27.「怪」
「……くらい、やがれぇっ!」
ポーンとソレを投げる。素早い身のこなしで野良犬がソレを躱し――
ピタリ。
『ソレ』が不自然に空中で止まり、軌道を変える。
地面に向かって、直下する。
――バリンッ!
ガラスの割れるような音が聴こえて、
ツンッ――、と自然界からおよそかけ離れた匂いが鼻を刺激して……。
地面に広がったドロリと広がった液体は……、『アルコール』。
地面に転がっているのは、『アルコールランプ』の欠片。
――ワンちゃんはアルコールの匂いが苦手だって知ってました? 嗅覚が鋭いから鼻がヒン曲がっちゃうんです――
「……キャウンッ――」
殺気のかけらもない悲鳴をあげたソイツが、何かに抗うように激しく首を振っていた。平衡感覚を保ってられないのだろうか、ヨロヨロとした足取りで何度も倒れそうになる。
――とても人を襲える状態じゃないのは、一目瞭然だった。
……生まれて初めてガッコの授業が役に立ったぜ。
――安堵。
ガクリと、俺は膝から崩れ落ちる。
地面に眼を落としながら、ハァハァと荒い呼吸を繰り返す。
……野良犬をわざわざ仕掛けてきたってことは……、鬼の野郎、黒板に書かれたルールがウソで、罠だったってコトに気づいてたんだな。俺たちが張り込んでるって、先読みして――
「――へっ」
小石を蹴飛ばすように、自然と笑みがこぼれる。
……ざまぁみやがれ。返り討ちにしてやったぜ。てめぇの思い通りになんかいかせ――
……。
……いかせるかって――
「……まてよ」
思考する。想像する。自問する。
――脳みそをなるべくクリアにする。ノイズを排除して奥底の声に耳を傾ける。
……鬼の、狙いはなんだ?
……犬を仕掛けて俺たちの命を狙うコト?
……いや、違う気がする。何か、嫌な予感が――
ハッ――、となって顔を上げた俺は、さっきの野良犬に眼を向ける。彼は未だブルブルと首を振っており、あてもなく忙しなく理科室の廊下をさまよい歩いていた。
――まるで獣のように。本能に従う動物のように。
……意識が、『犬』に戻ってる……、いつから?
……ってコトは――
「やべぇ――」
声を漏らしながら、俺は同時に立ち上がっていた。
大慌てで理科室を飛び出し――、しかしどこへ向かえばいいのかがわからずその足をピタリと止める。
ぐるぐるぐるぐる、グルグルグルグル――
全神経を脳みそに集中させる。フルスロットルでろくろを回す。
……俺が襲われてから、どれくらい経った?
……五分? 十分? ……クソッ、ガラケーが壊れて時間がわからねぇな……。
……いや、考える必要なんて、ねぇか。
鬼が校舎内に侵入するには、およそ充分な時間が経過しているだろう。
「――アザミ……」
無意識の内に、その名前を読んだ。
俺の脳内、小憎たらしいツラをした彼女が、
クスッ――、と煽るように笑って。
「……クソったれッ!」
――考えるのは止めにした。身体が勝手に動いていた。
果てのない無限の直路。
再び俺は、猛ダッシュを強いられていたワケで――
※
「――アザミッ!」
バタンッ――、と仰々しい轟音が鳴り響き、俺の眼前にうすら暗い空が広がっていた。
闇夜のさ中に眼を凝らすと、がらんどうの屋上で薄ぼんやりとしたシルエットが一つ。
やたらちっこい女子高生が屋上の手すりにもたれかかり、夜空に向かって眼を向けている。
……ふぅっ――
心の中で、息を吐き出した。安堵で肩の力が抜けてしまった俺は、ヨロヨロの足取りで彼女に近づき、その肩にポンと手を置いて――
「……お前、無事だったん――」
――俺の身体が、固まる。脳が、フリーズする。
紫色のショートヘアがフワッと揺らぎ、
『彼女』がくるっとコチラを振り向いて、
怪異と、邂逅した。
「……一条さん。さっきは一体何が――、って何ですかその表情、私の顔に何かついてますか?」
怪異がカクンと、首を斜め四十五度に傾ける。
……『ついてる』だろ――
「……お前、なんで――、『狐のお面』なんかしてるの?」
怪異がポーンと、掌を拳で叩いて。
「……ああ、そういえばついてましたね。いえ、ただのゲン担ぎでして。――あ、コレ私が作ったんですよ。中々よく出来ていると思いませんか?」
むんずっ――、と怪異がお面を外して――、俺の眼前にお目見えされたのは、ちょっとだけ得意げな顔してやがる……、いつものアザミだった。
「――って自慢している暇なんてありませんね。一条さん、さっきは一体何があったんですか? 突然電話が切れてしまいましたが」
……全くだよ。
――心の中でしっかりとツッコミつつ――
「――わりぃ、アザミ……、鬼が学校の中に入ってきちまったかもしんねぇ……」
こぼすような俺の声に、アザミがフッ――、と真顔に直る。
「……どういうコトですか?」
「鬼の奴……、『野良犬』を使って俺のコトを襲ってきやがったんだ。『憑依』の異能……、どうやら人以外も操ることができるらしい。俺は教室を飛び出して、正門から眼を離しちまって」
「……人以外、ですか」
眼前のアザミが、何かを考えこむように口元に手をあてる。あさっての方向に眼をやり、思い出すような表情を浮かべて――
「……何だよ、何難しいツラしてんだよ」
「いえ、三十分くらい前でしょうか……。そこの手すりに一羽のカラスがとまっていまして。私のコトをジッ――、と見つめていたんですよね。すぐにどこかへ飛んで行ってしまったので、あまり気にしてなかったのですが――」
……野良犬、動物、カラス――
「――ソレも、鬼が?」
「可能性は――、もしそうなら、私の存在も鬼にバレてしまっていますね。……一条さんが屋上に向かうコトもお見通しかもしれません。私たちが合流することを予測して」
「――でも、鬼がノコノコ現れたとしても……、それこそ返り討ちにすりゃあいいじゃねぇか。確かに『憑依』の異能は厄介だが、『意識が乗り移る能力』なんだから、二人同時に操ることなんてできねぇだろ。……お前が囮になってる隙に、俺が後ろから『念導』で――」
「――却下で。……というか、私たちすでに詰んでいる気がします」
――はっ……?
肩眉を露骨に吊り上げて、俺はポカンと口を半開きにしていて――
「鬼の気持ちになってみましょう。『獲物』が屋上にいるコトはわかっている。……つまり、『獲物』はすぐに学校の外に出ることができない、つまり――」
深淵の夜空に顔を向けながら、チラッ――、とアザミが、目線だけをこっちに向けてきた。
「……なんだよ、何が言いてぇんだよ」
――背筋に、言い知れぬ悪寒が走った。
月影アザミが、最後の一口となったデザートを、ゆっくりと口元に運ぶ様に。
「『獲物』はすぐに逃げられない。私が鬼なら、校舎に火をつけます」
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