第三章 調査

 七月十一日月曜日、出雲の口座に五千万円が振り込まれたその日の午後、荻窪にある廃工場……すなわち、高原恵の遺体発見現場。事件以降、ますます人通りが少なくなったこの工場に、久方ぶりに人影が姿を現した。

 漆黒のセーラー服に真っ赤なスカーフ。膝下まで届こうかという長髪に真っ黒なキャリーバッグ。「復讐代行人」黒井出雲が、立ち入り禁止となっている殺人現場に足を踏み入れていた。

 出雲は無言で建物の中に入っていく。工場内部は昼とはいえ相当に薄暗く、何か出てきそうな雰囲気さえ漂っているのだが、出雲は動じる様子もない。工場内にはキャリーバッグを引きずる乾いた音だけが反響している。

 やがて、しばらく進むと遺体が発見された小部屋に到着した。遺体はロープで吊るされていたため、ドラマなどでありがちな遺体を囲うチョークの痕跡は残っていない。が、その代わり誰が置いたのかわからないいくつかの花束の存在があって、ここが死体発見現場である事を嫌でも思い知らせている。出雲はその花束の前に近づくと、黙ってその場で黙祷した。

 と、その瞬間だった。

「相変わらず、被害者に対しては律儀だねぇ」

 突然、何の前触れもなく後ろから声がかかった。が、出雲はそれを予期していたようで、慌てる事なく黙祷を済ませると、ゆっくりと後ろを振り返る。

「時間通りでございますね」

「時間厳守はビジネスの基本だぜ」

 部屋の戸口にもたれかかるように、二十代前半から中頃くらいの男がニヤニヤと笑いながら立っていた。砕けた口調に反して真新しいリクルートスーツを着込んでおり、手には黒いビジネス鞄を持っている。それだけを見れば就職活動中の大学生に見えないこともない。だが、その頭髪は茶髪に染め上げられており、何ともアンバランスな雰囲気をかもし出していた。

 東。この男の事を、出雲を初めとする裏社会の関係者はそう呼んでいる。「東」と書いて「あずま」と呼ぶらしいが、出雲同様に本名でない可能性が高い。だが、そんな事は裏社会ではよくある話だ。

 東はいわゆる「情報屋」であった。それも日本の裏社会ではトップクラスの情報収集率を誇るプロ中のプロである。その分依頼料も相当な額になるのだが、一度依頼してしまえば彼の収集する情報は天下一品で、裏社会ではかなり重宝されている男である。そして、出雲は依頼を受けた後の事件に関する初期情報収集を、毎回この男に一任する事にしていた。

 依頼を受けた以上は最高の成果を。それが出雲の方針である。特に出雲の場合、未解決事件の犯人を推理して殺害するという仕事の特性上、絶対に犯人指名を間違えることはできない上に、負ければ殺される事がわかっている犯人側の抵抗も普通の推理対決に比べて激しいものとなる。言ってしまえば、その辺にいる普通の探偵に比べてもかなり高度な推理と証拠固めが要求されるのだ。それだけに、情報収集に関して出雲はどれだけの費用がかかろうと一切妥協をしない方針を貫いていた。その点で言えば、この東という男は出雲にとって最高の情報屋であり、また東の側からしてみても出雲は最高の顧客であった。

「お喋りはこの辺りといたしましょう。依頼した件、調べて頂けましたでしょうか?」

「調べたからこそ、俺はここにいるんだがな」

 そう言うと、東は持っていた分厚い封筒を出雲に投げてよこした。

「依頼された荻窪での女子高生殺しに関する、現段階での警察の捜査状況、および事件に関しての警察の捜査資料だ。あとは、お前さんが調べてほしいと頼んだいくつかの事象に関しての調査結果。確認してくれ」

 出雲は黙って封筒を開けると、中をサッと確認した。この東という男が他の情報屋に比べてずば抜けているとされているのは、必要であればどんな情報でも……それこそ、普通の情報屋では手が出せない警察や国家の機密情報でさえ文句一つ言わずにいとも簡単に入手してくるところにある。彼がどうやってその手の情報を入手しているのかは企業秘密という事で一切不明である。が、その情報の信憑性、希少性は他の情報屋と比較しても群を抜いており、それこそ東が裏社会でこの地位を確立できる最大の理由であったりする。

 現に、今手渡された封筒を確認してみても、現場の鑑識記録や遺体の解剖結果、各種聞き込みや取調べの記録など、捜査本部の極秘資料がこれでもかといわんばかりに詰め込まれている。

「相変わらずの腕前でございますね」

「そりゃどうも。あんたは俺の一番のお得意さんだから、最優先で仕事をやらせてもらっているぜ」

 そう言ってから、東は含み笑いをこめながらこう続けた。

「ただし、俺がやるのは情報を集める事だけ。それ以上のことは一切しない。聞かれたことに関しては、事実は告げるが推測はしない。その情報を組み立てて推理するのはあんたの仕事だ。その点、よろしく」

「言われなくともわかっています」

「で、何かご質問は?」

 その問いに対し、出雲はパラパラとめくっていた資料を軽く整えると、質問を開始した。

「現段階での警察の見立ては変質者による通り魔的な殺人である、という事でよろしいでしょうか?」

「それに関してはイエス、だ。警察は周辺の変質者リストを執拗に洗っている」

「理由は?」

「犯行形態がどう考えても通り魔だからな。過去の事例からしてみても、この手の事件で身内や知り合いが犯人だった事件は皆無だ。それに、この手の通り魔事件は手がかりがほとんどないから未解決になるケースも非常に多い。だから警察も最初から通り魔に焦点を絞って集中的に捜査しているらしい」

 東の言葉に、出雲は黙って頷く。それを確認しながら、東はいくつかの点を補足した。

「もっとも、さすがに身内なんかの調査はちゃんとやっているようだ。唯一の身内である父親にはアリバイがあったから犯人じゃない。この辺のことは前に報告したはずだが」

「覚えています。だからこそ、今回その父親からの依頼を受けたのでございますが」

「だろうな。それにな、事件前の数週間の間に若い女性ばかり狙った暴行事件が何件か報告されているんだ。警察は、この事件もその延長線上にあると考えている節がある。ま、この手の暴行は結構あちこちで起こっているから、この事件だけが特別とは限らないが」

 出雲は黙って資料を見ながら、続けて質問する。

「現段階で警察が認識する有力容疑者はいるのでございましょうか?」

「一応何人かの刑事が怪しいと睨んでいるやつはいる」

 そう言うと、東は鞄から別の紙の束を取り出した。

「名前は灰野耕太。暴行の常習犯で、数ヶ月前にも帰宅途中のOLをいきなり暴行しようとした容疑で警察から厳重注意を受けていた。被害者が訴えなかったから逮捕までには至っていないがな。さっき言った、事件の前に連続して起こっていた不審者による連続暴行事件もこいつの仕業という見方が強い。しかもこいつは今荻窪に住んでいる。条件に合うと考える刑事が多いのも頷ける話だ。ただ、残念ながらアリバイがあるとかで最有力容疑者まではいっていないのが現状だな。これ、一応当人の資料な」

 そう言って、東は資料を投げ渡した。出雲は飛んできたそれを受け取り、簡単に目を通す。

「居酒屋であるバイトをしていた、ですか」

「あぁ。当日の午後五時から深夜一時までかかりっきり。アリバイは完璧だ。警察もそれで頭を抱えている」

 が、出雲はさして興味なさげに紙の束をはじくと、そのまま灰野の資料を封筒にしまいこんでしまった

「まぁ、警察がしっかりしていれば、私が依頼を受ける事もなかったのでございましょうから、この筋は最初から考えていませんでしたが」

 そう言ってから、出雲は東を見やる。

「それで、もう一つ頼んでいた事の方はどうでございましょうか」

「当然調べてきたぜ。もっとも、この調査にどんな意図があるのか俺にはわからんし、詮索するつもりもないがな」

 そう言って、別の紙の束を出雲に放り投げる。今度は先程と違い、出雲も一枚一枚丁寧にページをめくって情報を眺めている。その紙の束の最初ページには、こんな見出しが躍っていた。

『中谷高校新聞部部員調査書』

 真剣な表情で中身を読む出雲に、東が問いかける。

「そんなものを調べさせたって事は、お前の見立てはその辺か?」

「詮索しないはずではございませんでしたか?」

「詮索じゃない。単なる確認だ。ま、答えたくないならいいけどな」

 そう言うと、東は改めて出雲を見据える。

「ただ、ついでに被害者の交友関係についても調べてみたが、どうもその子は恨みを買うタイプじゃないな。俺が調べたんだから間違いはない。それはその紙に書かれている同じ部の連中に対しても同様だ。だからこそ、警察は動機のない通り魔殺人を疑っているわけだ。そこを疑うなら、その辺の事は覚悟しておいた方がいいぜ」

「大きなお世話でございますよ」

「おっと、そうだったな。こんな事、あんたに言う必要もないか」

 東はおどけた様に言ったが、すぐに真剣な表情に戻って出雲に向き直る。

「話は以上だ。お前の方から何かあるか?」

「……実は、もう一仕事お願いしたいのでございます」

 その言葉に、東は肩をすくめた。

「追加調査か。こっちも忙しいんだがな」

「報酬に糸目はつけません。最優先でお願いします」

「……敵わないな。まぁ、話は聞くぜ。何を調べてほしい?」

 出雲は黙って別の紙の束を取り出した。

「なんだ、こりゃ?」

「被害者が私について調べていた記事の下書きでございます。新聞部のデスクに残っていたもののようで、依頼人から原本をそのまま送ってもらいました」

「へぇ、お前の事なんか調べる高校生がいるのか。奇特なもんだ」

「その資料の中で、彼女は私が関与したと思われる『それらしい殺人事件』をいくつか調べています。残念ですが、所詮はネット上の噂。どの事件も私とは無関係のものばかりでございましたが」

「だろうな。普通の女子高生の情報収集力じゃその程度が限度だろう」

「事件は全部で五つ。最初に事件名が書かれた目次があって、次のページからそれぞれの事件の詳細について走り書きで調べられています。もっとも、途中までだったのか最初の二つの事件までしか調べられていませんが」

「なるほどな。……で?」

「これらの事件に関してできる限り詳細な情報を集めてほしいのでございます。私とは一切関係ない事件ですので遠慮する必要はございません。できますか?」

「俺を誰だと思っていやがる。お前が絡んでいたとしても容赦はしねぇ」

 東はニヤリと笑った。

「一日くれ。報酬は一件百万円プラス最優先調査費で合計七百万円だ。遅れた場合は一日ごとに百万ずつ返却する。ま、ありえない話だがな」

「いいでしょう。すぐにでも振り込みまさせて頂きます」

 出雲は即答した。

「結構。じゃ、俺は仕事があるからこれで」

 そう言うと、東は軽く手を振ってそのままその場から去っていった。後には静寂だけが残る。

 それを確認すると、出雲は一瞬だけ背後のチョーク跡を振り返り、黙ってそのまま元来た道を戻り始めた。その口元には何か意味ありげな笑みが浮かんでいた。


 翌日、七月十二日火曜日。中谷高校新聞部室。尼子凛は、気の抜けた表情でデスクに突っ伏していた。一ヶ月前までなら、隣のデスクにいる友人と楽しく喋りながら、次の記事の打ち合わせでもしていたはずである。

 だが、その友人はもういない。凛の隣のデスクは花が飾られた花瓶が置かれている以外は、このデスクの持ち主の死んだ当事のままの状態で保存されていた。犯人が逮捕されるまではこのままにしておこう。デスクの主……高原恵の死後、部内の話し合いでそう決められていた。

「まだ塞ぎこんでいるの?」

 と、そんな凛の後ろから声がかけられた。凛が振り返ると、髪をポニーテールにまとめた活発そうな女子生徒が凛を見下ろしていた。

「星代さん……」

「そんなに落ち込んでばかりいたら、高原さんだって悲しむと思うわよ」

 里中星代。凛と同じ新聞部の二年生で、次期部長候補とされていた恵の死後、恵に代わって新聞部の部長に就任していた。快活でリーダーシップもあり、クラスでは学級委員長も務めている。本来ならば恵よりも部長にふさわしい人材であるはずだが、当事彼女は女子バスケットボール部と兼部していたため部長擁立が見送られ、代わりに恵が部長候補になっていたのだった。だが、恵の死をきっかけに彼女も覚悟を決めたようで、女子バスケ部の方をあっさり退部して新聞部に専念し、そのまま次期部長として正式に認可されたのである。

「わかってるんだけど、どうしても気分が……」

「……まぁ、わからなくはないけどね」

 そう言いながら、星代は隣の恵の席を見つめる。

「不思議よね。こうして机が残っていると、いつかまた高原さんが帰ってくるような気がしてならない。女子バスケ部ばかりでこっちの活動にあまり参加できていなかった私でさえそうなんだもの。尼子さんの辛さはよくわかるわ」

「うん……」

 と、そのとき入口のドアが開いて別の人間が入ってきた。

「部長、今帰りましたぁ」

 どこか甘えるような口調のその少女の名前は江崎コノミ。髪をサイドテールに分け、背が低く言動がやや幼い事もあってかパッと見た感じは中学生に見えない事もない。しかし、これでも凛と同じ学年で、しかも四月生まれであるので新聞部所属の二年生の中では一番年上という事になる。

 一方、その後ろから入ってきた別の少女は、コノミとは対照的にほっそりとして背が高かった。橋中詠江。セミロングの髪に穏やかな表情と清楚な雰囲気を漂わせる生徒で、実家もどこぞの茶道の家元とかで由緒ある家柄らしい。そんな彼女がどうして畑違いの新聞部に入部したのかは、今を持っても謎のままになっている。コノミとは同じ中学出身でなおかつ同じクラスであるためか最近はお目付け役になっている事が多いらしく、よく二人で一緒にいるところを凛も目にする事があった。ある意味、この部活で一番大人な人物でもある。

 この新聞部に所属している二年生は、死んだ恵を含めるとこの五人だけである。三人いた三年生は、恵の死後、星代が部長を引き継いだ頃に引退しており、一年生は一人だけ。恵も死亡し、現時点では新聞部で活動しているのは五人だけである。

「どうだった?」

「許可をもらいました。一週間後の放課後に取材しに行ってもいいそうです」

 詠江が丁寧な口調で星代の問いに答える。次回の取材対象に対するアポイントメントを二人でもらいに行っていたのだ。

「よかった……あそこはなかなか取材の許可出さないから、心配していたのよ」

「星代さんが粘り強く交渉し続けてくれたからこそ、相手も許可を出してくれたのでしょう」

「そうだと嬉しいわね」

 星代は照れたように笑った。

 と、そこへ廊下を走る音が聞こえたかと思うと、誰かが部屋の中に駆け込んできた。

「尼子先輩、いますか?」

 馬渕高成。一人しかいない新聞部の一年生で、なおかつ唯一の男子部員でもある。今までは三人いた三年生のうち二人が男子生徒だったために釣り合いが取れていたのだが、その三年生も卒業してしまい、今や男子は彼だけになってしまった。それだけにどうにも居心地が悪そうな素振りを見せているのだが、最近は開き直っている様子でもある。

「いるけど、どうしたの?」

 凛が顔を上げると、馬渕は当惑した表情で言った。

「先生から呼んできてくれって言われたんです。何でも、お客さんが来ているとかで」

「お客さん? 私に?」

「らしいです。職員室に来てくれと」

 凛は思わず首をひねった。学校にまでやってきてわざわざ自分を呼び出す友人などに心当たりなどない。

「わかった、ありがとう。行ってみるわ」

 凛はそう言うと立ち上がり、そのまま新聞部室を後にして部室棟の入口に向かった。この部室棟は土足厳禁で、入口に利用者それぞれの名前が書かれた下駄箱が置かれている。この部室棟を利用する部活に入部すると必ず使用申請用紙を書かされるのだが、これがまた非常にややこしい書式の申請用紙で、凛自身入部するときにはかなり手間取った経験がある。

 靴を履き替えて外に出ると、昼間にもかかわらず薄暗い景色が飛び込んできた。中谷高校の部室棟は校舎の裏手、敷地の北側にある。校舎に隠れてやや日当たりが悪い上に、校門からは一番距離が遠く、何とも使い勝手が悪いと評判だった。

 そんな校舎裏を抜け、校舎内の職員室に向かう。職員室のドアを開けると、新聞部の顧問である男性教諭が近づいてきた。顧問といってもほぼ形だけで活動に参加する事はなく、恵の死に関してもあまりいい顔をしていない事を凛は知っていた。それだけに、恵自身はあまり好きではない。

「私にお客さんだそうですが?」

「あぁ、玄関の事務室の前で待っている。さっさと行ってやれ」

 それで用は済んだと言わんばかりに教師は手を振ると、そのまま自分の席に帰ろうとした。

「あの、どんな人なんですか?」

「さぁな。どこかの高校の生徒らしいが……」

「高校の生徒?」

 という事は、相手は凛と同じくらいの歳の高校生という事になる。そんな人間が何で自分に会いに来たのかさっぱりわからない。凛は首をかしげながら玄関に向かう。部室の鍵を借りによく事務室に行くので、かなり行き慣れた道である。

「……って、私、相手の顔を知らないんだけど」

 玄関に着いたところでその人物を見分けられるのか。そう思いながらも玄関に続く廊下を歩き続けていたが、玄関に着いたところで凛は思わず足を止めた。

「え……」

 その場に立ち尽くす。その凛の視線の先に、その人物はいた。

 すなわち、全身黒一色のセーラー服を着て同じく黒のキャリーバッグを引いた一人の少女……黒井出雲が。


 その容姿に驚いている凛を見て、事務室前に置かれている来客者記録ノートや鍵の貸し出しノートを眺めていた出雲は、軽く微笑むと凛の方へと近づいていった。

「あなたが、尼子凛さん、でございましょうか?」

「え、ええ」

 驚きのあまり言葉が出ない凛に対し、出雲は芝居がかった仕草で頭を下げる。

「お初にお目にかかります。京都の西城高校に通っています大和日名子と申します。以後、お見知りおきを」

 出雲はそう言いながらポケットから一枚のカードを取り出して凛に渡した。それは『西城高校』と書かれた学生証で、そこには『大和日名子』の名前とともに目の前にいる少女の顔写真まで付属していた。

「京都の方、ですか? それにしてはその……関西弁じゃないんですね」

「昔、少し関東に住んでいた事がございまして」

 出雲……本人曰く日名子はシレッとそんな事を言う。一方、彼女の正体など知る由もない凛は、身元に関してはそれで充分に納得した様子だった。

「それで、その日名子さんが私に一体何のようなんですか?」

 凛が発した当然の疑問に関し、出雲は用件を切り出した。

「実は、私の従姉妹の事について少々聞きたい事がございまして、こうしてはるばるやってきた次第でございます」

「従姉妹?」

 出雲は一切躊躇する事なくこう告げる。

「私、先月亡くなりました高原恵の母方の従姉妹でございまして」

 その衝撃発言に、凛はしばし唖然とした表情をしていた。

「ご存知ありませんでしたか?」

「だって、私、恵に従姉妹がいるなんて一言も聞いていないし……」

「それも無理はありません。私自身、彼女と従姉妹同士だとわかったのは最近の話でございまして」

 もちろん嘘の話なのだろう。だが、プロの殺し屋である出雲はその嘘の情報をさも本当であるかのように自然に話す。

「恵さんのお母様がお亡くなりになっているのはご存知ですか?」

「は、はい」

「その恵さんのお母様の腹違いの妹が私の母でございまして。最近になってこの話を母から聞き、近々恵さんに会おうとした矢先……彼女は殺害されてしまいました」

 出雲は沈んだような口調で言葉をつむぐ。その言葉に、いつしか凛も引き込まれつつあった。

「私は、恵さんがどのような状況で死んだのかを知りたいのでございます。そこで、直前まで恵さんと話していたというこの学校の新聞部の方々にお話を伺いたく、こうしてお訪ねさせて頂いた次第でございます」

「そうだったんですか……」

 どうやら、多少迷いながらも凛はその言い分を信じたようだ。

「だったら、ここではなんですから、部室にいらっしゃいませんか? ちょうど、部員たちもほとんど部室にいますので」

「いいのですか?」

「そのためにいらっしゃったんでしょう? どうぞ、ついてきてください」

 そう言うと、凛は出雲を部室に案内するために校舎を出た。出雲もそれに黙って続き、カラカラとキャリーバッグの音が響く。そのまま、二人は日当たりの悪い校舎裏に差し掛かった。

「それにしても、その、何と言うか個性的な制服ですよね」

 と、出雲の方を見ながら、凛が興味津々と言うように尋ねた。

「そうでしょうか。毎日着ているのであまり違和感はないのでございますが」

 どこか含み笑いを浮かべながら出雲は答える。

「いや、だってそこまで全身真っ黒なセーラー服、今まで見たことありませんし……。京都の高校って、そういうのが多いんですか?」

「さぁ、私も他の高校の事は知りませんから」

「でも、キャリーバッグも黒なんですね。それに、そのバッグの絵は……」

 当惑する凛に対し、出雲は簡単に答えた。

「出雲阿国。ご存知でございますか?」

「確か、江戸時代初期に歌舞伎踊りを広めた人ですよね。あ、そっか、出雲阿国って京都で活動したって話を聞いた事がある」

「お詳しいですね。概ねその通りで、今でも四条大橋の袂に銅像が残っています」

「でも、どうしてその人の絵を? こう言っては何ですけど、そんなに有名な人じゃありませんよね。京都じゃ有名なのかな?」

 そんな凛の言葉に対し、出雲は薄ら笑みを浮かべながらこう言った。

「出雲阿国は『歌舞伎の創始者』という偉業を成し遂げながらも、その半生には謎が多いといわれています。出雲大社の巫女だと自称していたから『出雲阿国』と呼ばれてはいますが、実はそれすら曖昧な点が多い。出身地はおろか、生年月日も、没年もわからない。いつの間にか現れて大業を成し遂げ、いつの間にか消えていった……そんな人なのでございますよ」

「はぁ」

 何を言い出すのかわからず、凛は戸惑いの声を上げる。が、出雲は言葉を続けた。

「本人については一切わからないが、彼女のやった事は間違いなく事実として残っている。どこか都市伝説みたいでミステリアスではございませんか。そんな生き方が、私は好きなのでございます。だから、この絵をシンボルにしているだけです」

 その言葉に、凛は何か得体の知れないものを感じ取って思わず足を止めた。何とも薄ら寒い風が、校舎裏を吹き抜ける。七月にもかかわらず、凛はなぜか寒気のようなものまで感じていた。

 と、出雲は重苦しい空気を振り払うかのように苦笑して言った。

「……冗談ございます。単に四条の近くにある店で一番安かったのがこのバッグだったというだけの話でして」

「は、はぁ」

 何か引っかかるところはあったが、凛はこれ以上気にしても無駄だと思ったのか、気を取り直して部室へと向かった。

 部室棟に到着すると、凛の後に続いて出雲も躊躇なくその中に入る。凛は下駄箱の傍にある段ボール箱から来客用のスリッパを取り出して出雲に差し出すと、自身も下駄箱から上履きを取り出した。その入口付近は何やら作業着を着た大人が頻繁に行き来していて、入口のすぐ傍にある部屋に出入りしている。部屋の上には『印刷室』のプレートがあった。

「すみません。今、そこの部屋で水道管の工事をしているらしくて、立ち入り禁止になっているんです。おかげでうちの部も印刷機が使えなくて、外部にわざわざ頼んだりしてすごく苦労したんですけど」

 凛はそう言って出雲を招き入れると、部室へ向かって歩き始める。

 新聞部室は部室棟一階の一番端の部屋で、電球が切れかけた薄暗い廊下を進んだ先にある。初めて訪れた人にとっては思ったよりも手狭な印象が強いらしいが、二年以上通っている凛にとってはすでに我が家のような存在だった。

「どうぞ、ここです」

 凛は部屋の前に到着すると、そう言って部屋のドアを開けた。部員たちが出迎える。

「お帰り、お客さんって誰だったの?」

「それが……」

 その瞬間、部員たちも凛の背後にいる何といえない雰囲気を発する女子高生の存在に気がついたようだ。

「京都の西城高校の大和日名子さん。恵の従姉妹さんだそうよ。事件の事について私たちから話を聞きたいって」

「よろしくお願いいたします」

 出雲は丁寧に頭を下げる。それを見て、室内の部員たちも顔を見合わせた。

「えーっと、まぁ、立ち話もなんなので、どうぞ」

 星代が代表でそう言って、部室の奥にある来客用のソファへ出雲を案内する。出雲はそれに従うようにして中に入ったが、不意に花瓶の置かれた恵の机の前で足を止めた。

「この机は、もしかして……」

「あぁ、はい。恵のです。いい加減に片付けないと、とは思っているんですけど、手がつかなくて。せめて、犯人が捕まるまではあのままにしておこうかと」

 事実、故人の机にしてはかなり乱雑に散らかっていた。資料と思しき紙が積み重ねられており、机上にもボールペンや修正液やペーパーナイフと、様々なものが散乱している。

 出雲はその場で黙礼し、しばらくそのままの姿勢で目を閉じていたが、十秒くらいしてようやく頭を上げた。

「すみません。お参りだけはしておきたかったので」

「かまいません。では、どうぞ」 

 そんなこんなで、五人の部員と出雲はソファに座って互いに向かい合った。来客用とはいいながらも、紐でまとめられた資料や過去の発行新聞でソファの周りもかなり狭いが、ないよりはましであろう。

「それで、高原さんについて聞きたいとの事ですが」

 星代の言葉に、出雲は思わせぶりに頷いた。

「話では、事件当日最後に恵さんと話をしたのは、ここにいる新聞部の方だとか」

「そうなりますね。校門で別れた彼女を見たのが、最後の目撃証言だったそうですから」

「その辺りについて、少し聞かせてくださいませんか。恵さんが最後にどのような事を言っていたのか知りたいのです」

 出雲のあくまでへりくだった物言いに、新聞部の面々はしばらく相談していたようだったが、やがて真剣な表情で出雲に向き直った。

「わかりました。覚えている事についてはお教えします」

 そう言って、新聞部のメンバーたちは、あの日最後に恵と別れた瞬間を回想し始めたのだった。



 事件当日、すなわち六月三日金曜日午後六時頃。夕暮れ迫る中谷高校の校舎内に、部活終了を知らせるチャイムが鳴り響いていた。

「はー、終わった」

 デスクで伸びをしながら、凛はそう言って隣の席で何か作業をしていた恵を見やった。

「ねぇ、この後どうする? 何か食べにでも行かない?」

「ごめん。今日は夕食作らないといけないから。久々にお父さんと一緒に食べられそうなの」

 恵は書いていた下書きを片付けながら申しわけなさそうに言う。

「そう、残念。せっかく先輩たちもいないから羽を伸ばせると思ったのに」

 この日、当時まだ在籍していた三人の三年生たちはそれぞれの理由で不在だった。部長は忌引き、副部長は風邪で、もう一人は塾の模擬試験で放課後すぐに学校を去っている。それゆえに、この日の部活は二年生以下のメンバーだけで行われていた。といっても、やっている事はそれぞれが記事をまとめたり、意味のない雑談をしたりするだけであったが。

 ちなみに、その残ったメンバーにしてもこの日は集まりが悪かった。当時女子バスケ部と兼部していた星代は春の大会直前だけあって女子バスケ部の方に出ており、唯一の一年生である馬渕は所属している委員会の仕事が片付かずに遅れる旨を事前に申告してあった。が、どうやら最後まで終わらなかったらしく、今もこの場に姿を見せていない。凛と恵の他には、来客用ソファでぐっすり眠りこけているコノミと、その横で涼しげにお茶を飲んでいる詠江だけである。

「そっちの二人は随分のんびりしてるけど、記事は書けたの?」

 凛が聞くと、詠江は微笑みながらこう答えた。

「一応、完成の目処は立っていますので」

「確か、小林一茶の研究だったよね」

「はい。資料も集まっていますし、一週間もあれば完成すると思います」

「……で、コノミはどうなの?」

 その声にコノミは眠そうな表情をしながらソファに起き上がった。

「私は最後に集中して一気にやるタイプだからぁ、大丈夫だよぉ」

「全然大丈夫には見えないんだけど」

「平気だよぉ。いざとなったら、家で仕上げるしぃ」

「取材ノート、そこにあるのに?」

 凛はコノミの机を指差す。そこにはコノミの取材ノートが何冊か置かれていた。いつもそこにあるのを見ているので、ずっと置きっぱなしになっているようである。

 だが、コノミは笑いながらこう言った。

「私、取材ノートは部室用と自宅保存用の二冊作っているんだよぉ。だからノートをいちいち持って帰らなくても大丈夫なんですぅ」

「はぁ、まぁいいけど」

 観賞用、保存用、布教用、みたいな物なのか、などと凛はどうでもいい事を考えていた。

 と、恵が小さく凛の肩を叩いて耳打ちする。

「前に同じ中学だった少し詠江さんから話を聞いたんだけど、あぁ見えてコノミさんって中学校時代から新聞部に所属していた腕利きなんだって。だからその辺は大丈夫だと思うよ」

「へ、へぇ」

「しかも昔は滅茶苦茶お堅い記事を書いていたみたい。確か、そのときの話だと中一の時に書いた記事のタイトルが『現在の与党における政権再編に関する是非』だったかな」

「……それ、中一が書く記事じゃないよね」

 凛がその辺の政治の知識を知ったのは中三になって公民を習ってからである。人は見かけによらないものである。

 と、そのとき急に部室のドアが勢いよく開いた。

「よかった! まだ帰っていなかった」

 委員会に行っていたはずの馬渕だった。

「残念ですが、もう今日の部活は終わりましたよ」

「そうじゃないんですよ、橋中先輩」

 馬渕は心底弱りきった表情で一枚の紙を出した。

「うちの部、この間購買でまとめて紙とか紐とか文具とかの備品を買ったじゃないですか」

「あぁ、確か買っていたねぇ。でも、まだ届いていないみたいだけどぉ。おかげでその辺の備品が全然ないから、今もかなり苦労しているんだよぉ」

 コノミがのんびりと言う。が、馬渕は切羽詰ったように言った。

「その代金がまだ未払いなんですよ! 備品は購買部でまとめて買った後それぞれの部に受け渡すんですけど、新聞部は未だに代金未払いで、今も備品室に届いた備品が置きっぱなしなんです。おかげで僕、『さっさと支払わせて来い』って委員長からせっつかれちゃいました。どうなってるんですか?」

 馬渕が所属しているのは購買委員会。校内にある購買部や各組織の備品購入を引き受ける部署である。この発言に対し、その場にいた四人の二年生は顔を見合わせた。

「確か、その辺の事は部長が一切を取り仕切っていたはずだけど」

「部長ぉ!」

 馬渕は悲痛な悲鳴を上げる。

「部長はどこですか?」

「忌引きで今日は休みだよぉ」

 お気楽そうにいうコノミに馬渕は頭を抱える。

「じゃあ、誰でもいいです! とにかく、今日中にこの件に関して蹴りをつけないと、代金は部費からじゃなくて僕たちが自費で払うことになりかねません! 新聞部の備品は特別に注文したものばかりだから、色々大変なことになりますよ!」

「それは……困ったわね」

 凛としてはそう言うしかなかった。紙の値段は意外に高いのである。

「うーん、こういうときは次期部長に対応してもらうのが一番じゃないかな」

 凛の言葉に全員の視線が一人の人物に向く。その人物……恵は小さくため息をついた。

「わかった。でも五分だけだよ。私も用事があるから。それに、話もよくわからないし」

「助かります! 交渉さえ終われば、すぐにでも運び込みますから」

 馬渕は拝み倒さんばかりに頭を下げた。

「そんなわけだから、先に行ってて」

「わかった」

 そんなわけで、恵以外の三人は先に部室棟を出て帰る事になった。下駄箱で靴を履き替えていると、印刷室から裁断された紙がいっぱい詰まったゴミ袋を持った整備委員会の生徒が出てくるのが見える。事前に通知されていた話だと、水道工事で印刷室が明日からしばらく使えなくなるらしい。多分、明日から印刷室が使えなくなるという事で、印刷室にある共用シュレッダーの裁断された紙を回収したのだろう。もっとも、あのシュレッダーはかなりの安物で普通のシュレッダーに比べて切れ目が粗く、なおかつよく停止するため買い替えが検討されていたはずだ。確か、そんな事を馬渕がぼやいていたと、凛は思い返していた。

 そんな事を考えながらそのまま自転車庫に向かう途中、体育館の前まで来たところで誰かが何かをしているのが見えた。

「あ、星代さんだ」

 女子バスケ部の練習に出ていた星代が体育館の前で軽くストレッチをしていた。女子バスケ部のユニホームを着て非常に活動的な外観である。向こうもこちらに気づいたようで、手を振ってくる。

「部活、終わったの?」

「うん。星代さんは?」

「今終わったところ。これから後片付け」

 そう言ってから頭を下げる。

「ごめんね、なかなかそっちに出られなくて。記事はちゃんと書いているから安心して」

「大丈夫。信用してるから」

「ちょっとぉ、私と態度が違うじゃない」

 コノミが頬を膨らませて抗議し、詠江がまぁまぁとなだめる。

「あれ、高原さんは?」

「それが馬淵君に捕まってしまいまして。この前の備品の購入に関して購買委員会から催促が来たようで、その対応を」

 詠江の解説に、星代も納得したようだ。

「また部長の怠慢ね」

「うん。部長、今日は忌引きだから。他の先輩もいないし」

「何だかなぁ」

 と、そのとき後ろから声がかかった。

「お待たせ!」

 振り返ると、恵が賭けてくるところだった。馬渕の姿はない。

「どうだった?」

「何とか手は打てたみたい。馬淵君がこれから委員長に事情を説明して、備品を運び込んでくれるみたい」

「そっか、馬淵君も大変だ」

 そう言うと、星代は軽く時計を見て微笑んだ。

「じゃ、私片付けがあるから。また明日ね」

 そう言うと、そのまま体育館の中に入っていく。

「それでは、恵さんも追いつきましたし、帰りましょうか」

「そうだね」

 自転車庫に着くと、恵と凛は自身の自転車を持ち出してくる。二人ともこの辺の中学出身で、普段から自転車通学であった。一方、コノミと詠江は近隣の駅からの電車通学なので、自転車はない。そのまま四人で事務室に部室の鍵を返却すると、校門の前まで出た。

 このとき、午後六時十分。ここで駅方面に向かうコノミ、詠江、凛の三人と、駅とは反対側に向かう恵は別れる事になる。

「それじゃ、また」

 そう言うと、恵は自転車に乗ってそのまま走り去っていった。残る三人は普段通りに手を振ると、そのまま駅の方へと歩き始める。

 そして、これが生きた恵を目撃した、最後の瞬間となったのである。



「……なるほど」

 一通り話を聞いて、出雲は何か納得したように頷いた。

「ちなみに、その後別れたお三方はどうされたのでしょうか?」

 凛、コノミ、詠江は顔を見合わせる。

「どうって、そのまま一緒に帰りました。私は荻窪駅の直前で別れましたけど」

 代表して凛が答える。中谷高校の最寄りの駅は荻窪駅。凛の自宅は学校と駅のちょうど中間にあり、それゆえに駅に向かう残り二人とは途中まで帰り道が同じなのである。

「残るお二人はそのまま電車に?」

「はい。でも、乗った電車は違いますよ」

 詠江が丁寧に答える。

「と言いますと?」

「荻窪駅に着いたところで、江崎さんとは別れましたから」

 首をかしげる出雲に対し、詠江は事情を説明した。

「実は江崎さんは日頃から帰宅途中に学習塾に通っていまして。学習塾自体は私と江崎さんの家の最寄り駅である東中野駅の前にあるので降りる駅は一緒なのですが、江崎さんは普段から同じ塾に通っている別の高校の友達と荻窪駅で待ち合わせするんです。そんなところに私がいるのも野暮ですので、普段から荻窪駅に着いたところで別れるようにしています。あの日も改札を入ったところで別れて、私はそのまま電車に乗りました。確か、六時半くらいだったかと思います。その後はいつも通りに東中野駅で降りて、自宅に戻りましたよ」

 詠江はスラスラと言葉をつむぐ。出雲が目を向けると、コノミも追随するように頷いた。

「うん。私は別れた後ですぐにショーコと合流して電車に乗って、六時五十分くらいには東中野駅前の塾に入りましたよぉ。その後十時くらいまでそこで授業を受けていたかなぁ」

「そうですか……」

 次に、出雲は星代と馬渕に目を向けた。

「あなた方は?」

「私はそれから体育館で後片付けをずっとしていて、下校したのは七時だったと思います。女子バスケ部のメンバーと一緒に。そこから駅まで行って、駅前のファーストフード店で少しご飯を食べた後、全員で同じ電車に乗りました。帰ったのは八時くらいです」

 星代はすらすら答える。一方、馬渕は頭をかきながら呻いた。

「僕はあの後委員長への釈明に追われていました。恵さんとの話し合いで支払いの目処がついたので、そのまますぐに備品を運び込む手はずになっていたんですけど、委員長が難癖をつけ始めて、結局備品納入はお流れになって……」

「備品を運び込めなかったのですか?」

「うちの委員長、想像以上に頭が固かったんです。しかも、その後あの事件が起きたから、そのゴタゴタでますますややこしい事になって、さらにそこに三年生の引退が重なったものだから財務責任がうやむやになって……。そんな感じなんで、恥ずかしながら、今もまだ納入できていないんですよ。里中先輩が部長になってようやく支払いの目処ができたもんで、明日辺りに支払ってもらった後、やっと納入できる見通しが立ちました」

「何か、ごめんなさいね」

 星代が馬渕に謝る。

「いえ、別にいいんですけど。で、結局備品を運び込めないままになって、最終的に門を出たのは六時二十分過ぎでしたね。校門までは委員会のみんなと一緒で、そこからは自転車に乗って帰りました」

「あなたも自転車通学でございますか」

「そうです。僕も高原先輩や尼子先輩とは同じ中学ですから。家も尼子先輩と近いですし」

 あ、そうだ、と急に馬渕は声を上げた。

「そういえば、帰るときに尼子先輩に会いましたよ。ですよね、尼子先輩」

「あぁ、そうだったね」

 凛は何かを思い出したように言った。

「尼子先輩の家の前を通りかかったときに、家から自転車で出てくる尼子先輩と出会ったんです。そこで少し立ち話をしたんですよ。三十分くらいですか」

「そんなに何の話をされていたのでございますか?」

「実は、新聞部で書く記事の書き方の事で相談があったんです。僕、こういう記事を書くのは初めてなので。でも、あの日は結局部活に行けなかったせいで聞けなかったので……」

「私、普段から馬淵君の相談によく乗っているんです」

 凛がフォローするかのように付け加えた。

「それで、家の前で相談を。別れたのは七時前後でした。それでさすがに家に帰りましたよ」

「凛さんはどうして外出を?」

「いえ、夕飯を作ってたら調味料を切らしていた事に気がついて、スーパーに飼いに行こうと思ったんです。話し込んでしまって、結局帰ってきたのは七時半頃になっていました」

 凛は小さく舌を出して言う。と、それに星代が口を挟んだ。

「その話は本当ですよ。私も帰る途中で私も尼子さんにすれ違いましたから」

「いつですか?」

「七時過ぎくらいだったと思います。女子バスケ部のみんなと一緒に学校から駅に向かっている途中に、駅の方から自転車に乗って走ってくる尼子さんと会いました」

「うん。私が向かったスーパーが高校の前を通った先にあるから、帰る途中の星代さんたちと必然的にすれ違うんです。ちょっと挨拶しただけですぐにすれ違いましたけど」

「なるほど……」

 出雲の頭の中では、今までの情報が瞬時に組み立てられつつあった。が、そ知らぬ風にして出雲は尋ねる。

「事件の次の日は大変だったでしょうね」

「それはもう。元々は土曜日だから部活だけだったんです。でも、登校してから部室で待機状態になって、それからしばらくして恵ちゃんと最後に会ったって事で警察から新聞部全員で尋問されて……まぁ、今の話をしました。それに、部室内の恵ちゃんの机も調べていましたね」

 凛はバツが悪そうに言う。星代がその後を引き継いだ。

「結局、全員アリバイありという事でそれ以上は聞かれませんでしたし、部室の調査も彼女のデスクの確認だけで終わりました。詠江さんなんて定期券まで調べられたみたいですから」

「定期券……電車の乗車記録でございますか?」

「はい。ちゃんと午後六時三十二分に荻窪駅の改札を抜けて、午後六時五十分に東中野駅の改札を出た記録が確認されたそうです。その後も定期を使った記録はなかったという事で、無罪放免されました」

 詠江がホッとしたように言う。

「私もショーコが証言してくれて、アリバイはちゃんと確定しましたよぉ」

「私も女子バスケ部のメンバーに迷惑をかけましたね。私の場合、体育館での片付けの最中にトイレで五分間くらいは席を空けたりしていましたけど、その程度は警察も許容してくれましたから」

 星代がまとめるように言った。出雲は愛想よく微笑みながらも情報を整理する。

 いくら動機がないからといって彼女たちが捜査線上に挙がっていないのは不自然な話であるが、その本当の理由がはっきりした。何のことはない。全員にアリバイがあったからだ。

 警察の資料によれば、高原恵の死亡推定時刻は午後六時から七時の間。玄関で凛たちと別れたのは六時十分なので、犯行はここから五十分間に限定される。被害者の動向は一切わかっていないが、死因が絞殺で、それ以外に被害者を抵抗できなくさせるような外傷や薬物投与などの痕跡がない事から、犯人が少なくとも殺害に十分以上の時間を費やしたことは確実である。また、遺体を外からあの工場に持ち込むとなるとかなり目立つはずだが、そういった目撃証言は一切出ていない。そのため、事件現場はあの工場かその周辺であることは間違いない。つまり、この五十分の間に十分以上のアリバイがなく、なおかつ現場である工場周辺に行く事が可能な人間が怪しいという事になろう。

 だが、新聞部の五人にはこの五十分の間に完璧なアリバイがあるのだ。

 まず、被害者と最後に別れた凛、コノミ、詠江の三人だが、この三人は別れた後に一緒に帰宅をしている。中谷高校から最寄りの荻窪駅までは徒歩で約二十分、自転車で十分。凛の家はこのほぼ中間にあるが三人で帰っていた以上は凛も自転車を押して歩いていたはずで、となれば少なくとも二十分までは三人一緒だった事になろう。そして、凛はその十分後の六時半には自宅から出ようとしているところを馬渕に見られ、そこから三十分間話し込んでしまっている。この時点で七時。死亡推定時刻範囲外である上に、その後七時過ぎには駅方向から自転車で向かってくるのを星代が証言しているというのだから話にならない。アリバイがないのは別れてから馬渕に会うまでの十分だけだが、この十分で工場周辺まで戻って殺害を終え、再び自宅まで戻って馬渕に会うのは不可能である。

 同様に、馬渕も帰宅を始めた六時二十分まではアリバイがあり、その十分後には凛に会っている。十分で殺害を終え、なおかつ学校から十分(自転車でも五分)かかる凛の家まで行くのは不可能だ。

 次に電車で帰宅した詠江とコノミの二人だが、この二人は少なくとも荻窪駅に到達するまでの二十分間は互いにアリバイを持つ。そして、二人は改札を抜けたところで別れ、詠江はそのまま電車に乗り帰宅。コノミは別の学校に通う友人と待ち合わせをして、同じく電車に乗って塾に向かっている。

 一見すると一人になった詠江のアリバイが弱いが、詠江の言葉によれば彼女のこの電車による帰宅は事実らしい。というのも、彼女が持つ定期券が、事件当日の午後六時三十二分に荻窪駅の改札を通り、同日午後六時五十分に東中野駅の改札を出た事を記録していたというのである。また、記録によればその日それよりも後に定期券が使われた形跡はない。つまり、少なくとも彼女が六時五十分に東中野駅にいたのは間違いないと考えられるのだ。

 荻窪駅と東中野駅は中央本線で十分の距離にあり、別れてすぐに荻窪駅を発車する電車に乗ったとすればこの時間経過はなんら不思議ではない。実際、調べてみると六時三十五分荻窪発、六時四十五分東中野着のちょうどよい電車が存在した。仮に彼女が東中野駅の改札を出てすぐに定期に記録が残らないように切符を買って引き返したと仮定しても、荻窪駅に戻った時点で七時をオーバーしてしまう。犯行はおろか、現場に行くことすら絶対に不可能だ。

 コノミはこれに輪をかけて犯行不可能である。何しろ、アリバイがないのは詠江と別れてから友人と合流するまでのわずか数分のみ。それ以外は常にアリバイが存在するのである。アリバイがあるのが数分では、駅から出る事さえできない。

 残るは七時まで学校に残っていたという里中星代。現場の工場は中谷高校の近くであり、なおかつ体育館のすぐ横にある裏道を通れば誰にも見られる事なく学校と工場を行き来する事は可能なので現場への移動時間は考えなくてもよい。だが、その間彼女はずっと女子バスケ部の誰か常に一緒だったというのだ。席を外したのはせいぜいトイレに行った五分くらいとの事だが、あの犯行は五分では絶対に不可能だ。これもアリバイ成立である。

 つまり、新聞部の五人には誰にも犯行が不可能なのである。その上動機がないとなれば、警察が捜査対象から彼女たちを省いたのもある意味当然の反応であろう。

 そこまで一気に考えると、出雲はそれで満足だと言わんばかりに立ち上がった。

「色々とありがとうございました。おかげで、恵さんの最後について詳しく知る事ができました」

「お役に立てればよかったのですが」

 星代が申し訳なさそうに言う。

「いえ、私こそ、急に押しかけたりして申し訳ございませんでした。……では、私はこの辺でお暇させていただきます」

「あ、じゃあ、私が校門まで送ります」

 立ち上がったのは凛だった。

「よろしいのですか?」

「いいんです。どの道、私も校舎の方に用事がありますし」

「……それでは、お言葉に甘えて」

 その言葉を合図に、凛の先導で二人は部室を出て行った。後には星代たち四人が残される。

「ずいぶん変わった子だったわね」

 星代がまずそんな感想を述べる。それに対し、他の三人も同時に頷いた。

「そうですね。言葉遣いは丁寧でしたが、どこかこう……得体の知れない感じがしました」

「あ、橋中先輩もやっぱりそう思いました? 俺もそんな感じがして、正直薄気味悪かったです」

「私もぉ。何て言うか……」

 コノミが的確な一言を告げる。

「まるで、死神みたいな」

 その言葉に、部室の中が重苦しくなった。


「……ここで結構でございます」

 校門まで出たところで、出雲は凛に対してそう言った。

「何かすみません。こんなおもてなししかできなくて」

「いえ、何のアポイントメントもなく急にやってきた私が悪いのでございます」

 出雲は微笑を崩さないままそう言った。

「これからどうなさるんですか?」

「……もう少し東京に残ってその辺を歩いてみようと思っています。せっかくの東京でございますから」

「そうですか……」

「では、これで」

 出雲はそのまま凛に背を向けて去ろうとする。キャリーバックのキャスターの乾いた音が、ゆっくりと遠ざかっていく。

「あ、あの!」

 不意に、凛は思わずそう呼びかけていた。出雲が背を向けたままその場に止まる。偶然なのかどうなのか、校門の近くには二人以外誰もいない。

「……何でございましょうか?」

 出雲は振り返る事なくそう尋ねた。凛はしばらく躊躇していたようだったが、やがて決心したかのようにこう尋ねた。

「日名子さん、犯人、捕まると思いますか?」

 その言葉に、出雲はしばらく無言で答えた後、背中を向けたまま、

「……なぜそう思うのでございますか?」

 と、聞き返した。

「あれから一ヶ月も経ちましたけど、一向に犯人が捕まる様子がなくて……。もしかしたら、このまま迷宮入りになっちゃうのかなって、そんな予感がして……」

「事件解決が何年にも渡るケースも珍しくはございません」

「でも、何と言うか、この事件はそんな簡単には終わらないような……そんな変な予感がするんです。あくまで、私の予感なんですけど」

 出雲は答えなかった。重苦しい沈黙がその場を支配する。

「ごめんなさい、こんな事を言って。でも、不安なんです。犯人がいつまでも野放しになっているのに、私には何もできなくて……」

「大丈夫でございます」

 不意に出雲が口を開いた。凛は顔を上げる。

「世の中はそこまで甘くはございません。人を殺しておいて、まんまと逃げ切れた事案など今までに数えるほどしかございません」

「でも……」

「それに」

 唐突に出雲は凛の方を振り返った。その何ともいえない視線に、凛はドキリとする。

「私が、そんな事は許しませんので」

「え?」

 その瞬間、突然二人の間に何の前触れもなく突風が吹き荒れた。

「キャッ!」

 凛は思わず風を手で遮る仕草をする。そして、風が収まって手をどけると、すでに出雲の姿はどこにもなかった。

「え? あれ?」

 凛は思わず周囲を見渡す。が、あの不気味な格好をした少女の姿は、まるで幻であったがごとく、その場から忽然と姿を消していたのであった。


 その夜の事である。

 そこは寂れた神社だった。周囲はうっそうとした雑木林に囲まれ、昼でも薄暗くて非常に薄気味悪い。まして夜となるとその不気味さは言葉では言い表せないほどで、社が朽ち果て、もう長い間参拝客もいないだろうと思われるその神社は、ただただ人を近づけさせない雰囲気をかもし出し続けていた。

 そんな神社の周囲を取り囲む漆黒の雑木林の中を、『復讐代行人』……黒井出雲は平然とした様子で歩いていた。闇の中に黒いセーラー服が溶け込み、しかし白い顔は逆にくっきりと浮かび上がっているため、顔だけがはっきりと見えるという何とも不気味極まる事になっている。うっそうと生い茂る林の中をしばらく進むと、そのまま開けた場所に出る。石畳の敷かれたその場所こそが、この神社の境内だった。周囲を雑木林の木々に覆われたこの神社の境内は非常に薄暗く、狐の化け物の一匹くらいは普通に出そうな雰囲気である。が、出雲はそんな神社の雰囲気などどこ吹く風で、軽く服をはたくとそのまま境内を見回して何かを探す仕草を見せた。

「随分、辺鄙な場所にいるんだな。探すのに苦労したぜ」

 と、どこからか声がかかり、出雲は足を止めた。出雲の背後、すなわち境内の一番奥に鎮座している小規模な社の階段に、いつの間にいたのか東がニヤニヤ笑いながら座っていた。

「言いますね。あなたの情報網なら、私の居場所を突き止めること程度簡単でございましょうに」

「まぁな。この神社があんたの拠点の一つだとか、な」

「……」

「まぁ、そんなに睨むなよ。それはそれとして、用件はわかってるだろ?」

「昨日頼んだ調べ物の結果でございますね」

「ったく、これこそ本当に苦労したんだぜ」

 そう言いながらも、東は手元のビジネスバッグから紙の束を取り出し、出雲に放り投げた。出雲はそれを片手で受け取ると、そのままザッと中身を確認する。

「問題の資料の目次にあった事件は合計五つで、実際に詳細まで調べられていたのは最初の二つの事件だけ。で、その目次に書かれていた五つの事件の概要だ。それで満足か?」

 だが、出雲はしばらく中身を見ていたが、やがて大きく首を振った。

「そのような言い方をするという事は、まだ何かあるのでございましょう? あなたがただ私に言われた事だけを調べて終わるような人間でない事はわかっているつもりでございます」

「……どうかなぁ? 俺はあんたから言われた事を調べただけだぜ」

「出し惜しみは感心いたしませんね」

 出雲の淡々としながらも殺気のこもった言葉に、東はおどけたように両手を挙げる。

「怒るなって。ただ、こっちも商売でね。知りたいなら、追加料金百万もらうぜ」

「それだけの価値があれば、でございますね」

「絶対にある。情報屋としての誇りにかけて、それは保障する。ただ、内容をどう使おうが、そちらの勝手だがな」

 そう言いながら、東はもう一つ紙の束を取り出した。

「問題の資料とやらだが、すべて鉛筆での手書きなのはあんたもよくわかっていると思う。が、最初の目次に示された事件の一覧をよく見ると、五つの事件のうち三番目の事件だけ、一度消しゴムで消した痕跡が見られた。で、俺としては訂正前に何が書いてあったのかが気になってな。念入りに消してあったもんで苦労したが、渡されたのが原本だった事もあって、なんとか判別には成功した。そこに書かれていた事件に関しても、ついでだから調べておいてやったぜ」

「つまり、その三番目の事件だけ別の事件に書き換えていると?」

「そう考えるのが妥当だろうな。というか、お前も原本に何かある可能性を考えて、わざわざ原本を俺に渡したんだろうがな」

「さぁ、どうでございましょうか」

 微笑みながらもとぼける出雲に、東は肩をすくめる。

「ま、あんたが何を考えていようがこっちの知った事じゃない。とにかく、こいつがその修正されていた『第六の事件』のデータだ。ちなみにかなり似せて書かれてはあったが、その修正箇所だけ筆跡が微妙に違っていた。よって、第三者が直した可能性が高いが、どうもそいつが本命臭いぜ」

 出雲は黙ってその紙の束を受け取ると、そのタイトルを見やった。

『尾澤中学女子生徒墜殺事件』

 表紙にはそう書かれていた。

「今から三年前か。都内の尾澤中学ってところで起こった殺人事件だ。見た感じでは、確かにあんたのやり口に似ていなくもない。『復讐代行人』を調べていたら、まず行き着いてもおかしくはないだろうぜ」

 出雲はそんな東の言葉を聞き流しながら、事件概要を読み始めた。


『三年前、すなわち二〇〇二年の九月十一日水曜日、中野区にある都立尾澤中学の四階階段踊り場で当時中学二年生だった少女が死亡する事件が発生した。被害者の名前は吉倉美亜。死因は階段から転落したことによる脳挫傷で、状況から四階の階段の一番上から何者かに突き飛ばされたと考えられた。四階は特別教室が集中する場所で元々人通りが少なく、さらに死亡推定時刻とされた時間帯が放課後遅くだった事から目撃者は皆無であり、遺体発見も事件翌日の早朝に巡回していた用務員が発見した事によるものだった。警察は殺人事件として捜査を進めるも、上記のような状況から容疑者は一向に浮かばず、事件は迷宮入りの様相を見せ始めていた。

 ところが事件から約一ヶ月後、今度は同じ中学の数学教師である迫平光雄が、一人で残業中に職員室に侵入してきた何者かによって刺殺されるという事件が発生。この事件に関しては比較的証拠が残っていた事からすぐに犯人の目星がつき、警察は事件の翌日に死んだ吉倉美亜の父親である保険会社の調査員・吉倉英造を逮捕した。吉倉は犯行を認め、娘の復讐のために迫平を殺害したと自供。詳しく取り調べると、吉倉は娘が殺された事件後に保険会社の調査員という自身の立場を利用して独自の調査を行い、犯人が美亜の担任教師だった迫平であると断定。彼の殺害を決意し、夜中の校舎に忍び込んで迫平を殺害するに至ったとの事であった。警察ではその後彼の主張が正しいかどうかの捜査が行われたようだが、最終的に警察は吉倉美亜殺しを吉倉の主張通り迫平の犯行であると結論付け、事件はそのまま幕を閉じた』


 一通り読むと、出雲は顔を上げる。東が面白そうに出雲を見つめながら聞いた。

「念のため聞いておくが、あんた、その事件には……」

「私は関与した覚えなどございません。初めて聞く事件でございます」

 出雲はきっぱりと言った。

「だろうな。一通り調べたが、俺も何かあんたの仕事とは違うと感じた」

 そう言いながらも、東は肩をすくめる。

「とはいえ、あんたの仕事と似た経緯の事件である事は確かだ。なおかつ、復讐殺人を防げなかったせいなのか、この事件に関する警察の情報公開は消極的だ。よからぬ噂……たとえば『復讐代行人』が絡んでいたとかいう話が一人歩きしてもおかしくはないだろうな」

「なるほど」

 出雲は何か納得したように頷いた。次のページからは、事件の証拠や関係者の詳細情報が載せられている。死亡した吉倉美亜、被疑者の迫平光雄、その迫平を殺害した美亜の父親である吉倉英造を主軸に、その周辺の関係者の情報が余す事なく掲載されていた。

「で、どうなんだ、この情報の価値は?」

「……いいでしょう。言い値をお支払いいたします」

「そりゃ結構。こっちも調べた意味があったってもんだ」

 そう言うと、東は階段から腰を上げ、そのまま片手をポケットに突っ込んだまま出雲の脇をすり抜けていく。

「……参考までに聞いておくが、あんた、これからどうするつもりだ?」

 神社から去る前に東が発したその言葉に対し、出雲は笑みを崩さないままで、さらりとこう切り替えした。

「あなたなら、それもわかっているのではございませんか?」

「まぁな」

「では、答え合わせを」

 出雲の言葉に対し、東は肩をすくめて答える。

「昨日報告した中谷高校の新聞部の面々。その中に何人か尾澤中学の出身者がいたな。それが答えという事でどうだ?」

「……さすがですね」

「ふん、当たっても嬉しくはないがな」

 その言葉を置き土産に、東は去っていった。それを見届けると、出雲はキャリーバッグの下の部分を軽く蹴った。

 瞬間、キャリーバッグの上の部分に小さな隙間が開き、そこから一束の書類が飛び出してくる。それを自然な動作でキャッチすると、出雲はもう一度その書類……『中谷高校新聞部調査書』を眺めた。

「さて、ここからが正念場でございますね」

 出雲の見つめる先に、いくつかの名前が踊っていた。


『里中星代……尾澤中学卒業。中学時代も女子バスケ部所属し、キャプテンも歴任して全中出場経験あり。中学二年秋に激しい選挙戦の末に尾澤中学校生徒会副会長に就任し、一年間同職を歴任。しかし、受験で失敗して中谷高校に進学』


『江崎コノミ……尾澤中学卒業。中学時代は当初新聞部に所属するも、中学二年の頃に退部。以降は無所属。退部前はかなり生真面目な性格で硬派な記事を書いているが、退部の前後を境に現在の性格に急変。成績も急落し、中谷高校へ進学』


『橋中詠江……尾澤中学卒業。中学時代は美術部に所属。絵画コンクールで入賞経験あり。しかし、中学二年の頃を境にスランプに陥り、三年の引退をきっかけに絵筆を折る。その後、推薦されていた美術専門学校への進学を諦めて、中谷高校へ進学』


 さらに、出雲は別の書類にも目を通していた。それは、三年前の事件で死んだとされていた吉倉美亜の記録だった。


『吉倉美亜……三年前、尾澤中学二年生のときに学内で階段から落ちて死亡。公式記録では殺人事件とされている。在学中は新聞部に所属。非常におとなしい性格でクラス内でのいじめの噂もあるほどだったが、部活では性格が変わったように積極的な取材を行い、一年の頃から敏腕記者として名を馳せる。死亡当時も何かを調べていたようだが、彼女の死によりそれがどんな記事だったのかは闇の中となった。なお、先に調査した里中星代と橋中詠江は死亡時に美亜と同じクラスであり、必然的にこの三人は後に吉倉英造に殺害された数学教師・迫平光雄の担任していたクラスの生徒となる。江崎コノミはクラスこそ違うが同じ新聞部に所属しており、また、迫平はこの新聞部の顧問でもあった。ちなみに、星代が選挙に当選した次期と、コノミの性格が激変して新聞部を退部した時期、そして詠江が突如スランプに陥った時期は、美亜が死亡した時期と一致している事を追記しておく』


 東の報告は、あくまでも客観的かつ正確だった。それだけに信憑性が高い。

 もちろん、この事件が今回の事件に関係しているかどうかは判断が難しいところだ。実際、今回殺された高原恵は少なくともこの尾澤事件とは直接的には一切関係していないはずなのである。出身中学も違うし、新聞部所属だったとはいえ尾澤中学の新聞部と付き合いがあったという話はないようだ。もしそんな事があったなら東が真っ先に報告しているはずだから、これは間違いない。となると、ますます高原恵殺害と尾澤事件の関連性がなくなってしまう。事実、だからこそ警察もこの事実にたどり着けず、また新聞部に疑いを抱く事もできていないのだろう。

 しかし、出雲はこの三年前の事件に何かを感じ取っていたようだった。

「これで道半ば、という事でしょうか。さて、この先どう動くかでございますね……」

 薄暗い神社の中、出雲はそう言って不気味に微笑むと、そのままキャリーバッグを引く音とともに、月明かりも届かない漆黒の闇の中へ溶け込むように消えた。

 闇が静かに、しかし着実に動こうとしていた。

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