9母親の狂気②

 次の日は、土曜日で学校は休みだった。双子は一緒の部屋で夜を過ごしたが、先に目を覚ましたのはヒナタだった。ヒナタはあたりを見渡し、自分が今置かれている状況を寝起きの頭で考えた。


「ここはどこだったっけ。そうか、僕たちは昨日、母さんと喧嘩して……。それでおじいさんの家に来たんだった。」


 状況把握のために発した小さなつぶやきによって、ミツキも目を覚ます。同じようにあたりを見渡したが、ミツキは現在の状況を理解するのに時間がかかっている。


「おはよう、ヒナタ。ここ、どこだっけ。自分の家じゃないことはわかるけど……。」


「おはよう、ミツキ。もう忘れたの。母さんと進路のことで喧嘩して、おじいさんの家に泊まらせてもらったこと。」


 ヒナタが説明すると、ようやく思い出したのか、ああと納得したような顔をする。


「そうか。ここは、じいさんの家か。」


 徐々に昨日のことを思い出したのか、ミツキの顔はみるみる赤くなっていく。


「あのくそばばあ。」


「まあまあ、落ち着いて。昨日のことを思い出したみたいだけど、おじいさんの申し出をどう思う?今まで、僕たちの父さんと母さんのことを見捨てていた人だ。この話を信じていいのかどうか。」


「そうは言っても、俺はもう、今までの生活には戻りたくはないけどな。父さんはすでにいないし、母さんも以前の母さんではなくなった。ただのくそばばあだ。もう、頼れるのは、じいさんだけだぞ。」



「トントン。」


 扉をノックする音が聞こえた。びくっと警戒する双子。自分たちの母親の奇行が心に残っているため、つい警戒してしまう。返事がないので、再度扉がノックされる。


「どなたですか。」


「私だよ。下屋敷幸之助。君たちのおじいさんだよ。」


 名前を聞き、ほっとしたような表情になる双子。ヒナタが扉を開けて、祖父を中に入れる。祖父の後ろにはお手伝いさんが控えていた。


「おはよう。二人ともお腹が減っているだろう。朝ご飯を用意したから、一緒に食べよう。」



「ぐうう。」


 祖父に言われ、自分たちが空腹であることに気がついた。昨日、夜食を準備してもらったにもかかわらず、すでに空腹状態であった。お腹の音に双子は顔を赤くする。


「お腹が減るということは、健康な証だ。おいで。」


 祖父は、笑うことなく、双子を手招きして、食堂に案内された。



 

 朝食を食べ終わり、一息ついていると、祖父が話し始めた。


「昨日はよく眠れたかな。」


「はい。おかげさまで。」

「まあ、ぼちぼち。」


「それは良かった。それで、これからどうするつもりだい。」


 双子は悩んでいた。月曜日からまた、学校が始まるので、一度家に帰らなくてはならない。このまま、祖父の家に居候することになるか、ならないかは別として、あの正気ではなくなった母親の家に戻る必要がある。



「一度、家に戻ることにします。ここに住まわせてもらうにしても、ここには制服も勉強用具も生活用具も何もないので。」


「俺たちはまだ、じいさんのところに住むと決めたわけじゃあないからな。でも、このままあのくそばばあのところに居続けるのも考え物だから……。」




「ふむ。」


 祖父は、何か考えこんでいた。双子の母親がおかしいのはすでに知っていた。その彼女のもとに双子を返して良いものだろうかと悩んでいた。


「私も一緒に家に行った方がいいかな。」


「大丈夫です。おじいさんが行くと、母がさらにおかしくなりそうなので。」


 双子は祖父の申し出を断った。以前に祖父と母親が口論していたところを目撃し、母親が怒る様子が想像できたので、遠慮することにした。



「まあ、あずささんには嫌われているからねえ。じゃあ、何かあった時のために、これを持っていきなさい。」


 祖父が双子に渡したのは、一台の携帯電話だった。スマホが普及して、今では中学生でも自分のスマホを持つ時代になっていたが、双子は持っていなかった。母親はスマホを買い与えるべきだと主張していたが、父親が早すぎるといって、買ってもらえなかったのだ。


「もし万が一、助けが必要な場合は、連絡してくれればいい。アドレス帳に私の名前が入っているから、かけるといい。」


「ありがとうございます。」

「連絡しないで済むことを願うけどな。まあ、ないよりはましだろ。」


 双子は母親がいる家に戻ることにした。さすがに帰りも徒歩でとはいかないので、祖父に家の近くまで車で送ってもらった。




 玄関前で双子は立ち止まる。深呼吸をして、ヒナタがインターホンを鳴らす。


「ピンポーン。」


 無機質な音が辺りに響き渡る。しばらくすると、母親の声がスピーカー越しに聞こえてきた。


「こんな朝早くにだれが……。あら。」


 眠そうな声だったが、双子の姿をモニター越しに確認したのだろう。慌てて、玄関に向かって走る足音が聞こえた。ガチャリと、ドアが開く音と同時に母親が飛び出す。


「おかえり。心配したのよ。まったく、父親がいなくなって、あなたたちまでいなくなったらどうしようかと思って、心配で心配で。」


 母親は二人を一緒くたに抱きしめる。まさか、心配しているとは思っていなかった双子は困惑していた。しかし、せっかく心配してくれた母親を悲しませるわけにはいかない。


「ただいま。母さん。ごめんなさい。」

「ただいま。ごめん。」


 双子は謝り、母親の背中に手を回す。しばらく、三人は玄関前で抱き合っていた。





「それで、どこに行っていたのかしら。見当はつくけど、一応聞いておきましょう。」


「ええと……。」


「と、友達の家だよ。」


 とっさに嘘を吐き出すヒナタ。慌ててミツキも援護する。


「そうそう。優しい友達だから、泊めてくれたんだよ。」


「ふうん。」


 嘘だと見抜いているのだろうか。本心はわからないが、双子が真実を話さないことに気付くと、早々に話題を切り替える。


「そういうことでいいわ。それより、あなたたちがいない間に部屋の掃除をしておいたわよ。掃除したら、いらないものが山ほど出てきたから、捨てておいたわ。」


 そう言うと、家の中に入ってしまった。




「いらないものなんて、あったっけ。」

「結構きれいに片付いていたと思うけど。」


 首を傾げつつも、母親の後を追って、部屋の中に入る双子。自分の部屋に入って、母親の「いらないもの」という概念がどういうものか理解した。


 母親は「いらないものを捨てた」と言っていた。この場合の「いらない」という意味は、受験勉強に必要ないものということだったらしい。


「これはヒドイ。」

「マジかよ。」


 双子はそれぞれ、自分の部屋を見て絶句した。金曜日までの自分たちの部屋とは思えぬほど、ものが少なくなっていた。双子は読書が好きだった。特に漫画を読むのが好きで、ヒナタの部屋の本棚には漫画が結構な割合を占めていた。双子で一緒に共有していたものだ。


 ヒナタの部屋に置かれていた漫画が一冊もなくなっていた。本棚には学校の勉強に使う教科書やノート、参考書のみで、それ以外の書物などは本棚からすべてなくなっていた。


 それ以外にも。部活の道具やユニホーム、壁に貼られていたバンドのポスターもはがされていた。


 部屋の残されていたのは、制服、教科書などの勉強用具、机、いす、ベッドなどの必要最低限の生活用品のみとなっていた。ミツキの部屋も同じ状態となっていた。




 部屋の様子を見に来た母親が満面の笑みを浮かべる。


「いらないものが多かったでしょう。捨てたら一気にきれいになった。これからの受験勉強がはかどりそうねえ。」


 反論する気力もなくなった双子は、母親の言葉に反応できずにいた。そして、そのまま月曜日を迎え、いつもと同じように学校に行くのだった。

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