ヘタレの努力家

りばーしゃ

プロローグ

思い出と声




 ここは、何処だ?




 最初に目を覆ったのは……暗闇だった。


 いや、暗闇という現象じゃない。目が開いているのに開いていない、そんな感覚にこれは暗闇では無く、一才の光の無い、本当の闇なのだと思った。


 例えるならば……そうだな、灯りを消して、寝る時に見る時の〝瞼の裏〟のような景色だろうか。


 無数に浮かぶ、大小様々な紫色の泡(あぶく)。


 色は薄くは無く、黒と同一視してしまう程のそれは、均一に球体を描くものは少なく、風で靡(なび)いたかのように不定形だ。




 寝る時と違うのは……この動きにくい浮遊感。


 ふよふよ、ふよふよと、何とも不思議な浮遊感が俺の身体を包んでいる。


 宇宙には行った事もないが無重力ってこんな感じなのだろうか?


 エレベーターの下降時の浮遊感にも良く似てる…いやあれが無重力か。




……だがその時の感覚とは違い、決して心地よいとは言えない。


 それは俺の心の中の感情の方がこの泡の如くもやもやと暗く立ち込めているからだろう。




──ぱちん。


 一つの泡が俺の目の前で弾けた。


 それと共に聞こえたのは……『罵声』。




───みんな同じ事教えてるのになんでお前だけ分からねぇんだ!───




───俺の仕事に文句つけんのか!?さっさと行けコラ!!───




 がなるように、抉るような中年の男の──罵声。



 ……ああ、クソッ…これは職場にいた職人気取りの偏屈頑固オヤジだ。


 お前〔同じ事〕を〔同じ早さ〕で教えてねぇだろうが。何が時間ねぇから一週間で覚えさせるだよボケ。


 持って行って良いかの確認を取っただけで文句は言った事は無い。大体安全靴で蹴るんじゃねぇよクソが。




 泡が弾ける途端に雪崩(なだ)れ込んで来るそれに静かな怒りが甦(よみがえ)る。


 なるほどな。この泡は俺の〝記憶〟か。




──ぱちん。


 また一つ、泡が目の前で弾けた。




───みんな同じだから、お前だけじゃないから───




 あれは誰の言葉だったか……ああ、そうだ。かつてのクソ上司の言葉だったな。


 それならばどうして皮膚炎のある俺がかぶれても我慢して仕事してるのにあのおっさんはなぜ掃除もせずに歯が痛いからと帰ってるのだ?


 その後始末したの俺なのに何故まだ掃除してるのと他の人に罵倒されなければならない?


 みんな同じならあのサボっている奴らとサービス残業している俺は何故同じ給料なんだ。てめぇが俺の対応めんどくせぇだけだろ。事ある毎に先輩と仕事比べやがって。




──ぱちん。




───気の所為だよ。みんな同じ作業量だよ───




 これはクソ先輩の言葉だったな。俺に仕事押し付けてスマホ弄ってたこと忘れねぇぞ。


 何が事ある毎に悪いけどこの仕事お願いだ。タバコ休憩とかでサボってるんじゃねぇよ。


 どうして数年仕事してて体格も良いあんたと入ったばかりの俺がすぐ同じ仕事出来ると思われてんだよ。




───なんで分かってくれないの。普通分かるでしょ?───





 これは俺の貯金が無くなったら連絡を絶ったクソ女の言葉。


 〔普通〕ってお前の中だけだろ。世間一般のやつも金無いのにいざとなったら〇〇から借りれるって言われたらキレるわ。


 仕事もろくにせず難癖ばっかり、俺の良心につけ込みやがって。




 ……ああ、どうしてこんな嫌な記憶ばかり俺にはあるのだろうか……いや、嫌な記憶だけじゃないはずだろ。思い出せ、俺。




 ぐにょぐにょと這いずるかのような不快な記憶の泡を、動きにくいながらもくぐり抜け、別の良い記憶を求める。


 ああ、ほら…あるじゃないか。




───〇〇は変わらなくて良いよ。そのままが好き───




 ……これは癌で死んだ元カノの言葉だな。あの頃が一番幸せだった。


 彼女だけだっけか、みんなに言われて変わろうと頑張ってた頃に俺のそのままで良いって言ったのは。


 変わらなければ──と、寄生虫のように身体の至る所に這いずるそれは負のスパイラルを生み出し、いつの間にか「これなら死ねるな」という考えが安易に浮かび出すのだ。


 そう、休憩の時に買う、自販機の飲み物のように──安易に。




 それを支えてくれたのが彼女だった。残念ながら数年の付き合いになってしまったが。




……ああ、そうだ。もう終わった事だ。振り返る事は良しとせど、思い出に囚われてはダメだ。


 もやもやとした気持ちが幾らかマシになった気がした。また助けられちまったな。ありがてぇ。




───ふと、今の現状について考えて見た。



 この景色、思い返される様々な記憶、そして……この浮遊感。


 ……ひょっとすると走馬灯?死後の世界?もしかして俺死んだのでは?ははは、まさかそんな馬鹿な。ばんなそかな。





『その通りだよ』





 まさかとふざけて苦笑していると誰かに語りかけられた。


 その声は女性と少年のようだが……違う。


 重なり合うような明らかに人間では無い声だった。




はいぃ?待て待て、誰だお前は。というか何という不思議な声をしてるんだい。




『僕は……そうだね。全ての中の1つ…かな』




 あやふやにその声は俺の思考に答えた。


 人間では無い声だが決して機械的なモノでは無い、感情を感じる声で。




 なんて回りくどい。そんでそんな人……人か?まぁ、いいや。


……とりあえず俺は何で死んだんだ?





『…なんだか達観してるね。僕が君の思考を読んでる事にも気にしてないし。……簡単に説明すると肉体と精神が限界を迎えたのさ。……俗に言う過労死だね』




 突きつけられたその死亡原因。


 俺の感想としては……そんなにショックは感じなかった。


 なんというか「あーね」というやっぱそう言う感じかーと言った物だった。




 親から過ぎた事はあんまり考えるなって良く言われてたし、俺はファンタジーな出来事は歓迎な人間なんで思考を読んでる事は気にしない。


 にしてもまじかー、過労死かー。


 筋トレと栄養補給に睡眠もとってたんだけどなぁ。やっぱり体力の代わりに栄養ドリンクで意識無理矢理起こしてたのがダメだったんだな、多分。




『臓器と脳にも負担があったからね。悪いこと噛み合ってぽっくりさ……他にも原因はあると思うけどまぁ、いいか』





 含みがあるように俺の死因を告げた。


 臓器と脳か…すまぬ我が身体よ……今度があるならしっかりと労ってやろうぞ。


……これだったら輸血とかドナー登録しとけば良かったわ。おせーけど。常人より濃かったらしいし。あっ、おめめはダメだったわ。




『……君は優しいね。今までの人達はそんな事考えてもいなかったよ』





 ……優しくなんてねぇよ。ただの自己満足さ。


 俺がやりたくてやってるだけの事。





『……君は生まれ変わったらどうしたい?』





……変わらねぇよ。幸せな家庭を持ちたい。それだけだ。


───強いて言うなら次はもう少し自分に自信を持ちたいかな。





『……気に入ったよ。君に新しい命をあげよう。その新しい命をどう使うかは君次第だ』





 ははは、ありがとよ。せめて転生する前に親に幸せだったって伝えてくれ。





『……分かった。そんな優しい君にプレゼントを送っておくよ。それだけしか送れないけど許してね』





 おう、ありがとよ。元々不運な身だから別に慣れてるさ……最後に……お前の……名前は……


 俺が返事をすると次第に意識が遠のいて行くのを感じた。


 ああ、なるほど。これから生まれ変われる…のか…





『僕には名前なんてのは無いさ。……そうだね。みんなからは神…と呼ばれているよ。また会おう、直向(ひたむ)きに努める者よ』





 朧げな意識の中、その〔神〕はそう言って無邪気に笑っていたような気がした。


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