312話 ユリウスの過去(8)

  「カシアス!」



  もがき苦しむカシアスにおれはひたすら呼びかける。

  だが、カシアスの様子は一向によくなる気配はなく、悪化していく一方であった。


  彼の体内からは禍々しい魔力が溢れ出している。

  まるで体に溜まった膿を吐き出すかのように、カシアスの体からはとめどなく濁った魔力が放出されているのであった。


  そして、近づこうとするおれにカシアスは怒鳴どなり声をあげる。



  「離れろ……!!」



  そう叫び声が聴こえた直後、おれの真横を鋭利な氷塊が目にも留まらぬ速度で通過した。

  明らかに、それはカシアスが放った攻撃魔法であった——。



  「体を……制御できない……」



  苦痛に表情を歪めて、カシアスはそうつぶやく。

  どうやら、カシアスは現在自分の意思で肉体をコントロールできていないらしい。

  そのため、このように暴走してしまっているようだ。


  そして、騒ぎを嗅ぎつけたグスタフがおれたちのもとへとやって来る。



  「おい! これはどういうだ!? カシアスに何があった!!」



  グスタフは到着して、カシアスの状態を一目見るなりそう尋ねてくるのだった。



  「それが……わからないんだ」



  おれはありのままの感想をグスタフに告げる。

  だが、おれたちにはゆっくりと話し合う間など、与えられていないのであった。



  カシアスは先ほどおれに攻撃魔法を解き放ってしまったように、今度はグスタフに向けて攻撃魔法を暴発させてしまう。

  カシアスの背後には幾つもの氷塊が表出し、それらがいっせいにグスタフへと襲いかかるのであった——。



  しかし、グスタフは上位悪魔の中でもかなりの実力者だ。

  そんな彼は魔剣を取り出して、カシアスが暴発された氷塊をことごとく払い落としていった。

  そして、グスタフもまたカシアスに強い意思を持って呼びかける。



  「カシアス……! 正気を保つんだ!!」



  だが、 そんなおれたちの呼びかけも虚しく、結果としてカシアスの暴走を止めることはできなかった。

  そして、肉体を制御できない暴走したカシアスの魔法がグスタフに猛威をふるうのだった——。



  「なっ……!?」



  グスタフは何かに気づき、思わず声をあげる。

  おれはグスタフの声に反応して、彼の様子を確認すると、信じられない光景が目に飛び込んでくる。


  なんと、一瞬にしてグスタフの下半身は氷づけにされていたのだった。

  先ほどの魔物たちとの戦闘において発動したカシアスの大魔法——。


  それによって辺りは氷海とも呼べるような状況へと変化してしまった。

  そして、大地に凍てつく氷結が地を張ってグスタフの身体をむしばんでいる。


  しかもそれはただの氷結ではなく、魔法として発動しており、グスタフの行動を制限するように彼の身体を蝕んでいるのであった。



  「いやだ……。やめてくれ……」



  カシアスの悲痛な声が辺りに響いた。

  そして、おれは彼の姿を見て驚愕してしまう。


  彼の背後には、先ほどとは比べものにならないほどの無限の氷塊が現出して、グスタフに狙いを定める。

  カシアスの瞳は黒くよどみ、まるで何かに支配されているかのような姿でそこに立っている。


  だが、それでもわずかに残る意識が、これから自分が何をしようとしているのかを明確に理解しており、最後の抵抗として声をあげることしかできないのだ。



  「クソッ……」



  グスタフはというと、 カシアスの魔法に完全に囚われてしまい、身動きが取れない状況にある。

  もしも、この状態でカシアスの一方的な攻撃を受けてしまえば……。



  「やめろ! カシアス!!」



  しかし、おれの声は届かないのであった。



  「やめてくれぇぇぇぇええええ!!!!」



  自らの意思に反する行動へのカシアスの悲痛の叫びがそれに重なる。



  次の瞬間、無限のように感じられた無数の氷塊が絶え間なくグスタフに襲いかかる。



  そして、グスタフは跡形もなくこの世界から消え去ってしまったのだった——。



  一瞬の出来事に、おれは声を失ってしまう。



  嘘だろ……。

  グスタフが死んでしまった。


  おれを孤独から救ってくれた恩人が……。

  おれを温かく迎え入れてくれた家族が……。



  『今まで苦しかったろ。一人でよく頑張ったな』


  『これからは俺たちと過ごさないか? もう一人で魔物から逃げ隠れする必要はないんだぞ』



  いつまでも、一緒にいられると思った。

  今日でお別れなんて、そんな心の準備すら——。




  「ころして……くれ……」




  そして、おれはその声でふと我にかえる。


  気づくと、おれの目の前にはふらふらとおぼつかない足どりをしたカシアスが立っているのであった。



  「ユリウス……。おれを……ころしてくれ」



  カシアスはそう告げると魔剣を投げつける。

  カランッと渇いた音を立て、魔剣はおれの足もとに落ちる。


  これはグスタフが最後までカシアスに抗うために使っていた魔剣だ。

  どうやら、魔剣はあの特大魔法を受けても形を保っていたようだ。



  「たのむ……。このままじゃ、おれ……」



  「何言ってんだよ……。そんなこと、おれにできるはず——」



  おれはカシアスの頼みを断ろうとする。


  そんなことできるはずがない。

  この手でカシアスを殺めることなど、おれには……。



  「ぬわぁぁぁぁああああ!!!!」



  「カシアス! しっかりしろ!!」



  だが、カシアスの状態は時間が経つにつれて悪化している。

  このままでは、完全に自我を失ってしまうのも時間の問題だろう。



  「たのむ……!! もうだれも、傷つけたくないんだぁぁああ!!!!」



  「おれは……もうだれも……。アニキを……」



  もしも、カシアスが完全に自我を失ってしまったとしたら、いったいだれが今のカシアスを止められるというのだ。

  グスタフでさえ、カシアス相手に手も足もでなかったんだぞ。



  こうするしか、道はないんだ……。



  「わかった……」



  そして、おれは苦渋の決断をする。

  グスタフが遺した魔剣を拾い上げ、それをカシアスの胸に突き立てる。



  クソッ……。

  なんでこんなことになってるんだよ……。



  「ごめんな……。お前を助けてあげられなくて、ごめんな……」



  おれの頬に涙が溢れ落ちた。



  そして、おれは魔剣を突きさしてカシアスを殺めるのであった——。



  その瞬間、膨大な魔力がおれの体内に流れ込んでくる。

  そして、その中にはカシアスの記憶も含まれているのだった——。



  ◇◇◇



  初めて出会った日の出来事……。


  新しい家族して、おれたちのコミュニティに迎え入れられたことを幸せに思ったこと。



  初めておれを兄貴と呼んだ日の出来事……。


  尊敬する大好きなおれと兄弟のような仲になり、とても嬉しかったと感じたこと。



  強くなると決意した日の出来事……。


  2人で最強のタッグを組んで魔界中に名を轟かそうと話したこと。

  でも、本当はいつまでも兄弟2人で仲良く過ごせたらよいと思っていたこと。



  それらの記憶がおれの脳内に流れ込んでくる——。



  ◇◇◇



  そして、カシアスの体から魔力が拡散していき、体は透けて奥の景色が見えてしまうようになる。

  そんな中、カシアスは最後の言葉を振り絞るのであった。



  「ありがとう……。アニキ」



  それはとても幸せそうな笑顔で発した、彼の最後の言葉であった。



  そうだ……。

  おれはこの笑顔をいつまでも護りたかったはずなんだ……。



  ここで、おれは自分の中にあった本当の気持ちに気づく。



  カシアスの身体から拡散した魔力は水路を流れる水のようにおれの体内へと流れ込む。

  そして、それと同時におれの頭に声が響くのであった。



  『そういえば、言い忘れていましたね。私の能力は、魔力の【略奪りゃくだつ】と【譲渡じょうと】。約束通り、貴方の夢を叶えるお手伝いをさせてもらいましたよ』



  そうだ……忘れもしない、あの人物の声。

  ローブで姿を隠しておれの前に現れた、シャロンの声が頭に響いてくるのであった。



  そこでおれは全てを理解する。



  どうして、カシアスは急に暴走したのか。

  そして、どうしてカシアスを殺めた後、彼の魔力がおれに流れ込んできたのかということを——。



  「ちがう……。おれは……」



  おれは必死に否定する。


  昨日まで見ていた哀れな願望など、おれの本心ではないと。

  本当におれが欲しかったものは——。




  「こんな結末を……。おれは望んだわけじゃないんだぁぁぁぁああああ!!!!」




  氷海と化した荒野には悲痛な男の叫び声がこだまする。


  もはや、この時点で男に引き返す道はなくなったのだ。


  そして、自分のくだらぬ願望がこの結末を招いたのだと知った男は、この場から逃げるように立ち去った。


  この日、男は自らの手で家族を殺し、家族を捨てたのだった——。

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