第2話 崔霞村の老夫婦

 森から崔霞村さいかそんまではそう遠くない。人の足で走ってせいぜい20分といったところだ。

 先程魚を売りに行ったのが昼頃だったのでまだ日は高い。


 村に入ると水晶はフードを被り顔を隠し辺りの様子を窺う。先程来た時より外を歩く村人が少ないくらいで特に変わった様子はない。まだ峨山賊は来ていないようだ。

 村を行き交う人々は皆水晶と同じようにローブを纏っている。やはり男しか見当たらない。

 この国では女は撈月ろうげつの伝説のせいですっかり悪者にされて肩身が狭い。何をするにも男が優先され、仕事もなければ衣食住も男より苦労する。肌を晒して外を歩こうものなら撈月の信者だと思われ酷い仕打ちを受けると聞く。

 故に女は社会にはあまり関与せず、家の中でひっそりと家事をこなして生活するのだ。


 水晶はローブ姿の村の男達に紛れて村の中心地へとやって来た。

 そして、1軒の民家の窓を叩く。


「おじいさん、おばあさん」


 するとすぐに窓が開けられた。


「水晶ちゃん?」


 窓を開けたのは優しそうな顔をした老婆。だが、その優しい老婆の顔には困惑の色が浮かび上がった。


「おばあさん、知ってますか? 村に峨山賊が来るって」


「村の連中から聞いたよ。だから水晶ちゃんは早く村から離れな。もう私達に構わなくていいよ」


「そういうわけにはいきません。私、お2人にはお世話になりましたから……いつも魚買ってくれて、ご飯もご馳走になりました。……だから、一緒に逃げましょう。おじいさんは?」


 水晶が窓から家の中を覗くと刀を持った老爺ろうやが寝巻き姿のまま老婆の隣に歩いて来た。


「水晶……儂らに構うな。助かる命も助からんぞ。お前はまだ若いんだ」


 顔色の悪い痩せこけた老爺は眉を吊り上げて言った。


「逃げないんですか? その刀……おじいさん、もしかして戦うつもり?」


「こんな身体で逃げられるもんか。安心しろ、儂は元嶺月の軍人じゃ。今まで何人の山賊を討伐して来たと思っておる」


 言いながら老爺は咳き込む。どこからどう見ても病人だ。手に持つ刀があまりにも似合わない。


「お、おじいさん、ちょっと待ってください。戦う力があるなら逃げましょう。今ならまだ間に合います」


 今まで寝たきりだった老爺が山賊と戦えるはずがない。今にも倒れそうな程に弱っている。ただ、隣にいる老婆は老爺を止めることはない。


「村の人達も戦うって言ってるんだよ。だからうちの人も戦うんだって聞かないんだ」


 老婆は諦めたように悲しそうに言う。


「どの道、儂は長くない。死ぬならこの村で死ぬ。婆さんも儂が逃げぬなら一緒に死ぬと言うておる。聞き分けがないのはお互い様だ。いいか水晶、さっさと逃げるんだ。今まで世話になったな。達者でな」


 老爺は窓を閉めようとしたが、水晶は手を伸ばしてそれを遮る。


「待って! おじいさん、身体は良くなってるんですよね? 私の薬草、よく効くって……ほら、また持ってきました! 全部差し上げます。だから生きましょう! 逃げましょう!」


 水晶は懐から取り出した乾燥させた数本の薬草を老爺の手元に差し出した。

 だが、老爺は鼻から息を吐くと水晶から顔を逸らす。老婆も寂しそうな顔をしている。


「……もう、いらぬ」


 冷たい声色でそう告げると、老爺は窓を閉めカーテンを閉めた。


「待って!? おじいさん! おばあさん! 開けてください!」


 水晶は窓をガンガンと叩く。しかし、2人が出てくる事は二度となかった。


「何で……どうしてよ……」


 水晶はどうしたらいいか分からなくなり、その場に崩れるように座り込む。

 唇を噛み締め、零れる涙を拭う。


 その時、目の前の道をすきくわを持った村人達が何人か駆けて行った。


「峨山賊が来たぞー!」


 賊の襲来を報せるその声は、村の方々から聞こえてきた。

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