第4話 潘紅玉

「討伐!」


 それは力強くも綺麗な女の声。

 バサッと目の前で靡いているのは真っ赤なマント。そして、ふわりと揺れるオレンジ色の肩ほどの髪。

 それを認識した時には水晶を掴んでいた顎髭の男は赤いマントの女に軽々と殴り飛ばされて地面を転がっていた。


「な、何だお前!? ふざけた格好しやがって」


「お嬢さん。お逃げなさい」


 賊の言葉を無視して水晶に話し掛けた赤いマントの女は、手脚と肩にだけ頑丈そうな装甲を纏っているが、その身体を覆うのはビキニの水着のように幅の狭い鎧。文字通り、胸と股しか隠れておらずほとんど肌が露出している。隠れている胸や股でさえギリギリまで露出させている。海や川ならまだしも、村のど真ん中でその姿というのははたから見たら確かにふざけた格好だ。

 だが、水晶はその格好がふざけた格好ではない事がすぐに理解出来た。


「この女、街中まちなかで堂々と肌を晒すとは世間知らずの馬鹿か、ド変態の露出狂だな」


 賊の男はニヤニヤしながら腰の刀を抜く。


「私は世間知らずの馬鹿でも、ド変態の露出狂でもありません。私の名は潘紅玉はんこうぎょく。そして、これは格式高い制服です」


 潘紅玉と名乗った赤いマントの女は堂々とした態度で刀を持った賊を前に話している。潘紅玉は左の腰にしっかりと剣を佩いているが抜く気配はない。

 風が吹く度に潘紅玉の赤いマントが揺れ、綺麗な尻が水晶の水色の瞳に映る。


「制服……? なるほど、頭がおかしいんだな。わざわざ嫌われ者・・・・の格好をするとはな。まあいい、後ろのガキと一緒にお前も可愛がってやるよ、潘紅玉ちゃんよぉ! 俺達峨山賊の前でそんな格好してタダで済むと思うなぁ!?」


 口髭の賊は威勢よく刀を振り上げ潘紅玉に突っ込んだ。

 しかし、潘紅玉はヒラリと賊の刀を躱すと、刀を持つ手を押え、賊の腹へと鋭い膝蹴りを食らわす。前に崩れそうになった賊の後頭部に手を当て、そのまま何の躊躇いもなく顔面を地面へと打ち付けた。


 それはほんの数十秒の出来事だった。


 水晶はただ座って2人の賊が沈黙するのを見ていただけである。


「……ろう……げつ


 水晶が呟くと潘紅玉は振り返り水晶のもとへ近付いて来て手を差し出した。


「お嬢さん、怪我は?」


 水晶は潘紅玉の差し出した手を覆う鉄製の篭手こてを取り立ち上がった。よく見ると、その指部分には通気孔のような小さな穴が無数に空いている。


「大丈夫です……」


「なら良かった。逃げられるなら早く逃げた方がいいよ。隣の村にもその隣の村にも峨山賊はたくさん来てたから。逃げるなら臨州りんしゅう黒双山こくそうざんまで行った方がいいかも。あそこは安全だって聞いた。じゃあね」


 潘紅玉は水晶に背を向けると、道の端に大人しく待っていた鹿毛かげの馬の方へと歩きだした。


「あ、あの、危ない所を助けて頂いてありがとうございます。まだ、村に賊がいるんです。退治してくれませんか?」


 水晶の懇願を女は首を横に振って明確に拒否の意志を示す。


「もうここは手遅れ。言ったでしょ? 近くの村にも賊がいるって。ここで賊を倒したところで、私がここを去った時にはまた別の賊が沸いてくる。それに、私1人では無数に沸いてくる賊を殲滅する事は出来ないよ」


「潘さんは撈月なんですよね!? 撈月は正義の味方だって……私知ってますよ!?」


「……正義の……味方? へぇ、まだそんな風に思ってくれてる人がいたんだ」


 潘紅玉は何故かぎこちない笑みを浮かべ、馬の首を撫でる。


「おいおい、向こうにすげー格好した女がいるぞ! もうの小親分への手土産になるぜ!」


 突如、通りの角から現れたのは20騎以上はいるだろうという賊の群れ。

 潘紅玉の艶かしい大胆な姿を遠目から一目見ただけで嬉しそうに大声で叫んでいる。賊がそこまで来ているという事は、もう村の入口辺りはやられてしまったのだろう。


「あーあ。あんなにいるよ。逃げよう。乗って」


 迷いのない退却の意思表示に水晶は顔に驚きの色を浮かべるが、潘紅玉は無理矢理水晶のか細い腕を掴み引っ張った。


「ちょ、ちょっと待ってください! 皆を、村の人達を助けてください! 正義の味方じゃないんですか!?」


 迫り来る賊共を見てもそこから動こうとしない水晶に苛立ったのか、潘紅玉は先に馬に飛び乗ってしまった。

 見捨てるのか。自分を助けてくれたのはたまたまか──そう潘紅玉への失望が脳裏を過った時、馬上の女は再び水晶に手を差し出した。


「私は、救える命を全力で救うだけ」


 水晶は心が揺れるのを感じた。

 今までの自分の考えが甘かったのではないかと痛感させられる重みのある一言に、水晶は騎馬で迫り来る大勢の賊と潘紅玉の顔を交互に見た。

 そして僅かの逡巡で水晶は潘紅玉の手を取り馬に飛び乗ると赤いマントが覆う背中にしがみつく。それは、自分より少しだけ大きいが女の背中。


「しっかり掴まって」


 そう言うと潘紅玉は掛け声を上げすぐに馬を出した。


 ♢


 馬には初めて乗った。

 こんなに速いものなのかと、驚きと僅かばかりの恐怖に水晶は潘紅玉の腹に手を回し汗ばむ手で必死にしがみつく。

 その身体は、女のものでありながら、しっかりとした筋肉が付き、柔らかさの中に屈強な力強さを感じた。


 20騎程の賊はまだ追い掛けて来る。ただ、それはかなり後方。潘紅玉の馬の馬力と賊共の馬の馬力にはかなりの差があるようだ。


「賊風情の馬が、私の烈火れっかに追い付けるはずがない。どうせ適当に盗んだ馬だろうからね」


 潘紅玉は後ろをチラリと見ると鼻で笑って言った。


「あ、あの、これからどこへ行かれるんですか?」


 水晶はまた前を向いて黙ってしまった潘紅玉に尋ねる。


「とりあえず、賊を撒きたいね。近くに身を隠せる場所はある?」


「あ、それなら、村の南東に森があります。あそこなら身を隠すには打って付けです」


「南東……って、どっち?」


 潘紅玉は真っ直ぐ前を向いたまま速度を緩める事なく村を直進して行く。


「今向かってるのが南なので……」


「うん、で?」


 太陽はまだ出ている。西に傾いているので何となく方向は分かりそうなものだが、潘紅玉は南へ直進を続ける。


「えっと……次の建物の角を左に曲がってください。案内します」


「助かる」


 水晶の指示で潘紅玉は馬を巧みに操り建物と建物の間の細い路地に飛び込み、賊共の追跡を振り切ると、そのまま村の南東の森へと逃げ切った。

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