第46話


 クリスはロザリーの言葉にたじろぎながら、一歩後ずさりをした。だけど、ロザリーが部屋から逃げることは許さないとばかりに、クリスににっこりと微笑む。


「クリス様、アンジェリカお嬢様のことを想ってらっしゃるのでしたら本日はアンジェリカお嬢様のおそばにいてくださいませんか?」


 ロザリーはにっこり笑みを浮かべてクリスに問いかけるが、その目は全くと言って良いほど笑っていなかった。

 それにしても、ロザリーはどういった心境の変化があったのだろうか。私が寝込む前までは、クリスが私の側にいることを……私がクリスの側にいることを嫌がっていたように想っていたのだけれども。


「あ、あの……。ロザリー。クリスが嫌がっているように見えるわ。だから、良いのよ。私はクリスに会えただけでいいの。これ以上クリスの負担になりたくないし。」


 私がクリスに会えないことで塞ぎ込んでしまっていたことが原因なのだろうか。だけれども、私のわがままでクリスの自由を奪うことはできない。

 だって、クリスは猫なのだ。

 猫は自由を愛する生き物。束縛を嫌う生き物なのだ。


「にゃ!にゃう!!にゃう!!」


 私がクリスの負担になりたくないと言うと、クリスは負担ではないというように首を激しく横に振った。


「では、どうかクリス様。アンジェリカお嬢様のおそばに居てくださいませ。そして、クリス様の秘密をアンジェリカお嬢様にお伝えください。私はおそばに控えております。用があったらお呼びください。」


「えっ!?ロザリー?どういうことなの!クリスの秘密ってなに?」


 ロザリーは意味深な言葉を残して私から距離を取った。必然的に私とクリスは視線を合わせる。クリスはふぃと私から視線を反らせた。


「……クリスの秘密ったって、クリスはしゃべれないし。どういうことなのかしら。」


 クリスの秘密。それが何なのかとても気になる。でも、クリスから伝えろと言ってもクリスは人の言葉をしゃべることができない。それに私も、猫の言葉をしゃべることができない。

 つまり意思疎通ができないのだ。

 それこそ、クリスと意思疎通ができる侯爵様の力を借りる必要がある。

 でも、もし侯爵様のお力を借りるのであれば、きっと気が利くロザリーが侯爵様を既にこの屋敷に呼んでいることだろう。でも、その気配はない。

 まさか……っ!!


「クリスは人の言葉をしゃべることができるの!?」


 思い当たることはただ一つ。実は、侯爵様がクリスと意思疎通できるのは、クリスが人の言葉をしゃべれるからではないだろうか。それならば、ロザリーがクリスに秘密を伝えるようにと告げた言葉が理解できるような気がする。

 クリスはずっと人の言葉をしゃべることを私に隠していたのだろうか。

 私と、意思疎通を取りたくないから?


「にゃ、にゃにゃうぅ。」


 クリスは人の言葉をしゃべらない。

 だって、猫だから。クリスは猫だから。

 いくら賢い猫だって、人の言葉を理解しても人の言葉をしゃべることができるはずがない。それこそ魔法を欠けない限りは。でも、私にはそんな魔法をかけることはできない。


「クリス……秘密ってなに?とても大切なことなの?クリスがしゃべれるってこと、私には知られたくないことなのかしら?……とても気になるけど、クリスが私に秘密にしておきたいと言うのならば、私はクリスの意思を尊重するわ。だって、私も誰にも言えない秘密があるもの。ロザリーにも言えない秘密が。」


 クリスの秘密は知りたい。でも、嫌がるクリスから無理矢理聞き出すようなことではない。それに無理矢理聞き出してクリスにこれ以上嫌われたくないし、負担をかけたくはない。

 猫にとってストレスは大敵なのだから。


「にゃう……。にゃ……にゃう。」


 クリスは考えるように俯いて、視線を私に映す。それを何度か繰り返す。


「いいのよ。クリス。無理をしなくていいの。この部屋からでて侯爵様の元に戻りたいのなら、私からロザリーにお願いするわ。」


 落ち着かないクリスをなだめるように優しくクリスの頭を撫でながら言うと、クリスがもっと頭を撫でてというように私の手のひらに頭を擦り付けてきた。


「可愛いわね。クリスは。ねえ、クリス。私はもう大丈夫よ。あなたの秘密だって無理に聞き出したりはしないわ。それに、ほら。もうすぐ日が落ちてしまうわ。侯爵様のお屋敷に戻らないと侯爵様が心配するわ。」


 クリスと一緒にいる時間はとてもゆったりとしたもののはずなのに、気がつけばいつの間にか日が落ちようとしている。

 クリスは私の言葉に顔を上げると、窓から外をジッと見つめる。日没前の赤く染まる空を見ながらクリスは「はぁ……。」と深いため息をついた。

 それから、意を決したように私を見つめる。


「……クリス?」


 急に態度の変わったクリスに私はドキッとする。

 もしかして、クリスは私に秘密を教えてくれる気になったのかしら。侯爵様の屋敷に戻る前に決意を固めてくれたのかしら。

 でも、もしそうだとしたらクリスにだけ秘密を教えてもらうのはちょっと不公平よね。

 なら私の秘密をクリスに話してしまいましょう。その方がクリスも少しは身構えなくてすむと思うし。


「あのね、クリス。私ね……。ずっとずっとクリスと結婚したかったの。それくらいクリスのことが好きなのよ。」


 クリスのことが好き。今も変わらないくらいクリスのことが好き。

 でも、気がついたら。

 クリスと同じくらい好きな人ができていたみたい。


「……にゃあ。」


 クリスは何を思っているのか。猫の表情の違いがわからない私にはわからない。


「でもね……。でも……私、クリスと同じくらい、侯爵様のことが……。」


 ギュッと目を瞑って私の秘密をクリスに告げる。

 私は自分でも気がつかないくらい自然に、いつの間にかクリスと同じくらい侯爵様のことが好きになってしまっていた。

 さっき、ロザリーに侯爵様とキスをしたと言われて気がついた。

 嫌じゃなかったのだ。恥ずかしいとは思ったけれど、侯爵様とキスをしてしまったことは全く嫌じゃなかったのだ。

 

 クリスはまん丸な瞳を更に大きく見開いて私を見つめる。

 クリスの耳と尻尾がピンッと天に向かって伸ばされる。

 それから、徐々にクリスの身体がブレ始める。


 ……あれ?

 クリスの身体がブレ始めた?え?なんで?なんでブレ始めるの?

 え?クリス?


 私の言葉がクリスに衝撃を与えたのだろうか。

 それとも私の目がどうにかしてしまったのだろうか。

 クリスの身体がブレ始めて、だんだんと大きくなっていっているような気がする。

 そう、成人男性くらいの大きさに……。


「あっ……。クリス……?」


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