31話 別れそして旅立ち
おれが意識を取り戻してから一時間ほどした頃だったか。
アイシスの回復魔法によって一命を取り留めたサラが目を覚ました。
その瞳には薄っすらと涙の跡が残っていた。
「ぱぱ……まま……」
目を覚まし、夜空を見上げるサラはつぶやく。
そして、身体を起こして状況を確認するとおれを見つける。
「アベル!?」
「あぁ、おはようサラ。身体はもう大丈夫なの?」
サラはおれを見つけるなり走り出しおれの胸に飛び込んでくる。
正直、その衝撃でおれの身体が痛む。
「うん。わたしは大丈夫よ。それよりアベル……あなたもしかして……」
サラはおれが召喚魔法を使ったときは意識はまだあったはずだ。
それにカシアスとの契約のこともある。
いつまでも隠し通せるものでもないだろう。
「うん……悪魔と契約したよ」
「そんな……」
サラは絶望した表情を浮かべる。
そして、おれたちの目の前にカシアスたちが現れる。
漆黒の悪魔と白銀の悪魔だ。
サラも彼らの魔力を感じたのだろう。
身体が震えだす。
「サラ安心して。おれは大丈夫——」
「お願い! アベルを殺さないで! 代わりにわたしを殺していいから。だから……」
サラはカシアスたちにおれを助けてくれるように頼み込む。
自分の命を懸けて。
「私たちはアベル様を殺しませんよ。人間界で我々悪魔がどのような存在だと言い伝えられているのかはわかりませんが、少なくとも私は契約者であるアベル様を守ることはあっても傷つけることなどありません」
カシアスがサラに説明する。
サラが目覚める前に二人にはおれが魔王の転生者であることはサラに黙っていてくれるようにと頼んだ。
彼女を心配させたくないからだ。
「そんな悪魔の言葉なんて信じられるわけないでしょ! 契約を破棄しなさいよ」
「それは困りますね。アベル様との契約期間は既に決まってしまっていますからね。期限なしの契約ならまだしも、こればかりは私にもどうすることもできません」
サラはカシアスに食いつくがどうしようもない。
おれはカシアスと契約する際におれの全てをやると言ってしまったんだ。
カシアスに命を取られなかっただけでも良かったと思うしかない。
「聞いてくれサラ。おれは悪魔と契約したことに後悔はしていない。きみの命を守れたからだ。だから、おれのことは大丈夫だよ」
これでサラが安心してくれるとは思わない。
しかし、それでもおれのことは大丈夫だって伝えたかった。
「それでも……」
「それよりもサラに伝えとかないといけないことがあるんだ……」
おれは目覚めてからのことをサラに話す。
カイル父さんとハンナ母さんが亡くなったこと。
ティルも亡くなってしまったこと。
しかし、ティルはいつかまた蘇るということ。
悪魔と契約はしたものの、この人間界でおれは生きていくことができること。
一度に受けとめるには苦しすぎる残酷な現実をおれはサラに伝えた。
そして、それを聞いていたサラは堪えきれずに泣き出してしまった。
そして今、彼女はカイル父さんとハンナ母さんの
おれだって、もちろんつらい。
しかし、きっとサラはおれ以上につらく悲しんでいるのだろう。
彼女にかける言葉など思いつかないがおれはサラの側に向かう。
二人とも綺麗な顔をしている。
まるで楽しい夢でも見ているような、そんな顔だった。
「わたし……二人の夢を見ていたの。アベルもいて、家族四人でいつもみたいに食事しながらお話して……」
サラは後ろにいるおれに話しているのだろう。
おれは彼女の背中を見つめる。
「おれも二人の夢を見ていた……。最後は父さんたち、光の中へ行ってしまったけど、家族みんなで笑ってた。ほんと、いつもと変わらない風景だった」
おれは先程まで見ていた夢を思い出しながらサラに伝える。
「わたしも……。アベルも同じ夢を見ていたの?」
サラはおれの方を振り向いて尋ねる。
サラの反応を見る限り、どうやら同じような夢を見ていたようだ。
「そうみたいだね」
これは偶然なのだろうか。
それとも——。
「もしかしたら、夢じゃなかったのかもしれないわね」
サラは少しだけ笑っておれにそう言う。
「あぁ……きっとそうだよ!あれは夢じゃないのさ」
そうだよ。
もしかしたらだけど、あれは夢じゃなくて現実だったんだ。
そんな風に少しだけ思えた。
しばらくすると空が少し明るくなってきた。
「サラ。二人でこの村を出よう」
おれは決意した。
8年ほど前、おれは
そして、今回の村への魔族の襲撃。
これは
それは、エルダルフのボスの存在があるからかもしれない。
二人で安全な所へ逃げるんだ。
「どこへ行くの?」
サラは困惑した様子で聞き返してくる。
「とりあえず、サラは中等魔術学校に通うべきだよ。それが父さんや母さん、村のみんなとの約束だろ」
「もちろん、アベルも来てくれるんだよね?」
「……」
おれは黙ってしまう。
「アベルと一緒じゃなきゃ、わたし嫌だよ。もうあなたしか家族はいないのよ」
サラは泣き出してしまう。
そうだけど、おれにだってサラだけしかいないんだけど……。
「たぶん、お金がないんだ。入学金はあるかもしれないけど、おれとサラが生活していくお金がない……。だから都へ行って父さんも働く予定だったんだ。サラの都での生活費は、父さんたちがおれのために用意してくれた入学金の分を充てて欲しい」
この村で稼げるお金なんて限度がある。
以前、カイル父さんとハンナ母さんが話しているのを聞いてしまった。
サラが通う中等魔術学校の入学金は用意できている。
今は、おれが通う分の入学金を貯めていると。
そして、都での生活費はカイル父さんが教師をやってお金を稼ぐと。
「わたし、別に学校なんて行かなくてもいい! アベルと二人でいれるなら他に何もいらないから……」
「おれはサラに夢を叶えて欲しい。高等魔術学校まで卒業して立派な精霊術師になるんだろ!」
サラは幼い頃からの夢を叶える努力をしてきてその実力もあるのだ。
そんな彼女が夢を諦めてしまうなんて悲しすぎる。
おれは彼女に夢を叶えて欲しい。
幸せになって欲しいのだ。
「おれ、お金稼ぐよ。それでサラと同じ学校に通うよ。そしたら、また一緒に暮らそう。だから、先に学校で待っててよ」
「ゔんっ……ありがとうアベル。ちゃんとあなたも学校に来なさいよね」
サラはなんとか承諾してくれた。
「当たり前だろ。おれはサラのためならやる男なんだ!」
「ふふっ。昔からアベルは優しいもんね」
夜明けが近づいてくる。
おれとサラはカイル父さんとハンナ母さん、そして村のみんなを
これからおれたちをどんなことが待ち受けているのだろうか。
だが、たとえどんなことだとうがおれには関係ない。
おれは二人に誓ったようにサラを守るだけだ。
彼女を幸せにするためにおれは強くなる。
もうこの気持ちを決して忘れたりはしない。
◇◇◇
時は
場所は戦闘のあった森からだいぶ離れたところ。
そこに彼はいた——。
「クッソ! クッソ! 何なんだよあいつは……」
狼の姿をした男は地べたに
彼はライカンという高い身体能力を持つ種族ゆえ、アベルの特大の複合魔法の攻撃を受けても生きながえることができたのである。
「何でおれ様があんな劣等種に……それにあの悪魔は何者なんだ。あんな上位悪魔……」
「
地べた這いずるエルダルフに対して、天から声が聞こえる。
「おい! 話が違うだろ……。何なんだよあの人間と悪魔は?」
エルダルフが声の主に対して怒鳴る。
「実力がないだけでなく、知性すらも感じられない。さらには下界の劣等種に無様に負けるなんて、救いようがないですね……」
「もう貴方の役目は終わったので、死んでくれていいですよ。それではさようなら」
「おいちょっと待てよ! おい!? てめぇふざけるなよ! おれを魔界まで転移魔法で帰しやがれ!」
夜空に叫ぶエルダルフ。
しかし、声の主はもう既にこの地にはいない。
エルダルフは諦めて、再び這って移動をしはじめる。
「クソ野郎が……使えねぇやつだぜ。とりあえず数日休めば完全に回復するだろう。そうしたらまた——」
「また……何かするのですか?」
突然、エルダルフに声をかける者が目の前に現れるのであった。
この声は聞き覚えのある声だ……。
憎き存在、劣等種のはずの悪魔。
エルダルフが顔を上げるとそこにはあの漆黒の悪魔がいた。
「チッ、てめぇかよ。まあ、いい。今はあの人間はいないんだろう。お前一人から怖くねぇんだよ。ハッ!」
エルダルフは悪魔を挑発する。
劣等種の悪魔など恐るるに足らんと。
「せっかく逃してもいいと思っていたのですがね……。そう言われてしまうと私としても対応を考えねばならないのです。お許しください」
悪魔はそう言って魔力を制御し出す。
「おいおい、劣等種のお前が何を……。おい、なんだよその魔力は!?」
悪魔の発する禍々しい魔力。
それがどんどんと強くなりエルダルフの身体を刺激する。
それに辺りの気温が急激に下がりだす。
そして、エルダルフには見えてしまった。
漆黒の悪魔の髪が……
そこで彼は察するのであった。
目の前にいる悪魔の正体を——。
「あっ、あなたは……。いや、貴方様はもしや……さっ、《最上位悪魔》であられる魔王カシアス様……」
白銀の悪魔は何も発さずにライカンを冷めた目つきで見つめる。
「申し訳ございませんでした! 先程までの数々の無礼をお許しください! 私はもう二度と貴方様の——」
ライカンは頭を地面に
カシアスと呼ばれた悪魔はそれに対して、ただ一言だけ発した。
「
カシアスが放った魔法により、彼の前方一帯は氷に包まれた銀氷の世界となった。
一説によると、この氷づけとなった森は数百年の時を経ても姿かたちを変えずに残り続けたという。
「それでは一度、魔王城に戻るとしますかね」
白銀の悪魔カシアスはそう言い残し、この銀氷の世界から姿を消したのだった。
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