18久しぶりの我が家

 家の前まで送ってくれた祖父の執事は、そのまま祖父の家に戻るようだ。何かあったら連絡をして欲しいと言われ、携帯電話を渡された。ヒナタが受け取ると、満足そうに執事は祖父の家に戻っていった。


 執事や祖父には、今日は自分たちの家に泊まると双子は伝えていた。さすがに、夏休みもあと一週間を切った今、このままでいいわけがない。これからのことを母としっかり話し合う必要があると思ったからだ。


 玄関の前までたどり着いた双子は、インターホンを鳴らすのを躊躇していた。母親の態度がどのようなものになるのか、想像がつかなかったからだ。事前に母親には連絡をしていなかった。連絡をしようと考えたが、連絡したところで、母親が双子のために何か準備をしているとは思えなかった。



「すう。」


 息を吸って、気分を落ち着かせ、ヒナタが意を決して、インターホンを押した。


「ピンポーン。」


 玄関にインターホンの音が鳴り響く。静かな空間にその音はやけに大きく響いた。しばらく待っていたが、母親からの返事はない。ちらりと周りを確認したが、自転車も車も置いてあったので、どこかに行ったという可能性は低いだろう。


「居留守かな。」

「まあ、あの人ならやりそうだ。」


 自分たちの家だというのに、双子は玄関前で途方に暮れていた。やはり、事前に連絡を取って置いた方がよかったのだろうか。


「鍵を持ってこればよかったね。」

「そうは言っても、今更おそい。」


「裏口に回ってみようか。」

「いや、裏口といっても、鍵が開いているという確率は低いだろう。」




「ブー、ブー。」


 突然、ヒナタのポケットに入っていた携帯電話が振動した。誰かから着信のようだ。慌てて携帯電話の画面を確認すると、番号が非通知となっていた。この携帯電話の番号を知っているのは、渡してくれた祖父の家の人間しかいないはずだ。


「……。」


 双子は顔を見合わせた。このタイミングで電話がかかってくるのは、偶然だろうか。しかし、ここは取るべきだと判断したヒナタは、おそるおそる通話ボタンを押した。


「もしもし。」


「……。」


 相手からの反応はないが、通話が切られることはなかった。不気味に思っていたが、なぜか切ることができなかった。


 ふと、上を見上げると、カーテンが閉まった部屋を見つけた。今は、すでに昼前で日が昇り、カーテンを閉めている時間ではない。レースのカーテンではなく、厚いカーテンが閉まっていた。


「おい、あそこのカーテンの部屋って……。」


「うん。二階のあそこの部屋は僕の部屋だね。」


 カーテンが閉まっていた部屋はヒナタの部屋だった。カーテンが閉まっているだけでも不自然だったが、そのカーテンが一瞬、めくられるのを双子は見逃さなかった。


 ヒナタは、もう一度、携帯電話を見つめた。電話の主は誰かと考えたら、嫌な予感がした。


「ミツキ、この電話はもしかしたら……。」


 ヒナタがミツキに電話の相手を話そうとした瞬間、相手が唐突に話し出した。



「久しぶり。今までどこをほっつき歩いていたか知らないけど、いや、知ってはいるけれど、今更どの面下げて戻ってきたのかなあ。」


 怒りを凝縮した、低い女性の声が電話越しに聞こえた。同時に玄関のドアが開き、電話の主が現れた。


「か、母さん。久しぶり。元気そうでなによ。」


「母さんだなんて、失礼だわ。でも、仕方ないことね。だって、今のあなたはどう見ても中学生くらいにしか見えないもの。」


 母親は、双子がいなくなっても、元には戻らなかったようだ。いまだに自分の夫が亡くなったことを認めていない様子だった。現実逃避は続いているようだ。


「まあ、それには目をつぶるとして、どうして、匠さんが二人もいるのかしら。匠さんは一人しかいない。戻ってきたのはうれしいけど、本物だけでよかったのに。」


 母親の視線はヒナタ一人に集中していた。隣にいるミツキには目をくれず、ヒナタこそが、本物の自分の夫だというように。


「そんなに私をだましたいのなら、こっちにも手がある。」




 一人で話し続ける母親に、双子は言葉を失った。双子がいない間に、少しは冷静に物事を考えるようになったかと期待していたが、期待外れだった。ますます、現実逃避を進め、すでに後戻りできない状態にまでなっていた。


「母さん、疲れているだろう。僕たちも疲れているんだ。一度、家に入れてくれないか。それから、話をしよう。外は暑いし、このままだとゆっくり話していられないだろう。」


 ミツキが母親の説得を図りだす。このまま玄関前で話を続けていてもらちが明かない。


「そうねえ。私はこのまま話していてもいいけど、確かに人の目も気になるし。」


 ふうむと考え込む母親。どうにかして、一度、自分の家に入りたかった双子は、母親が素直に二人をいれてくれるよう願った。しかし、願いが叶うことはなかった。


「じゃあ、まずは、偽物がどちらか判明しておかなくてはね。」


 母親が片手を後ろに隠していたのが気になっていたが、それが身体の前に突き出された。そこにはなんと包丁が握られていた。きらっと光る刃が玄関に反射して見えた。


 ぞわり、双子は背筋がぞくっとし、全身に鳥肌が立った。わざわざ玄関に包丁を持ち出した理由を、双子は嫌でも理解せざるを得なかった。先ほどの会話を思い出せば、誰でも容易に答えは想像できる。



「まさか、俺たちのどちらかをその包丁で刺すとか言わないよな。」


「いや、それをやったらさすがにまずい。下手したら、殺人事件で、警察のお世話になる。」


 ゆらゆらと母親が近づいてくる。双子は一歩一歩玄関から離れていく。これは、絶対絶命の危機である。このまま、走り去ろうか。そして、迷惑をかけたくないが、一度、祖父に連絡を入れて、祖父の家に戻って、改めて出直した方がいいだろうか。


 双子は、アイコンタクトを交わし、道路に出た瞬間、走り出した。全速力で祖父の家に続く道を走り続けた。今までにないほどの速度で、母親が追い付くことができないほどのスピードで道路を走り抜ける。8月も終わりとは言え、残暑はまだまだ厳しく、立ち止まるころには、双子はともに、頭からシャワーを被ったようにびしょ濡れになっていた。


 家から結構な距離にある商店街まで走った双子は、そこでようやく後ろを振り返った。そこには、商店街に用事がある人々が行き交っているだけで、包丁を持った母親の姿はなかった。ここまで走れば、もうひと安心だと思い、双子はやっと一息ついた。




「おい、そんなにびしょ濡れで、何かあったのか。」


 双子に声をかけた人物がいた。母親のことで神経が過敏になっていた双子は、その声にびくっと身体が反応してしまった。声のした方に身体を向けると、そこにいたのは、結城彰人だった。こんな時間に何をしているのだろうか。そもそも、このタイミングで会うのは偶然だろうか。双子は人を信じられなくなっていた。もしかしたら、結城彰人も母や祖父のように狂気を隠し持っている人間かもしれない。


 結城から距離を取り、再び逃げ出す準備を始める双子。ただし、今度は、逃げ切れるかわからない。先ほどの逃走で、だいぶ体力を消耗している。おまけに今日は快晴で、とても気温が高い。双子は軽く熱中症になりかけていた。


「やば、めまいがしてきた。」


 ミツキがふらりとヒナタの方に倒れかける。それをヒナタは支えるが、めまいがするのは、ヒナタも同じ。二人は夏だというのに、青白い顔をして、気分が悪そうだった。


「はあ。」


 彰人はため息をつく。そのため息は、あきれを含んでいた。彰人は、ずんずんと双子に近づくと、両手を使い、右手をヒナタ、左手をミツキの手を握り、歩き出す。


「ちょ、どこ連れていくつもりだよ。離せ。」


「俺たちのことは無視してくれていい。」


 双子は必死に彰人の手を振りほどこうとするが、彰人の手はがっちりと握られていて、体調の悪い双子が振りほどくことはできなかった。



「まったく、手間かけさせやがって。」


 彰人が向かっているのがどこかわからないが、双子の家から離れていくことは確かだった。母親から離れることにほっとしている双子だったが、では一体、彰人はどこに向かっているのだろうか。


 商店街を抜けて、そのまま歩いていくと、閑静な住宅街に出た。そこをそのまままっすぐ進んでいき、住宅街の端にある、アパートの前で立ち止まった。アパートは築30年くらいの古いアパートで二階建てであった。そこで、双子はここがどこか見当がついた。


「もしかして、このアパートの一室って……。」

「でも、僕たちがお邪魔したら、迷惑じゃあ。」


「うるさいなあ。このまま放っておいて、その辺に倒れている方が迷惑だ。とっととついてこい。」


 言葉遣いは悪いが、彰人の言葉の中には優しさが含まれていた。確かにこのままでは、彰人の言う通り、倒れて他人に迷惑をかけてしまうだろう。それは、それで面倒なので、双子は素直に彰人についていくことにした。

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