第52話 目撃者(2)

 砦か南下すること二日。現在位置を確かめようと高台に上ったカウルは、そこで大きな外壁の残骸を発見した。

 元々は王都グレイラグーンにある外壁と同じようなものだったのだろう。巨大な壁が円を描くように広がっていたが、そのところどころは劣化し崩れ落ちてしまっている。恐らくあれが旧王都グレイリーブスの跡地に違いあるまい。

 慎重に森の中を進み壁の前まで来ると、崩れた壁の間に道が見えた。草の無い明るい土。ごく最近整備されたばかりのようだ。

 カウルは壁の隙間を通り抜けると、道に沿って真っすぐに進んだ。瓦礫や廃墟を眺めながら歩いていくうちに目の前に再び壁が現れた。高さ三メートルほどだろうか。外壁の残骸よりはずっと低いが、小型の禍獣を防ぐには十分な大きさだ。壁の中央には門があり、近づいて見上げると門の上部に大きくルシードと書かれた文字が見えた。

 カウルの姿を見て門の上、見張り台に座っていた兵士が顔を覗かせる。太陽の光で影になっていたが、無精ひげを長々と伸ばした顔だけは辛うじて見えた。

「……旅人か」

「ええ」

「どこから来た? 要件は?」

「王都グレイラグーンです。死門の噂を聞いて仕事を探しにきました」

 そう言うと、兵士は砦の時と同様にじろじろとカウルの全身を見下ろした。

「退魔師か……」

「そんなところです」

「こっちは人手不足だから増援は助かるが……街の中で問題を起こせばすぐに追い出すからな。ただでさえ避難民が毎日増え続けてるせいで争いが耐えないんだ」

「わかりました。気をつけます」

 カウルがそう言うと、兵士はカウルの背後に人の気配が無いか念入りに確認し、門の内側にいる仲間に合図を送った。

 重低音を響かせながらゆっくりと門が開く。カウルはティアゴから降りると手綱を引いて街の中へ入った。

 門の前には一直線に長い道が伸びており、その途中に厩舎が立っている。カウルが厩舎の中に顔を覗かせると、気の良さそうな若い男が馬の世話をしていた。カウルの姿を確認して顔を上げる。

「数日間、馬を預かって欲しい。お願い出来るか」

「一日、三千もらうよ。一か月音沙汰無い場合、馬はこっちで処理するからね」

「わかった。構わない」

 三千か。王都の半額くらいの価格だ。カウルは手持ちの額を確認し、何日分払えるか頭の中で計算した。

「ティアゴ。少しだけここで休んでてくれ。すぐに戻ってくるから」

 カウルが首を撫でると気持ち良さそうに耳を左右に倒すティアゴ。村に着いたことで気が抜けたようだ。

 カウルからお金を受け取ると、馬番の男は丁寧にティアゴを厩舎の中へ運び、樽に入れた水を前に置いた。数刻ほど水分を取っていなかったため、ティアゴは嬉しそうにごくごくと水を飲みこんでいく。カウルは幸せそうなティアゴの姿を眺めながら、そっとその場を後にした。

 しばらく歩くと大通りのような場所に出た。グレムリアほどの賑わいはないものの、それなりに人は多い。その大半は避難してきた村人たちと、東部に集まった兵士、退魔師たちのようだった。

 どうやら各砦の兵士たちはここを拠点に活動しているらしい。怪我をして担架で運ばれていく兵士や、世話しなく走り回る救護兵の姿がちらほらと目に付いた。

 既に街の許容人数を超過してしまっているのだろう。道には物乞いのような人々が座り込み、街の端には避難民用だろうか。簡易的な天幕がいくつも並んでいる。ここまで雑然とした光景は王都グレイラグーンでも目にしたことは無かった。

 ――……とにかく、まずは情報収集だ。死門停滞の目撃者がこの街にいるかどうか確認しないと。

 手っ取り早く人の噂が集まる場所といえば、飲み屋しかない。カウルは真っ先にこの街で一番大きな飲み屋を目指すことにした。

 歩き回りながら飲み屋を探していると、大きな噴水のある広場に出た。焔市場ほどではないが仲介屋の屋台がいくつか出ており、そこに退魔師が並んでいる。広場の端には聴聞師たちの姿もちらほら目に入った。死門の噂を聞きつけて、少しでも面白い情報を得ろうとやってきたのだろう。

 情報といえば聴聞師だが、彼らを頼るのは最終手段だ。酒場で聞き込みを行う分には無料だが、聴聞師に聞けば必ず金がかかる。例え大したことない情報でも言葉巧みにお金をせびるのが彼らのやり方だ。いざ質問してろくな情報を得られなかったなんてことになれば、無駄金でしかない。

 広場に面した場所に飲み屋の看板を発見し、カウルはその中に入った。

 中ではまだ昼前だというのに多くの客が集まり食事を楽しんでいる。カウルは調理場の前にあるカウンター席に座ると、適当な昼食を注文し店員の女性に話しかけた。

 死門の停滞を目撃した男の名前、居場所について、出来るだけ穏やかな表情を作って尋ねる。

 店員の女性はこの手の客人に慣れているのか、ごくあっさりとした調子で情報を教えてくれた。

 目撃者の男はトンバロという名前で、数週間前からこの街の広場で天幕暮らしをしているらしい。死門の停滞と怪しい男の姿を目撃したことで、兵士や聴聞師たちに掴まり、よくこの店に来ていたそうだ。

 カウルは昼食を終えると、店員に礼を言ってすぐに店を後にした。

 大通りに出たところで、村の入口から血まみれの兵士の集団がやってくるのを目撃した。前線で戦っていた兵士たちだろうか。一人の若い女性が運ばれている担架に駆け寄り号泣している。恐らく知人が亡くなったのだろう。遺体の上官らしき兵士が残念そうに女性に何かを語り掛けているのが見えた。

 やはり兵士にも相当の犠牲者が出ているようだ。この分では九大災禍無明のように、禁足地として東部が封鎖されるのも時間の問題のように思える。

 カウルは彼らの横を通り過ぎると、天幕が立ち並ぶ場所に足を踏み入れた。道行く人に声をかけ、トンバロの居場所を尋ねていると、大きな馬車とそれに向かって並ぶ列を発見した。列の周囲には退魔師らしき数人の人間が立っているのが見える。

「今日はまた大勢街を出ていくな」

「しかたねえよ。このルシードは人が増えすぎて食料不足になりかけてんだ。働き口もねえし、あてがあるならいつまでも帰れるかわからない家の近くで天幕暮らしをするより、そっちに行った方が賢いってもんさ」

 汚れた服を着た避難民の会話が聞こえる。どうやらあの馬車は近隣の村へ避難民を輸送するためのもののようだった。会話の内容からして、毎日何人かの避難民があれに乗って街を出ているようだ。

 もし目撃者のトンバロが既に街を出ていたら探すのは面倒だ。カウルはなるべく早く見つけられるように、聞き込みを急ぐことにした。

 しばらくして何とかトンバロの天幕を知っている人物を発見した。その人物の話によれば、トンバロは同じ漁村出身の仲間と数人で空地の東端にある天幕に住んでいるらしかった。

 カウルが天幕の中に入ると、上半身裸の二人の厳つい男がこちらを見返した。荷物の整理をしていたのか、手には服が握られている。

「何だ兄ちゃん……?」

 六十歳くらいのスキンヘッドの男が不審そうにカウルを睨みつける。カウルは片手を上げ敵意が無いことを示しながら、彼らに質問した。

「ここにトンバロって人はいますか」

「トンバロ? 何だ? 兄ちゃん聴聞師か? それとも災禍教の人間か?」

「退魔師です。トンバロさんの話に興味があって来ました」

 そういうと漁師の男はつまらなそうに頭を振った。

「……それならひと足遅かったな。トンバロは、あいつはもうここにはいねえよ。……いや、生きてねえって言うべきか」

「生きていない?」

 カウルは聞き返した。

「あいつは聴聞師やら災禍教やらの連中に問い詰められるのが嫌になってな。二日前に馬車に乗って親戚の住む村へ向かった。川漁を手伝うつもりだって言ってたんだが……つい昨日、その馬車が禍獣に襲われたって連絡が入ったんだ。

 辛うじて逃げ帰ってきた退魔師の話じゃあ、相手は見たことの無い禍獣だったらしい。馬車が倒された後、何人かは走って逃げていったそうだが、そんな距離で禍獣から逃げ切れるとは思えねえ。恐らくもう死んでいるだろうよ」

 二日前に出発し、昨日逃げ帰ってきた者がいるということは、襲撃を受けた場所はここからそれほど離れた所ではないはずだ。カウルはすかさず情報を求めた。

「それはどこで襲われたんですか」

「大峡谷って言やぁわかるか。ここから南西に進んだ場所にある、複数の峡谷が入り組んだ場所だよ。死門の影響で増えた禍獣を避けるためにその道を選んだそうだが……それが裏目に出ちまったらしい」

 スキンヘッドの男は残念そうに目を伏せた。完全に仲間の生存を諦めているようだ。

 救助は護衛とは違う。禍獣に注意しながら生存者を発見し、かつ彼らの身を守りながら帰還する。成功するには退魔師にもかなりの技術が必要となり、当然、そんな退魔師を雇うには腕に見合った大金が必要となる。住処を離れ一時的にここに避難してきた避難民たちがそれを用意するのは酷というものだ。例え何とか金を工面し都合の良い退魔師を見つけることが出来たとしても、その頃には既に手遅れになっている可能性が高い。諦めるのは当然の反応だった。

「生き延びた退魔師はまだこの街にいるんですか? 出来れば話を聞きたいのですが」

「奴なら戻ってきてからすぐに姿をくらましたよ。客を放っておいて自分だけ馬に乗って逃げ帰ったような奴だ。大方俺らの報復を恐れたんだろうさ」

 禍獣が獲物を見逃すのは、他の獲物に気を取られている時のみだ。恐らくその退魔師は馬車が襲われた瞬間、馬の機動力を生かして一目散にその場を後にしたのだろう。

 どんな禍獣に襲われたのか情報を得たかったが、今の話ではとてもまともな退魔師とは思えない。話を聞けたところで有益な情報が得られそうにはないし、誤情報を植え付けられる可能性もある。時間が無いことも考え、カウルは退魔師への聞き込みを諦めることにした。

「もういいか。俺たちも街を離れようと思っててな。準備をしてる途中なんだ。用が済んだのなら、帰ってくれ」

「最後に一つだけ。その退魔師はトンバロさんが殺されるところは見て無いんですね」

「そうだが……生きてるわけねえぞ。兄ちゃん何考えてんだ?」

 襲われたのが昨日なら、まだ助かる可能性はある。どこかに隠れることさえ出来ていれば。

 不思議そうにこちらを見つめるスキンヘッドの男。しかしカウルは問いには答えず、ただ黙ってその場を後にした。

 


 ティアゴの背に乗って灰色の森を駆けながら、カウルは空を見上げた。

 太陽の位置から判断するに、夕刻までは恐らくあと三時間ほど。夜になれば生存者を発見する難易度は飛躍的に上昇する。出来れば昼の内に何とかトンバロを発見したかった。

 いくつか丘を越え森を抜けると、目の前に大地が砕かれ分散したかのような、巨大な峡谷が現れた。複数の谷や崖が合わさって出来たその場所は、かつてあった大河によって削り出された地形らしく、幾重もの地層が縞模様を形成している。崖の下には洞窟のように開けた空間が多々あり、丘の上からでもその全容を把握しきることが出来なかった。

 考えるまでもなくわかる。ここが大峡谷と呼ばれる場所で間違いないようだ。

 カウルは適度な坂を見つけると、ティアゴに乗ったまま滑る様にそこを駆け下りた。傾斜はそれほど急では無かったが、蹄によって土煙が舞い上がる。

 少し進むと広い道へ出た。恐らくこれが街道と繋がっている正規の道のようだ。足元に馬車の車輪の跡がくっきりと残っていた。

 峡谷の中に入ってしまえば視界はかなり狭くなる。逃げ道も限られてしまうはずだ。いつ禍獣と出くわしてもいいように、カウルは常に意識を周囲に配り続けた。

「ん?」

 水気を帯びた砂利道を進んでいくと、崖の上の方で何かが動いたのが見えた。すぐにティアゴの足を止め、岩場の影に姿を隠す。

 空に見たことの無い禍獣が飛んでいた。

 蝙蝠のような大きな翼。そして円形に並んだ牙のような突起とその中心に生えた真っ白な頭部。人のように見えなくもないが、本来あるはずの目や鼻は見当たらず大きく裂けたむき出しの歯だけが覗いている。胴体から伸びた足は人の腕に似た形を形成しており、鋭利な爪がそこから伸びていた。

 ――何だあいつは? 不気味な形だな……。

 王都グレイラグーンのある中央部では目にすることの無かった禍獣だ。新種、それとも東部独自の大量発生型だろうか。

 禍獣は何かを探すように旋回し、崖の上を飛び回っている。こちらにはまだ気が付いていないようだ。

 腰に差した剣の柄を確認し、カウルは慎重にその禍獣を見つめた。

 これまでカウルが赤剥や蛇鎌に勝ててきたのは、彼らの動きや弱点をよく理解していたからだった。こちらがどう動けばどう反応するか、それを想定し先に動くからこそ、身体能力ではるかに優る禍獣を屠(ほふ)ることが出来ていたのだ。

 しかし今回のように初見の禍獣が相手となる場合は、それが叶わない。こういった場合は極力戦闘は避け、まずは相手の隙や弱点を探すのが、退魔師としての定石だった。

 人と大差の無い大きさにも関わらず、自由自在に空中を飛び回る禍獣。あの手のような足を利用して相手を捕縛し、相手に噛みつくのが主な戦闘手段だろうか。目が無いことを考えるに獲物の動きは音で察知しているのかもしれない。

 観察を続けていると禍獣が大きく動いた。急速に降下し視界から消える。

 ――獲物を見つけたのか?

 もし生存者であれば助けなければならない。あの未知の禍獣と相対するのは出来ればまだ避けたかったが、もしトンバロが襲われているのであれば四の五言っている場合ではない。カウルは禍獣の向かった先に走り出そうとして――そこで突然、何かが崖の上から落下するのを目撃した。それは回転しながら空中で二つに分かれ一方は激しく地面の上に叩きつけられた。鈍い音が響き土煙が上がる。あの輪郭、落ちた一方は先ほどの禍獣のようだ。

 動き出す様子は見えない。どうするか迷ったが、岩壁から突き出た木に引っかかったもう一方の影が人のようであったため、確認のために向かうことにした。

 左手で手綱を握りしめたまま右手で剣を抜く。何が起きても対応できるように注意しながら進んでいくと、地面の上に伏して動かない禍獣と、岩壁の木から頭を下にしてぶら下がった男の姿が目に入った。

 最初カウルは男が死んでいるのかもと思ったのだが、その男はティアゴの蹄の音を耳にし、顔を上げた。

 カウルの姿を見て何故か余裕に満ちた表情で声を発する。

「済まないが手を貸してくれないか。つるが絡まって上手く動けないんだ」

 無精ひげを生やしまくった不摂生な顔。

 何故か半裸の格好。

 それは、見るからに怪しげな金髪の男だった。




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