呪われた侯爵は猫好き伯爵令嬢を溺愛する?

葉柚

第1話


「アンジェリカ。喜びなさい。君の婚約者が決まったんだよ。」


「え?」


 お父様にそう切り出されたのは、黒猫を膝にのせて庭の東屋でくつろいでいた時だった。

 暖かい日差しの中で、黒猫の頭を撫でていた手がピタッと止まる。


「・・・・・・婚約者、ですか?」


「そうだよ。アンジェリカ。君の婚約者だ。それも爵位は侯爵だ。とってもいい縁談だと思わないかい?」


 お父様は嬉しそうに声を弾ませて私に告げる。

 対する私は驚きと戸惑いが喜びよりも先に来て、思わず何も言えずに固まってしまう。

 

 まさか、婚約者とか。しかも、侯爵様が婚約者?


 にわかには信じ難い。だって、私は貧乏伯爵家の令嬢なのだ。しかも、婚約破棄を何度もされているような曰く付きの。そんな私に、侯爵という高い地位を持つ人が婚約者になることなど、絶対にあり得ない。というか、裏があるに違いない。


「・・・・・・また誰かに騙されたのですか?」


 お父様は人を疑うということを知らない。そのために、騙されたことも何度もある。その度に家の資産がなくなっていき、今では古参の使用人が数人しかいないような現状だ。しかも、その使用人も伯爵家にお金がないことを知って、お給金はいりませんと言ってしまうようなお人好しばかりなのだ。

 お給金代わりに住まいと三食は用意しているけれども。住まいと言ってもお屋敷に住み込みで働いてもらっているだけだし、三食と言っても賄いのことだ。伯爵家で働く者としては扱いがひどいと言われても仕方の無いものだ。しかし、使用人たちはそれで良いと言って伯爵家に残ってくれている。


「騙されたなんてとんでもないっ!国王陛下からのお達しだ。まさか、国王陛下が人を騙すような人であるものか。」


「・・・・・・誰かが文書をねつ造したのでは?」


「そんなことがあるはずがない。私は国王陛下直々に書状を貰ったんだよ。」


「・・・・・・国王陛下のそっくりさんだったのでは?」


「国王陛下の応接間に呼ばれたんだ。そこで渡されたのに、国王陛下のそっくりさんなわけはないと思うが?」


私の問いかけにお父様は正論を返してくる。まさか、国王陛下の応接間で直接書状を貰っただなんて。そこまでしてお父様を騙すような人がいるだろうか。


「・・・・・・わかりました。お父様を信じます。あの・・・・・・侯爵閣下のお名前を教えていただいてもよろしいでしょうか。」


お父様は騙されてはいないようだ。だが、私なんかに侯爵の地位にいる方が婚約者として名があがることがないことは重々承知している。これは、侯爵閣下になにか訳があるのかもしれない。


「ああ。ファントム・キャリエール侯爵だ。国王陛下の言うことには、優れた美貌と手腕をもつ好青年だそうだよ。」


お父様の口から出た名前に驚きを隠せずに私は固まってしまった。

だって、その名前は・・・・・・。


「呪い持ちの侯爵閣下ではありませんか・・・・・・。」


やっぱり私の元に舞い込む縁談はまともなものであるはずがなかったのだ。


「呪われているなどと言ってはいけないよ。呪いなどありはしないのだから。」


 私の言葉にお父様は困ったように微笑みながらたしなめてくる。

 確かに呪いなど噂に過ぎない。けれど、火のないところに煙が立つはずがないのだ。「呪われている」そう言われているのは確かなのだから。呪いまでとは言わなくても、侯爵自信になんらかの重大な欠陥があるはずなのだ。そうでなければ見目麗しく高い地位を持つ侯爵様が未だに婚約者が決まっていないということなどあり得ない。


「ですが、侯爵様は昼間はいっさい人前に姿を見せません。侯爵家の使用人ですら昼間は侯爵様の姿を見ないそうですよ?」


「侯爵様にも大切なお仕事があるんだよ。きっと。」


「そうとは思えません。先日の皇太子のお披露目の場にもいらっしゃらなかったと聞いております。侯爵という地位の方がそのような重要な場に現れないなど・・・・・・。」


「アンジェリカ。君の旦那様になる方だ。悪いように考えてはいけないよ。」


「しかしっ!!」


「にゃぁーー。」


 考えれば考えるほど嫌な方向に考えてしまう。不安なのだ。

 誰もが不安だろう。婚約者に言い噂がないどころか、悪い噂しかないのだから。それも「呪い」などと。

 負の思考に染まってしまいそうになったところで、膝の上で眠っていた黒猫のクリスが可愛い声で鳴いた。それはまるで、それ以上悪い方向に考えてはいけないと言っているようにも思えた。


「・・・・・・クリス。でも私は不安なのよ。」


「にゃあ。」


 クリスは大丈夫だというように、私の栗色の髪に手を伸ばすと優しく撫でるように触ってくる。ただの偶然かもしれないけれど、クリスは人の心に敏いところがあり、私が落ち込んだり苛ついていたりすると、こうやって慰めてくることが多々ある。

 ぷにっとした肉球が私の頬に当たった。


「・・・・・・私、許されることならクリスと結婚したいわ。」


 私がそう呟くと、クリスが憂いそうに目を瞬かせる。


「アンジェリカ・・・・・・。それは無理というものだよ。」


 クリスのくりくりとした丸く金色の瞳が嬉しそうに瞬いたのもつかの間、お父様の言葉にシュンとうなだれた。そうして、「にゃぁ~ん。」と鳴きながら私の胸元に顔を埋めた。

 人間の体温より少し高いクリスの体温がとても心地よい。


「じゃあ、せめてうちの子になってくれるかしら?」


「なぁ~ん・・・・・・。」


 私が問いかけるとクリスは目をそっと反らして寂しげに鳴いた。

 どうやらうちの子になる気はないらしい。こんなに懐いてくれているのに。できればずっと一緒にいたいのに。


「ははっ。クリスには帰る家があるのだろう。無理に引き留めてはいけないよ。」


 お父様はそう言ってクリスをそっと撫でようと手を伸ばした。だが、お父様の手がクリスに届く前にクリスはぴょいっと私の膝から飛び降りるとどこかに駆けていってしまった。


「ははっ。私は嫌われているのかな?」


 クリスの去って行く姿にお父様は悲しげにポツリと言葉をこぼした。

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