見上げる。

 ここに来るときに見た水辺の多かった聖域は様変わりし、まるで南国のような色とりどりの花で埋め尽くされていた。


「これで本当に終わったね」

「ああ、終わったんだな」


 温かい風が吹いて、新しい時代の幕開けを告げていた。

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