あの子の夢を叶えて、お願い。

ピクルズジンジャー

 軽金属製のカードケースを手に取ると、ことりと手の中で何かが揺れた気配がした。


 模造宝石で飾られた蓋を開き中を改める。中には一枚のカードがあった。

 記憶にある限り、このケースに入っている筈のカード──一組につき十三枚のカード、それが剣、棍棒、盃、金貨のスート四組で五十二枚、そこからさらに道化のカード一枚を足した計五十三枚──は、全て消滅したはずである。ではこのカードの正体はなにか?

 指でつまんで裏返しただけで、その疑問はすぐに解けた。ケースの中に残されていたのは片面は何も印刷されていない予備のカードだ。

 しかし本来ならただ真っ白であるべきそのカードには、細かい文字がびっしりと書き込まれている。どうやら以前の持ち主が次の持ち主へ向け、このような形で何かを伝えようとしたらしい。

 目を凝らして小さなその文字を読む。


手妻てづまありす様


 親愛なるありすへ。

 突然ですが、私のことを覚えていますか? 

 さあて、私は誰でしょう? ──とクイズにしたい所ですが、今は止しましょう。

 私は弥生です。そう、十二歳から十四歳のあなたと毎日一緒にいた白ウサギのヤヨイ。機嫌が悪くなったあなたがいつも「ヌイグルミの癖に生意気なんだから!」って憎まれ口を叩いてくれた、あの弥生です。どう? 元気にしてる?』


 このメッセージををしたためたのは、どうやら私の古い知り合いらしい。

 判ったとたんにあの懐かしい声が蘇り、頭の中で響きだした。舌足らずで甲高い特徴的なあの声は、彼女たちと一緒に過ごした日々の記憶を醒まさせる。

 もうすっかり忘れたと思い込んでいたのに。小さな驚きを抑えて、細かな文字の続きを目で追った。


『さて、ありす。

 このメッセージを、いつ、どこで、誰と読んでいますか? 

 大人になったあなたが、住み心地のいいお家の中で、できれば仲のよい誰かと一緒に読んでるといいんだけど。例えばそうね、小角おづのさんなんてどう?

 詳しいシチュエーションも考えてみましょうか? 

 大人になったあなたは、かつて見ていた夢の通り、どこか遠くの知らない街で自分で集めた素敵な雑貨を集めたお店を開いてる。やりがいはあっても忙しい毎日、ふとしたタイミングで昔が懐かしくなった。そう、あちこちに散らばってしまった魔法のカードを集める魔法少女として、ウサギのヌイグルミになった私といっしょに毎晩のように秘密の冒険に繰り出していた、十二歳から十四歳だった時のことを。

 そこであなたは、机の引き出しにでも閉まっていたカードケースを取り出すの。といっても、私たちが二年間かけて集めたカードは、今やケースの中にたった一枚、白紙の予備カードがあるだけ。だからケースは軽くって、手で持つとカラカラと鳴るの。

 あなたはケースの蓋を何気なく開いて予備カードを取り出す。すると本来真っ白である筈のカードの表面には懐かしい私からのメッセージがしたためられていたというわけ。悪くないでしょ?

 どう、ありす。私の予想はあたっていた? 当たっていたなら、少しは驚いてくれた?

 たとえ外れていたとしても、私は大人になったあなたに向けてこのメッセージを綴ります。』

 

 耳の中で弥生の幼い声を響かせて読むうち、脳裏に彼女が妙案を思いついた時特有の愉快そうな顔も浮かびだした。

 弥生はメッセージの中で、自身が魔法の使い手であることを屈託なく明かしている。

 これを読むのが魔法の心得がない者だったなら、そもそも魔法のことすら信じていない世界の人間だったら、一体どうするつもりだったのだろう? 周到そうに見えて意外とぬけた所あった往時の彼女を思い出し、つい苦笑してしまう。どんな種類のものであれ、笑うのは久しぶりだ。

 残念ながら、ここは暖かな家の中でも、少女好みな雑貨を並べた個人商店の中でもない。もっと言えば、せっかくしたためたメッセージを読む者も私一人だけだ。

 弥生の勝手な予想を外したところでこちらの胸が痛むはずもないが、それほど悪くない場所に、今、自分が立っていることには救いを覚えた。

 ここは白い雲が風に吹かれて流れてゆく、青い空の下だ。柔らかな草の絨毯がどこまでも広がった、穏やかで心地のいい大地の上だ。


『書きたいことはいっぱいあるんだけど、ありす、まず私はあなたに謝らなくてはなりません。

 大人になったあなたにとっては大昔、とっくに終わった話かもしれないけれど、今このメッセージを綴っている私にとって、それはほんの昨日のことについてです。

 あなたと私、そして小角さんが二年間力を合わせてすべてを回収したカードを、私は彼女に差し出そうとしていました。一枚につき一つの願いを叶えることができる、それ故に悪人の手にだけは絶対渡らせてはいけない魔法のカードを、です。

 あなたの親友の小角さんを、新しい世界にやっと馴染んできたあの子を、ありす、あなたの目前で無慈悲に痛めつけた、恐ろしい異形の女の子にです。

 私からみても、優秀な魔法少女だった小角さんを瀕死の状態にまで追いやった彼女の姿は、あなたの目にはきっと善良な存在として映りはしなかったでしょう。

 こめかみから二本の角、背中から黒い羽根を生やした彼女は、私から見ても鬼か悪魔のようでしたから。

 それなのに私は彼女へ、予備までそろったカードをケースごと渡そうとしました。カードが悪人の手に渡ってしまうのがどれだけ危険かを普段から口を酸っぱくして説いていたこの私が、ですよ? しかも、「これは全部あなたのものだから!」「あなたのために私が今まで護ってきたものだから」だなんて叫んだ日には──。ありす、あの瞬間のあなたの顔を思い出すと、自分への怒りと羞恥に襲われて、内側から焼けこげてしまいそうです。

 何を言っても手遅れだけど、ありす、本当にごめんなさい。もっと早くあなたには私がこの世界にいた理由を全て明かしておくべきだった。それを語る時間はいくらでもあったのに、冗談めいたきっかけで手に入れた魔法を無邪気に楽しんでいたあなたを前にすると、魔法が本当はどのようなものであるのかを伝える勇気が萎えてしまった。

 そうやって先延ばしにしているうちに、昨日のようなことが起きてしまった。

 悔やんだって、何もかも後の祭りです。

 安心してね、小角さんは無事です。私の部屋のベッドで今眠っています。

 ぬいぐるみの姿で高度な魔法を使うのは難しいけれど、そこは昔取った杵柄です。致命傷や深刻な後遺症が残りそうな損傷部だけは、何とか治してみせました。全快するまでにはもう少し時間はかかるでしょうけれど、小角さんもあなと同じように素敵な大人になることが出来るまでには回復しました。断言できます。

 ねえ、ありす。昨日、学校から帰る途中、いつものように私のお店に立ち寄ってドアを開けたとき、あなたの目に飛び込んできたものはなんだった? 

 竜巻が暴れたあとのように派手に荒されたお店の中? 

 倒れた棚の上で気を失っていた血まみれの小角さん? 

 小角さんを冷たく見下ろす怪物じみた女の子の後ろ姿? 

 そんな彼女へカードの入ったケースを差し出そうとしていた私?

 どれが一番だったのか私にはわかる筈もないけれど、ケースに入ったカードを差し出した私はこう叫んだ後でした。


「受け取って! お願いだから実果の好きに使って! これは実果のために私が作ったものなんだから!」

 

 そのあとにすぐに、ドアの前で立ちすくむあなたと目が合った時の衝撃は、きっと一生忘れられません。

 あなたが怒るのも最もよね。

 自分たちの仲間を助けたい、世界が大きな間違いを仕出かす前に時間を戻したいと願う小角さんのためにカードを使うって決めたばかりなのに。それに私だって同意したっていうのに。

 私と来たら、あなたの大事な友達を徹底的に痛めつけた怪物じみた女の子の名前を呼びながら、大事なカードを贈ろうとしていたんだもの。しかも、カードが最初から彼女のものであったようなことまで言ったのだから。

 なのに、彼女はすげなく断りました。


「そんなもの要らない。それに、たったそれだけの奇跡で私たちの世界は元には戻らないし、戻す価値もない。私は最後の仕事に来ただけだから」


 じゃあね、弥生。元気でね。

 角と羽根をしまって普通の女の子の姿に擬態しながら私にそう言い残し、彼女は店を出ていきました。去り際にあなたの傍を通って。

 それから少し間を置いて、ありす、あなたは私に対して怒りをぶつけましたね。

 めちゃくちゃになった小角さんの体を治すためにカードを使うこともなく、異形の女の子をそのまま逃がしたこと、そしてカードをあの子に渡そうとしていたことを、泣きながら非難したわね。

 ヤヨイの嘘つき! そう叫んだあなたが、お店から飛び出して一晩経ちました。今は明け方です。

 カードは、今このメッセージを書き込んでいる予備も含めた五十四枚全て、私の手元にあります。

 それを使って一晩中、いくつかのことを占ってみました。あなたたちのこと、私自身のこと、この世界のこと、私たちの故郷のこと。結果は置いておきましょうね。大事なのは、私があなたにずっと伝えずにいたことを説明する決心がやっとついたっていうこと。

 昔なにがあったのかを話すだけでどうしてこんなにうじうじと悩むことがあるんだろう? 

 今、あなたはそんな風に首を傾げているかもしれませんね。

 でもね、ありす、時々泣き言を言うあなたを叱ったり励ましたり、一端いっぱしの魔法少女として散々先輩ぶっていた私のみっともない過去と、とんでもない臆病で醜くて臆病な姿と、故郷を捨ててこの世界まで逃げ延びた本当の目的を教えて、軽蔑されるのが怖かった。

 昨日、店に姿を見せた彼女──千石ちぢわ実果みか、これが彼女の名前です。──も私のことを、相変わらず状況に流されるか逃げ回るだけの臆病者だって呆れていたはずよ。だって、去り際に見せた目がそんな風に語っていたもの。昔と全く同じように。』


 いつのまにかカードは白い便箋に姿を変えている。ありふれた魔法を便利に使いこなせる器用さは、いかにも弥生らしかった。

 便箋は数枚に及んでいる。どうやら弥生の昔語りは時間を要する種類のものらしい。話が無駄に長い所はかつての彼女そのままで、懐かしさを誘われた。


『ありす、まずは私や実果を含めた、四人のことから始めましょう。

 私の本名は、名原なばら弥生といいます。魔法少女になったのはあなたと同じ十二歳のとき、本を読むことと図書館や博物館めぐりが好きな、内向的な女の子でした。

 実果の本名は、先にも挙げたけれど千石実果。初めて出会った時は今のあなたと同じ十四歳。いつも冷静で無口で一見とっつきにくそうに見えるけれど、実は誰よりも優しい女の子でした。本当よ。

 私と実果は、四大魔法少女カルテットのうち二人でした。私と実果とあと二人、計四人からなる魔法少女のチームを故郷の世界ではそう呼んでいたんです。偉大なる魔法少女四人組という意味で、誰かが勝手に名付けたみたいです。こう呼ばれるのはたまらなく恥ずかしかったけれど。

 あとの二人、それが真秀まほとユリアです。

 伊東真秀は、私たちの中の最年長で私から四歳年上のお姉さん。綺麗で優しくてしっかりした、頼り甲斐のあるリーダーでした。魔法界全体の平和と安寧を司る女帝のことを尊敬して、無駄な争いを心から嫌っていたわ。あらゆる世界の絶対平和のためにこそ、私の魔法を使いたい。世界が正しく在ることだけをただただ願っている魔法界女帝エンプレスの意志を世界の隅々までに広める、その礎になりたい。それが彼女の願いだった。

 中浦ユリアは実果と同級生で、ドジも多くて泣き虫で、生き物が傷つけられるのは見るのが辛いっていつも心を痛めているような子だった。お肉やお魚も出来る限り食べたくないって心から言ってしまえるような優しすぎる子で、どうしてこんな子が魔法少女に!? って呆れてしまうくらい戦闘には不向きな人でした。でも、私たち四人の中では誰よりも芯の強い子だった。一度決めたことならなにがなんでもやり通して、私たちをよくびっくりさせたわね。将来は福祉の勉強をしたいって言ってたっけ。

 頼り甲斐のあるしっかり者で、同時に理想家でもあった真秀。ひ弱な泣き虫だけどその分優しくてちょっと頑固なユリア。ぶっきらぼうだけど本当は優しくて戦闘では一番頼りになった実果。そして、いつも本を読んでばかりいたから知識や知恵だけは年齢不相応に豊かだったけれど協調性や想像力に欠けていた弥生こと私。これが、故郷の人々から讃えられた私たち四大魔法少女カルテット。どう? あなたと時々見ていたアニメーションに登場していた魔法少女チームのセオリー通り、見事に個性がバラバラでしょ? そんな私たち四人にはたった一つの共通点がありました。

 他の魔法少女達とは違って、私たちは四人とも、魔法界女帝エンプレスの声を聴いたことで魔法少女に覚醒したの。

 ありす、あなたは魔法なんてお話の中にしか存在しないという界域で育った子だから、魔法界女帝エンプレスについて詳しく知る筈ないわよね。だからここで簡単に説明しておきます。

 多元宇宙の一方面、私の故郷のように魔法が当たり前に存在するあらゆる世界が集まった界域は、昔から魔法界って呼ばれれていました。その魔法界全体を見守って、秩序をもたらす尊い存在こそが魔法界女帝エンプレス。優しく慈悲深いとされている御方で、人々が魔法や魔力を愚かなことに使用していないかどうかを、魔法界の中心にある宮殿から常に御覧になっている、そういうことになっています。少なくとも、真秀とユリアはそう信じていました。

 残念だけどね、ありす、魔法界でも争いは常に絶えません。

 ありすの育ったこの世界とは違い、私たちの世界に出現する敵はすべて魔法界にある別の世界の人々でした。魔獣に怪物、すさんだ表情の魔法使いや軍服に身を包んだ侵略者たち。そういった連中が魔法界域内の異世界からいつもいつも現れては私たちの故郷を荒し、大きな被害をもたらしていたのです。

 さて、魔法の存在する世界ですから、異世界からの敵を追い払う武力も当然魔力を糧としています。 

 次元の壁を隔ててやってくる敵を倒せるほど強力な武器や、敵の基地を破壊できるような兵器には、意志の疎通の難しい精霊や強い魔力が宿っています。それらを起動するには、使用者自身も一定レベル以上の強い魔力の持ち主でなければならないの。

 だけど、殺傷力の強い武器や兵器を自由自在に振るえるほどの魔力を持つような人間なんて、魔法が当たり前だったあの世界にもそうそう沢山はいやしない。

 だからね、強い魔力を持って生まれた子たちは、早くて十歳くらいから戦闘専用の特殊な魔法の訓練を受けることが義務付けられていました。そんな子たちは皆、世界政府の管理と統括のもと教育されていたんです。

 最初はシンプルな魔法の杖から始まって、簡単な魔法を習う。ある程度魔法の使い方を理解したら、次はより仕組みの複雑な武器を扱う魔法を学んで戦場に送り出される。

 そして、そこでも魔力の成長が見られた子や戦場で生き延びた子たちを対象に、敵の基地を一瞬で焼き尽くすほどの火炎と呪いの魔力の宿った兵器を制御する魔法を学ぶ。そんな風に実力と階級をあげていくというわけ。

 不思議なことに、兵器を扱えるほどにまで成長する魔法の使い手は昔から女の子の方が多かった。男の子はうんと稀。襲撃を受けて怖い思いをしている人たちの前にさっそうと現れて派手な戦闘魔法で敵を倒し、華麗な防御魔法で護ってくれるのは女の子の方ばかりだったから、いつの間にか強大な魔法の力で闘うのは強い魔力を持つ女の子の仕事ってことになっていたの。

 要するに、私の故郷では魔法少女って決して特殊な存在ではありませんでした。こちらのいる世界でいうなら、軍人や傭兵って言った人たちに近いわね。

 私はね、とても臆病だった上に自分のことにしか関心のない子供だったから、魔法少女になんて全くなりたくなかったの。

 本棚にもたれてずーっと本が読めるならそれでいい。貴重な遺物や文化財が収められている博物館が無事ならそれで結構。異世界からやってくる敵と魔法少女の戦闘のせいで世界のあちこちが酷いことになろうが、どこか遠くで名前を聞いたことすらない誰かが怒り悲しもうが知ったことじゃない。だって私に直接関係ないもの──そういう子供だったの。幸い魔力の量も人並みだから、怖くて面倒なことばかりな魔法少女になってしまう心配はない。ああよかったって安堵してたわ。どう、イヤな子でしょう? 

 それなのに私は魔法少女になってしまいました。何故かって? それというのも、魔法界女帝エンプレスの声を聴いてしまったからなのよ。

 図書館で、お気に入りだった考古学の本を捲っていた時だった。ちょうど地母神のページを開いて、古代の人々が創造したグロテスクな女神像のモノクロ写真を見ていた時に、敵の襲来を知らせる警報が町中で鳴りだして、図書館内に居た人たちが地下の避難壕目指して移動を始めたの。私も不貞腐れながら、本を閉じようとしたわ。 

 その瞬間ね、本に印刷されたモノクロ写真の女神像が、急に実体をもって私の目の前で立ち上がったのは。

 魔法が存在する私の故郷では、挿絵が飛び出す魔法が仕掛けられた本は珍しくなかった。でも、お気に入りだったこの本にはそんな魔法はかかっていない筈。戸惑って、息を飲んだ私の目の前でモノクロの女神像が口を開いたの。

 その瞬間、耳をつんざくような警報が一切聞こえなくなった。

 代わりに鼓膜を激しく震わせたのは、今まで聴いたことの無い音だった。管楽器の音色に似てる気もしたけれど、弦をこする音にも似ていたかもしれない。後から色々考えてみるけれど、その音や調べはどんな楽器にも喩えることは難しい。唯一分かったのは、この音は目の前の女神像の歌声だっていうこと。でもね、私はそのすぐあと気を失ってしまったわ。女神像の歌声に頭の中を揺さぶられてしまったせいで。

 目を醒ましたら、空戦専用の戦闘衣装を纏った魔法少女のお姉さんたちに囲まれていた。

 なかなか事態が把握できなかったけれど、図書館の天井が崩れ落ちて茜色の空がみえたことや、あたりに紙切れが待ってたくさんの本が投げ出されていることや、その上に本棚が倒れていること、遠くから生き物の肉を焦がしたような強烈な匂いがすること、視線を動かすと真っ黒に焦げた小型の竜らしき生き物の死体が図書館が入っていた文化施設の一部をつぶしながら地面に横たわっていたことなどから、大体の状況を察したの。

 ああ、ここにも敵が来たんだ。私は地下壕への避難が遅れたせいで敵の攻撃に巻き込まれて気を失った所、魔法少女のお姉さんたちに助けられたんだって。

 でもね、お姉さんたちは私を怖ろしそうに見るだけで、目覚めたばかりの子供を助けるような行動には移してくれなかった。それに私もどこかを怪我したような痛みもなにも感じなかった。周囲だけが騒がしい時に、彼女たちのリーダーらしいお姉さんが駆け寄って、私を取り囲んでいた子達を叱ったわ。何してるの、負傷者の処置は一刻を争うのよ! って。

 彼女たちはリーダーに伝えたの。違うんです、負傷者じゃありません、この子ですよ、地上付近から魔力で熱線を構成して敵を撃墜したのは、魔力計測器も異様な数値を示していますし、ほら……とかなんとか。

 どうやら私が不思議な音──それが魔法界女帝エンプレスの声って知ったのはもう少し後だけど──を聴いて気を失っていると私が思っていた間に、勝手に体が動いて、本来の私が使えるはずの無い高度な魔法で敵を撃ち落としたんですって。そんな話、信じられなかったけれど、私が図書館の天井を壊して宙に飛び出し、手から光線を放って空飛ぶ竜を黒焦げにした所を戦闘衣装姿の魔法少女たちが全員見ていたんだからどうしようもなかった。

 そんなの覚えてない、私にそんなこと出来るはずが無いって言い張っても、複数の目撃者がいるんだからって理由で政府の施設まで連れていかれて聴取された上に検査検査また検査! 日付が変わった頃になってようやく、あなたは魔法少女に覚醒しました、おめでとうございますって告げられました。この時のことを思い出すと本当にうんざりします。

 ありす、さっきも告げたけれど私は本当に協調性と奉仕精神に欠ける子だったのよ?

 だから、覚醒した以上は魔法少女になるしかないと聞かされた時は泣くしかありませんでした。

 これから一般社会から切り離された魔法少女育成用の特殊な学校に放り込まれてしまうんだ。戦闘や治癒に関する魔法に、魔法界内に共通する界域法や各種条約を学ばされ、旧来の軍隊に起源がある訓練や集団行動のための規律を叩きこまれるのだ。そんな想像して泣きました。どれもこれも私の苦手なことばかりでしたから。

 しかし、魔法少女になるしかないと私に告げた、尉官の徽章をつけた魔法少女のお姉さんが言いました。安心しなさい、あなたは私たちとは違うチームに所属してもらうからって。


魔法界女帝エンプレスの声を聴いて覚醒した子たちは、私たちと一緒に行動できないの。お互いに危険だから」


 空戦魔法少女の特徴でもある空色のベレーの下に、きっちりと髪をまとめていた魔法少女の隊長さんはそう言ったわね。ほんの子供だった私が相手なので微笑みかけてはくれたけど、面倒なことになったって本音が漏れ出た、そんな表情で。

 その意味が分かったのは数日後。偉い人だけが乗ることを許される高級車にのせられて連れていかれた、流行の発信地として有名な繁華街でのことでした。

 おもちゃ箱のような街の中でも一際カラフルな外観をした、フルーツタルトで有名なカフェに連れていかれたんです。二階へ通され、座り心地のいいソファと白いクロスのかかったテーブルが置かれた、その店一番の特等席まで案内されました。

 

 そこにはそれぞれバラバラの制服を着た、一面識もないお姉さんが三人いました。

 亜麻色のロングヘアが目を引く高校生くらいの優しそうなお姉さん。

 ゆるくカールのかかったツインテールの根元にリボンを結んだ、中学生くらいのお姉さん。

 テーブルの上に肱をつきながら窓の外を見下ろしていた、黒髪をボブにしたお姉さん。

 ありす、もうわかるわよね。この三人がそれぞれ、真秀とユリアと実果です。魔法界女帝エンプレスの声で覚醒した魔法少女、後に四大魔法少女カルテットだなんて呼ばれることになる私たち四人はここで初めて顔を合わせたんです。

 明るい特等席に座っている三人のうち、一番年上の真秀が代表して席をたち、私に向かって手を差し出しました。


「名原弥生さん、で、よかったわよね? 初めまして。私は伊東真秀。これから私たち四人、仲良くしましょうね。 魔法界女帝エンプレスに仕える姉妹として」

 

 真秀がこの時口にした言葉の意味はこの時まるで理解できなかったけれど、その時の笑顔はとても優しそうで、数日前に魔法少女の隊長さんが浮かべたかりそめの微笑みとはまるで違うものでした。だから私も警戒を少し解いて、真秀の白くて柔らかい手をとっておずおずと挨拶をしたんです。』


 弥生が魔法少女になった経緯いきさつを知るのは初めてだった。へぇ……、と口から微かに声が漏れる。

 元はカードだった便箋の枚数が手の中で増えてゆく。少し飛ばし気味に文字を目で追う。大切なことを話さなければならない時ほど口数が増え、要点から遠ざかる。魔法を使いこなす才に長け知恵も知識も十分だったのに、生来の気質によるものか、どうにも話下手なところがあって説明が冗長。そんな弥生の性質が如実に表れた手紙に感傷的になりかけたけれど、思い出話には正直付き合ってられない。ざっと目を通した便箋を後ろへ送る。

 風には嗅ぎなれてしまった匂いが混ざっていた。

 どこか海のそれに似た、血の匂いだ。


魔法界女帝エンプレスの声を聴いて覚醒したものは、その声を聴けない魔法少女と同じ隊にいれてはならない。

 統率のとれた狼の群れに一頭の虎を放つような結果にしかならず、ただただ無益なだけである。多少の損害ですめばむしろ幸運で、下手をすればそこを敵につけこまれて世界に危機を招き寄せる恐れすら生じる。

 防衛省の方々は経験則からそのことを熟知していたの。私たちみたいなタイプの魔法少女は家族や仲間と過ごした方がいいみたいだって──と、初めてあのフルーツタルトの美味しいカフェへ連れていかれた日にすぐ、リーダー格の真秀から説明してくれました。

 それで、私はようやく恐れていた訓練学校への強制編入を免れたことを実感したんです。訓練学校へ入らなくてもいいなら、当然、軍隊由来の厳しい修練に耐えなくてもいい。今まで通り、我が家で安全な日常を過ごせるのだって。

 でも、スクランブルの鐘が鳴った時だけは何が何でも現場に直行する。それだけは絶対でした。

  

「そうして困っている人たちを助けて、喪失に涙を流す人たちに寄り添う。それが私たち魔法少女の本来の使命なのよ。戦うことのみが本分ではないの」


 いい香りのする紅茶を飲みながら説明してくれたのは、ふんわりと柔和な雰囲気を漂わせていた真秀でした。 

 凝った縫製のブラウスと上品なジャンパースカートという有名なお嬢様学校の制服姿の真秀が、緊張する私にタルトやお茶のメニューを広げてみせながら、私に微笑みかけてくれたんです。


「もちろん、戦うことだって時には必要ですから、戦闘にのみ特化した魔法を習得することも大事です。でも、本当は戦いたくない子を高い魔力を有するからって理由だけで魔法少女に変身することを義務付けるだなんて、そんなことは残念ながら間違っています。少なくとも魔法界女帝エンプレスが望んだことではありません」


 優しい口調で、でも真秀がきっぱり断言したのに合わせて、ゆるくカールした髪をツインテールにしたユリアがうんうん頷いていました。白桃のタルトをほおばっていたので言葉は発せない状態だったけど。

 私をつれてきた防衛省の役人が、真秀の言葉とユリアの態度を見てえへんえへんと咳ばらいをしましたが、二人は綺麗に無視していたっけ。私のことはちらっと見たっきりで、それ以降はずっと窓の外を眺めていた実果にいたっては、真秀やユリアのことすら視界に関心の外にあるかのようでした。

 防衛省の方の咳払いと三人の魔法少女の態度。私はその時、寒気のようなものを感じました。可愛いお店には不似合いなぞっとするような緊張感です。

 でも、真秀の温かく優しい雰囲気や、タルト生地を喉に詰めてしまったせいで目を白黒させながらアイスティーを一気に飲み干す見るからにドジなユリアと、呆れた顔つきでユリアの背中をとんとんとたたく実果がみせたコミカルなやりとりで、それはかき消されてしまいました。

 よかった。私はまず安堵しました。

 刑務所のように語られていた訓練学校での集団生活は回避できたみたい。それだけでなく、魔法少女活動をすることになるこの人たちは悪い人達ではなさそう。特にリーダーのお姉さんは優しそうだし。ツインテールのお姉さんはなんだか可愛い。ボブカットのお姉さんだけはちょっと怖そうだけど、にこにこ愛想をふりまかないところがすごく格好いい。それにこの人たちと同じチームで魔法少女をやってるんだから悪い人なわけがない。

 実果の介抱とアイスティーのおかげで、ようやく一ここちついたユリアが大きく息を吐いて吸い込みました。その音でテーブルの周りが和み、居心地のいい空気に乗せられて私もやっと笑うことができました。

 こうして私は四大魔法少女カルテットのメンバーの一人になったんです。

 この日はみんなでお茶を飲んで、タルトを食べて、どんなタイミングで魔法界女帝エンプレスの声を聴いたのか、とか、それぞれの学校では何が流行っているのか、とか、大事なことや他愛ないことをごちゃまぜにしておしゃべりを楽しんだわね。

 別れ際に真秀が、私の首に護符メダイユをかけてくれました。レモンドロップみたいな石の嵌ったそれが、魔法少女になった私に授けられた初めての杖になりました。

 私はこの後、あのカフェで集まるたびにレモンタルトばかりなるようになったっけ。きっかけは、「やっちゃん、柑橘類がすきならレモンタルトを食べなよ。美味しいよ」なんて、他愛ない理由でユリアに勧められるがままに食べたことだったわね。確かに、それまでに食べたお菓子の中では一番美味しかった。今でも懐かしく思い出されます。──ああ、どうやら寄り道が長くなったみたい。本当に私の悪いクセです。』


 長々した文字列の上を滑らせていた目を止める。

 そうだ、ユリアは弥生のことを「やっちゃん」と呼んでいた。真秀のことは「まーちゃん」で、私はそのまま「ミカ」だった。同い年だからという理由で「ちゃん」を付けなかったのだと、初めて顔を合わせた時に照れくさそうにはにかんで、髪の根元にピンクのリボンを結んだツインテールを揺らしながらそう答えたのだ。


 ──あのね、あたし、こんなんでしょ? しかも、小さい時から一人でずっと部屋の隅っこで魔法界女帝エンプレス様とお話してるようなヤツだったから、タメの子からは気持ち悪がられることが多くてさ、同い年の友達がいなかったんだ。だから、ミカがチームに入ってくれて嬉しいの。ずっと、名前を呼び捨てできる仲の友達が欲しかったんだ。まーちゃんは優しいし頼りになるけど、やっぱ「お姉さん」とか「先輩」って感じじゃん? 呼び捨ては難しいんだよね。

 ──だからね、ミカが嫌じゃなかったらあたしのこともユリアって呼んでよ。全然構わないから、ていうかむしろ呼び捨てじゃないとヤだから。


 ブレザーにチェックのスカートというありふれた制服から浮き上がる、甘ったるいツインテールに砂糖菓子みたいな童顔の持ち主だったユリア。あの子は正直、進んで仲良くなりたくなるタイプの少女ではなかった。むしろその逆、出来る限り遠ざけておきたいセンスを持つキャラクターの子だった。

 明るい色味の髪をツインテールにしているところですでに勘弁してほしいのに、その根元にリボンを結わえるセンスなんて最悪どころの話じゃない。その色が淡いピンクだったことにもうんざりさせられた。ピンクだなんて、私がこの世で一番嫌いな色だった。

  あのタルト屋は、ユリアのお気に入りの店だった。

 二階奥のテーブル席を特に気に入って、ここをあたしたちの基地にしよう! と、目を輝かせて子供じみた提案をしたのはあの子だった。

 弥生が仲間になり、私たちが四大魔法少女カルテットなどとくだらないチーム名で呼ばれ、あらゆる場所にあらわれる敵を蹴散らし災害を未然に防ぎ、人々を護っていいた時も、時間を見つけてはあの店でタルトと紅茶を愉しみながら色んなことをしゃべって過ごした。

 魔法少女活動のこと、魔法界女帝エンプレス派の魔法少女たちを目の上のたんこぶ扱いしている政府上層部による横やりのこと、ここのタルトで一番おいしいものは何か、そして将来は何になりたいか……。有益なことも無益なこと、四人がその日のテーマに選ぶ話題に脈絡は無かった。くだらない時間だったけれど、今となってはあの時間全てが愛おしい。

 確かめるまでもなく、懐かしいあの店は、いつも人であふれていたあの通り沿いにあった商店もろとも消し飛んで、跡形すらなくなっている筈だ。

 それほどのことをしでかしたのは、もちろん私、千石実果だ。

 弥生の手紙に「小角」という名で登場する特無所属の量産型が言った通り、私は過去に世界を壊し尽くしている。

 随分子供じみたことをしたと思わないでもないが、己を省みる心はこの程度しか浮かんでこない。もっと深く悔い改めようとすれば、どうしてもユリアの亡骸がフラッシュバックしてしまうのだ。

 ──現に今もそうだ。私はがばりと草の絨毯から身を起こす。がむしゃらに喚いてしまったせいで、血を吐いたように喉が痛んだ。

 動悸の激しい胸を押さえ、頭を振り、蘇った記憶を鎮める。

 どこまで心を失くせば人間をこれほどの状態に変えてしまうことができるのかと震え上がったユリアの一部分、ピンクのリボンが蝶々の形をきれいに保ったままなのに血や脂で汚れてぬとついた髪の束の感触 それらの情景や感触を遠ざける為に、俯いて瞼を抑えた。


 記憶を嬲る様に、風は血の匂いを私の元まで届ける。すぐそこに転がった少女の骸からそれは漂う。あの少女こそ弥生が手紙で語りかけている相手、弥生が逃亡先で出会った別の世界の魔法少女、手妻ありすなのだろう。

 彼女は今、無邪気な幻術を披露する芸人を連想させる改造燕尾服風の衣装姿ではなくなっていた。ぴくりともしない肉体がまとっているのは、グレーのブレザーとプリーツスカートだ。おそらく普通学校の制服だろう。外見からすると中学生か。

 寝転がっていた状態から上半身を起こし、膝を三角の形にたてた座った私は、命の気配が乏しくなった彼女の肉体を見下ろす。そよ風が彼女の髪と制服と、無数の白い花と草を揺らしている。

 脳裏に広がる光景から目をそらすため、私は言葉を口にした。


「シロツメクサってあった? 手妻ありすの世界にも」


 当然、じわじわと手妻ありすではなくなろうとしている肉体は、私の問いかけに応えはしなかった。

 しばらく待ってから、私は弥生によるありす宛の手紙の続きを読みだす。

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