復讐代行人 中谷高校事件

奥田光治

プロローグ 伝説

『夜の東京。薄暗い闇に覆われたビル街の路地裏を、グレーのスーツ姿の一人の男が必死の形相で走っていた。

「はぁ、はぁ……畜生!」

 男は右肩から血を流し、壁に手をついてよろめきながら前進していた。明らかに何かから逃げている様子であるが、それが何なのかはよくわからない。

「くそっ、畜生! 何で……どうしてばれたんだ! 完璧な……完璧な計画だったはず!」

 男は狂ったように叫ぶ。が、その瞬間、突然漆黒の裏路地に一発の銃声が響き渡った。

「グワッ!」

 男の左足から血が吹き出し、男はその場に倒れ付す。そしてその直後、その場を動けなくなった男の後方の暗い闇の中から、ゆっくりした歩調の足音が確実に近づいてくるのが男にもしっかりと聞こえた。男にとって、それは死神の足音以外の何者でもない。

「く、来るな!」

 男はうつぶせになりながらも必死に這いずりながら逃げようとする。が、足音はその歩調を一切変える事なく悠々と男のすぐ背後まで近づくと、不意にその歩みを止めた。

「ひ、ひぃ! し、死にたくない! 助けてくれぇ!」

 男がそう叫んだ直後、再度一発の銃声が響き渡った。


 その人物は、右手にオートマチック式の拳銃をぶら下げながら、ゆっくりとうつぶせに倒れ付している男の近くに歩み寄った。男はピクリとも動かない。脳天を背後から銃撃され、すでに事切れている様子だ。

 その人物は黙ってその遺体を見つめ続ける。拳銃を持っていない方の手に黒いキャリーバッグを引いているのは辛うじてわかるが、それ以外は漆黒に紛れてよくわからない。その人物は遺体を見ながらその男の素性を確認しているようだった。

 今この場で事切れている男は、この界隈の大企業に勤務するエリート社員である。だが数ヶ月前、上役の娘との結婚話が持ち上がった事から、それまで援助交際で付き合っていた女子高生を極秘裏に殺害。持ち前の頭の回転の速さで事件を自殺に見せかけ、警察の追及を逃れ続けていた。事実、事件は自殺として処理され、男の人生は薔薇色に染まっていたはずだった。

 しかし、そんな男の人生もここでいきなり幕を閉じる事になったようだ。その惨めな最後を見届けると、その人物は軽く目を閉じて黙祷した。そのまましばらく沈黙していたが、不意に目を開けると、ポケットから何かを取り出して遺体のそばに投げ捨てた。金属製のカード……その表には古めかしい服装をした女性の絵が描かれている。

 それを確認すると、その人物は拳銃をしまい、そのまま後ろを向いてその場を去っていった。足音とキャリーバッグのキャスターの音が徐々に遠ざかっていき、やがて消えていく。後には、血まみれとなった男の遺体と、謎のカードだけが残されていたのだった……』



「めーぐみ、何読んでるの?」

「キャッ!」

 後ろからいきなり抱きつかれて、パソコンの文章に見入っていたその少女……中谷高校二年生・高原恵は思わず声を上げた。同時に恵の意識は現実世界へと引きずり戻される。

 東京都立中谷高校の新聞部室。それが今、恵のいる場所である。恵はこの部活の部員であり、文化祭に向けての資料集めに部室備え付けのパソコンを使っていたところだった。

「もう、凛ったら急に抱きつかないでよ」

「ごめん、ごめん。でも、随分熱心に読んでいたから、何かなぁと思ったの」

 そう言いながらも、同じく新聞部二年で恵の同級生でもある尼子凛は、興味津々に恵が操作しているパソコンのディスプレイを覗き込んでくる。見た目は細いフレームのメガネをかけていてお堅い印象であるが、話してみると結構気さくな人間だったりする。恵はため息をつきながらも黙ってパソコンの画面をスクロールさせた。

「何々、『ネット上の都市伝説小説』?」

「ネット上ではやっている都市伝説を題材にした小説を集めているの。結構面白いよ」

「ふーん。これは何の小説なの?」

 凛の言葉に、恵は黙って画面の一番上を示した。

『都市伝説「復讐代行人」関連小説集』

 案の定、凛は大きく首をかしげた。

「聞いたことがない都市伝説ね」

「最近急に話題になってきた噂だから」

 そう言いながら、恵はその伝説の説明が書かれたリンクをクリックした。ページが開かれ、黒い背景に白い文字が躍る。


『都市伝説「復讐代行人」は、ここ数年になって急にネットを中心に流れ始めた都市伝説である。いわく、「復讐代行人」とは一種の殺し屋のような存在であり、一度狙われたら絶対に逃げられないという。だが、この伝説上の殺し屋の特徴として最たるものは「標的がわからない復讐目的の依頼しか受け付けない」、という一点に尽きる。一度依頼を受けるとその標的を必ず見つけ出し、標的に対してその罪を追求した上でその殺害を容赦なく遂行する。つまり、標的探しと殺害を両方行う稀有な殺し屋だというのだ。その素性は謎に包まれ、実際にいるのかどうかさえ判然としない。もちろん、警察も公式にはその存在を肯定していない。だが、ネット上ではその存在はすでに神格化されており、この殺し屋を主人公にした作品が日々作られ続けているのだという。過去に何かをして未だにばれていないという経験は人には多いだろう。そういう人々の間で、次に狙われるのは自分かもしれないという恐怖が広がり、ネット上で爆発的な広がりを見せているのである』


 一読してみて、凛は顔を上げた。

「今の都市伝説ってこんなのなんだ。私、口裂け女とか人面犬とかしか知らないよ」

「私も最近になって知ったんだけどね。せっかくだから、これを今回のテーマにしてみようかなって思ってるの」

 恵は微笑みながらそう言った。

「今回のテーマって……もしかして文化祭に発行する新聞に書く記事?」

「そう。去年は『犯罪凶悪化伝説は真実か』ってテーマで記事をまとめたから、今年は伝説つながりで都市伝説かなって思っていたんだけど、どうかな?」

 恵たちの所属する新聞部は七月上旬に行われる中谷高校の文化祭に向けて特別新聞を出す事になっており、ここ最近はその対応や取材に追われていた。中谷高校の新聞部は全国のコンクールで最優秀賞をとるほどレベルが高く、それだけに毎年の文化祭前後は文字通り修羅場と化す。基本的には部員一人が一つのコーナーを担当し、それぞれが自由なテーマで記事を執筆する事になっているのだが、何しろ元々のレベルが高い事から生半可な記事では容赦なく部長から没を宣告される事になるため、どの部員も気合を入れたテーマ設定を余儀なくされるのである。

「正直、全然毛色が違うと思うけど……ま、いいんじゃないかな。期待していますよ、次期部長!」

「そんな……まだ決まったわけじゃないし……」

 顔を赤らめながらも恵は嬉しそうに言った。恵は一見すると何か取り立てて個性があるわけでもなく、よく言えば平凡といった感じの女の子だった。が、文章能力に関しては何か光るものがあり、地味ではあるが堅実で詳細な記事を書く事で評判だった。実際、昨年の文化祭で書いた犯罪凶悪化に関する考察記事はかなりの評価をもらっていたはずである。

 その点もあってか上級生からの期待も厚く、すでに次期新聞部部長への内定が決定しているようである。母親を亡くしているので父との二人暮らしだそうが、それでも常に明るく振舞い、友達もかなり多い人間だった。

「そういう凛ちゃんは何を書くの?」

「私? 私は『ネットワークゲームの変遷』ってタイトルでやるつもり。去年は『ソーシャルゲームの進化』ってテーマで好評だったから、その延長線上かな」

 見た目には真面目そうな凛が意外なテーマを告げる。こう見えて彼女は重度のゲーマーであり、休みの日には近所のゲーセンで恐れられる存在なのだという。そのギャップに、校内でもファンが多いらしい。

「凛ちゃんももう少しテーマを選んだら先生からの評価もよくなるのに」

「何よ」

 そう言ってから、二人は顔を見合わせてぷっと吹き出し、笑い声を上げた。

「って事は、今は資料集めの最中なの?」

「ううん。実は下調べはもうすんでいて、あとはもう書くだけなの。でもまだ時間があるみたいだから、もう少し突き詰めようかと思って今調べ直し中」

「だからそのページを見ていたのね。じゃ、邪魔な私はさっさと退散しましょうか」

「もう……」

 顔を膨らませる恵を残して、凛は自分の席に戻っていった。

 いつもと変わらない光景。この光景がいつまでも続くと、二人とも信じて疑わなかった。


 だがその数日後、この一見どこにでもあるような高校での日常は、大きく根底から覆る事となる。

 「殺人事件」という、あまりも不釣合いな単語と共に……。

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