49話 バルバドの物語(3)

  バルバドはセシルという人間の少女と旅を始めた。


  しかし、旅といってもかつてのように大陸を縦断するようなものではない。

  バルバドはローナ地方を拠点に置いて、冒険者としてクエストをこなしていく。

  そのクエストの依頼先への移動にセシルが付いてくるというものだった。


  「ねぇ、バルバド! 木の実を煮てみたんだよ。たべてたべて!」


  クエストを終えて宿に戻ってきたバルバドに留守番をしていたセシルがそう言い寄る。


  バルバドは差し出された殻の付いたままの木の実がぷかぷかと浮くスープ状の物を眺める。


  セシルは5歳ほどの人間の少女だ。

  木の実の固い殻を割ることはできなかったのだろう。

  彼女は木の実をまるごと使った料理を作って待っていた。


  「助かる人間……」


  バルバドとセシルは、おいしいとは言えない料理を文句も言わずに食べていた。

  二人にとって誰かと食事をすることそのものが特別だったのだ。


  「バルバド、いつになったらわたしをセシルって呼んでくれるの?」


  セシルがバルバドに尋ねる。


  二人で旅を始めて数ヶ月。

  まだ一度もセシルはバルバドに名前を呼ばれたことがなかったのだ。


  「必要があれば呼ぶ……。それ以外は人間で十分だろう」


  バルバドは冷めた対応をする。

  しかし、セシルは文句一つも言わずにそれ以上は追及しなかった。


  それからバルバドはセシルの要望もあり、彼女に料理を教えることにした。

  バルバドがクエストを受けていない日に、二人で川に行って釣りをしたり、山に登って山菜を採ったりしたのだ。

  そして、疲れ切ったセシルをバルバドが背負って宿屋に戻り、一緒に料理を作る。


  少しずつ、バルバドは人間であるセシルに接する態度が柔らかくなり、セシルもまたバルバドを信頼するようになっていった。


  セシルが10歳になった頃には、彼女は人並みの料理を作ってバルバドの帰りを待つようになっていた。


  「なあ、人間。最近料理が美味しいのだが料理人でも雇ったのか?」


  バルバドは笑いながらセシルをからかう。

  バルバドもセシルには笑顔を見せるようになってきたのだ。


  「そんなわけないでしょ! わたしがバルバドのためを思って作ってあげたのよ」


  セシルはご満悦の表情でドヤ顔をしている。

  内心ではとても喜んでおり、それが顔に出てしまっている。


  セシルを引き取るときに全財産を失ったバルバドだったが、数年間クエストをこなしていたことによりお金が貯まり、宿屋暮らしをやめて家を借りたのだ。

  セシルも大きくなってきたし、数日なら家を空けても大丈夫になったこともあるだろう。


  こうして、バルバドとセシルはいつも二人で夕食を食べ、バルバドのクエストがないときは遠出をして楽しんだ。


  バルバドにとって不思議だったのは初めてローナ地方を巡ったときと、セシルと巡ったときとでは感情の揺さぶりが全く違うということだった。


  砂浜に寝転びながら海を眺め、日の出を見るのも。

  標高数千メートルの山の山頂から眺めるローナ地方一帯の景色も。

  夕日に照らされて風に揺られる辺り一面の花畑の景色も。

  澄んだ夜空に輝く星々を眺めるのも。


  セシルと二人で過ごす日々は、かつていた場所も、かつて見た光景も、特別なモノへと変えてくれた。

  バルバドはセシルとの生活に幸せを感じていた。


  しかし、そんな二人の生活を一変させる出来事が起こる。

  それはセシルが17歳のときだった。


  「ねぇ、バルバド。話があるの……」


  いつもは明るいセシルが珍しく下を向きながらバルバドに話しかける。


  「どうした人間?」


  バルバドはどうしたものかとセシルに尋ねる。

  バルバドにとってセシルを『人間』と呼ぶことは当たり前のようになっており、今さら名前で呼ぶなど恥ずかしさがあった。


  「わたし……プロポーズされたの……花屋のクリスに……」


  バルバドはセシルの言葉を聞いて胸がとても締め付けられるような感覚に襲われた。


  セシルはとても美人に成長した。

  整った顔に、美しく長い髪。

  礼節もわきまえており料理も上手だ。


  彼女に恋をする人間が多くいるのはバルバドもなんとなく気づいてはいた。


  だが……。


  バルバドは平常心を装ってセシルに接する。


  「それで……お前はどうするんだ?」


  バルバドは胸がとても痛かった。


  悪い方へと考えがいってしまう。

  答えを待つ時間がとてもつらかった。


  「わたし……彼のプロポーズを受けようと思うの」


  セシルは確かにそう言った。


  まるで胸をナイフでえぐられたようにバルバドの胸が痛み出す。

  セシルがどこかの男の物になるだなんて全く考えられなかった。

  いや、考えたくなかった。


  人間がセシルの唇や乳房を醜い欲望で……。

  そんなの絶対に嫌だ!


  「どうしてなんだ……?」


  バルバドは声を絞り出してセシルに問いかける。

  すると、セシルは少し困った顔で話し出す。


  「わたし、バルバドには感謝してるの。無知で無力なわたしをあの環境から助けてくれて、楽しい時間をわたしにいっぱい与えてくれて……」


  セシルはそう話しながら涙ぐんでしまう。


  おれだってセシルといるのは楽しかった——。


  「でも、いつまでもバルバドに迷惑はかけられないの。いつか一人で自立しないとだから……」


  おれはセシルを迷惑だと思ったことなど一度もない——。


  「わたし、人に愛されることなんてわからないけれど、彼がわたしを愛してくれるのなら受けてみようと思う」


  セシルがいなくなるなんて嫌だ——。


  それにおれはセシル、きみを——。


  バルバドは泣きじゃくるセシルをそっと抱きしめた。

  そして、今まで口にできなかった想いをセシルに伝える。


  「セシル、おれはセシルを愛している……。だから、そんなことは言わないでくれ。これからも、おれと一緒にいてくれ。おれは、これからもセシルと楽しい時間をともに過ごしたいんだ……」


  バルバドはセシルに自分の気持ちを伝えた。

  彼が涙を流すのは100年ぶりのことだった。


  「なあ、セシル。おれと結婚してくれないか。セシルを絶対に幸せにしてみせるから」


  バルバドはセシルにプロポーズをする。

  バルバドとセシルはお互いに見つめ合って……。


  「うん……。わたし、とても幸せだわ。ありがとう、バルバド」


  セシルはにっこりと笑っていた。


  それはかつて出会ったときのような精一杯のつくった笑顔ではなく、心の底から幸せを感じての笑顔だった。


  バルバドもまた、セシルの返事を聞いて笑顔になる。

  彼の人間への閉ざされていた心をセシルを溶かしてくれたのだ。



  それから二人は何十年も幸せに暮らした——。



  バルバドはセシルとより長く一緒にいるために冒険者を引退して、二人でレストランを開くことにした。


  この頃になると、セシルの料理の腕はプロ並みとなっており、さらにウエイターとして働くのはローナ地方の英雄、元Aランク冒険者のバルバドだ。


  瞬く間にレストランの噂は広がり、多くの客で賑わうこととなった。


  店が繁盛していることもあり、バルバドとセシルは昔のように遠出はできなくなってしまったが、それでも二人の時間を大事にして幸せに暮らしていた。


  しかし、二人はハーフエルフと人間。

  身体の老いは平等にはやってこなかった。


  セシルは段々と一日中働くのが苦しくなってきていた。

  そしてある日、セシルは突然倒れてしまった……。

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