欲深い男

その男は欲望にまみれていた。

お金をどれだけ手に入れてもさらにそれ以上の富を手に入れたがる。その為には手段を厭わない。

何十人の美女を侍らせようともさらに美女を求める。

どれだけ社会的な地位を得てもさらにそれ以上のものを望む。


一般的な感性ならばすでに満たされるべきであるが、この男の場合はこれでも飽き足らない。欲していたものを手に入れれば、さらにその上のランクを欲しがる癖があった。そこに際限はない。


ある日のこと、男は有力者たちの集まる会合に出席していた。会合終わりの立食パーティーで一通りの知り合いに挨拶を済ませたところである。


「すいません…」

突然見知らぬ人物に声を掛けられる。身なりは悪くないが、なんとなく着ている服と容貌が合わないような、直感的にだが急遽この会合に出る為に買った高い服を着ているかのような印象を受けた。


「なんでしょうか?」

訝しがりながらも礼儀正しく返答する。どこにどのような有力者が潜んでいるかわからない以上全ての人に礼を尽くさなければならない。


「ここだけの話なんですけどね、どんな物でも手に入れられる秘術の体得方法について記載された書物がこの世に存在することを知っていますか?」

「いや、今初めて聞きました。」

唐突な怪しい情報に注意を高める。こういう奴はどういうことを企んでいるのかわからない。

「そうでしょう。いやね、ぜひあなたの耳に挟んでおいて欲しくてね。」

「どうして僕に?」

「あなたは常になにかを欲していますからね。きっと欲しいものを手に入れてもさらに次の欲望が泉のように湧き出てくる。そうでしょう?」


男は自分の性格をズバリ当てられて誰にも気づかれないようなほんの一瞬だけ、顔を歪めまた元の表情に戻す。

「まさか、欲しいものは一通り持っているから大丈夫です。」

「隠さなくてもいいのですよ。欲を出すことは悪いことではない。それに際限のない欲望を満たせないのは辛いことですよ。」

男は考える。たしかにそんな魔法みたいな術がこの世にあるのなら素晴らしいことだ。上昇志向は素晴らしいことだが、一通り手に入れ一定のところまで来ると湧き出てくる欲望は苦しいだけであった。


「その情報は本当なんですか?」

「ええ、本当ですよ。」

「その書物はどこに?…」

「残念ながらどこにあるのかはわかりませんがあなたの富や人脈を使えば入手できると思いますよ。」


どんな物でも手に入れられる秘術の記載された書物、正直そんなものが存在するのか半信半疑ではあるが仕事の傍ら調査を進めていくことにした。あの情報を提供した怪しい人物の言う通りその書物を探すだけの富と人脈は十分にある。そしてそれだけのものを持っていてもまだ満たされない欲に苦しんでいるのも事実であった。


そうして男の持っている金やコネを使い、なんと本当にその書物は見つかったという。さらに、探している間にその書物に書かれていることを実行すれば本当に何でも欲しいものが手に入るということもわかった。いくつもの信頼できる情報筋から事実であるという連絡を受けたのだから信憑性も高いだろう。


本当に欲望を満たすことができるのならば並大抵の苦労は厭わない。これまでもそうやって自分の願望を満たしながら生きてきたのである。


そう思い書物に記載されていることを実行に移す。まず山に入る。その際通信手段になるものは持って行ってはいけないと記載されているのでスマホは置いていった。荷物も最低限にまとめて山に入るようにと記載されているのでかなり身軽な状態で山に入った。それこそ持ち物はその書物と電車賃くらいである。


男は生まれた時から都会で育ち山の過酷さをほとんど知らなかった。しっかり準備した上で山に籠るのも難易度が高いのに、何も持たずに山に入ったのだから苦しくないわけがない。それでも秘術を身につける為である。我慢して山に籠る。


衣食住にも苦労する。何日も洗濯しないと服はどんどん汚れていく。川で洗濯をして同じ服を着続ける。食事も普通には有り付けない。基本的に少量の木の実を食べる日が続き、たまに川魚でも得られた日はそれを有り難く頂く。たまに変なものを食べて体がおかしくなるときもあり、その時には必死に耐える。住む場所も何もない洞穴を一から改良して雨風を凌ぐ場所にしていく。


また、生活を維持するための行為をする時以外には石の上で坐禅を組み瞑想するように書物には書かれていた、それを5年ほど繰り返す。その他にも細かい事がいくつか書かれており、それらを実行すると何でも手に入れることのできる秘術を身につける事ができると言う。これらを実行し続けるのは相当苦しいことではあるが素晴らしい秘術を身につけられるのである、そのくらいの苦労は厭わない。元々上昇志向の強く次から次へと欲しいものを手に入れてきた男である、それくらいの根性は身につけている。かくして男はこの厳しい生活に5年間耐え、秘術を身につける事ができたのである。


登った時は相当な労力を使った獣道も降りる時は何の苦労もなく降りる事ができる。もはや厳しい修行を経た男にとってこんなものは舗装されている道となんら変わらない。


帰りの電車に乗る時に、お金を1円も持ち合わせていないことに気づいた。さっそく体得した秘術の出番である。帰りの電車賃500円が出てくるよう念じると本当に手のひらに500円硬貨が出てくる。男は「ありがとうございます。」と500円玉を何らかの力により授けられたことへの感謝の気持ちを示した。


術を体得し、元の生活に戻った男はこの術で好き放題やったのかというとそうではない。5年間の厳しく不自由な生活を経たことにより欲はすっかりなくなり、普通の生活で十分すぎるほど満足するようになり、結局秘術を使うことはなかったのである。

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