22.秀星の想い、叶う


 矢嶋社長の今年度の人事が言い渡される。


「篠田はそこで『一生メートル・ドテルをやれ』ってさ」

「……一生……?」

「君は、わかりやすすぎるんだよ。社長にバレてるって話だよ。『どうせそちらの大沼に帰ってきたら、篠田がお嬢様のこと云々と言い出すと思うから、お父様ご覚悟を、ですね』――って、笑っていたわっ」

「矢嶋社長には、葉子さんを連れて行った時点でそう思われることは覚悟していましたけれど、一生って……」


 葉子も気になっていた矢嶋社長の人事の結果が『一生』という通達の意味がわからなくて、まだ落ち着かない。


 なのに父がもう破れかぶれと言わんばかりに、蒼に負けない大声で叫んだ。


「俺も報告! 『フレンチ十和田』は、矢嶋シャンテグループの傘下に入りました。つまり、俺も、蒼君も、一生、矢嶋社長が雇い主。これからは、俺はオーナーのままだけど、君の直属上司で、同僚ってことだ。覚悟しておけ!」

「ぅぇえっ!? 社長からは、大沼に帰るころには、十和田シェフに返答しておくと聞いていたんですけど。ええ!!? どしてそんなことに」


 葉子も『えええーっ!!』だった!

 それって私も矢嶋シャンテの社員になるのかと、急な所属変更に、帰って来たばかりなのに目が回りそうだった。


「この一年。矢嶋社長と提携して、この人の配下でなら、もう一度『雇われシェフ』になってもいいなと思えたからだよ。しかも、俺が経営するより『予算』がつく」

「実は、俺もっ、神戸にいる時からそうすればいいのにと思っていたんですよ! 自営って大変じゃないですか! ただ、シェフの独立って、誰にも縛られたくないから独立するわけですから、十和田シェフもそうはならないだろうって思っていたんですよ。矢嶋社長なら、勝算あるところは予算をたくさんつけてくれるし……!」

「そういうことだ。つまり、今まで以上に自由に素材が使えるようになる。生産者にも今以上に還元できる。作り手なら、より腕をふるえる環境を選んで当然だろ」

「わー、それって! あの社長に相当気に入られているってことですよっ」

「そりゃそうだ。実力ってやつだ」

「さすが、十和田シェフ!!! うわ~、すげえ。俺、いま鳥肌立ってる!!」


 また父が『あははは!! ほんっと君は楽しい』と大笑い。


 父がまさかの自営を辞める決意をしていた。矢嶋社長の傘下にはいって、このお店ごと『矢嶋グループ』になってしまえば、蒼もおなじ社員でこの店を続けられる……ってこと?? 予想外の展開に、葉子はおろおろするしかできない。


「社長からの指示は、俺とメートル・ドテルの篠田で、この店を潰さないこと!」


 そして、最後に父がぽつりと呟いた。


「これからは、俺と妻、娘と婿、家族で乗り切るぞ。いいな、蒼」

「シェフ……、いえ、お父さん。もちろんです!」


 うそ、これで……もう……もしかして、蒼と離れなくていい?


 また涙が溢れてきて、せっかく声が戻ったのに、なにも言葉がでてこなくなってしまった。


「あ~、葉子ちゃんが、また泣いてる。どうしたの、どしたの~」

「すまんな。手がかかる娘だと思うけどよ……。やっぱ、蒼君のような大人の男で安心だわ」

「すんません。ちょっと歳いっちゃってますけど」

「ま、いいわ。ポルシェより娘を選んでくれたからな」

「ポルシェと葉子ちゃんを比べたことなんて、ないっすよっ。なんの話っすか。ほんとにもう~。やっぱお嬢さんに婿ができて怒ってるんすよねっ」

「怒ってねえよ。五月に、広島のご両親がこちらに来てくれるんだって?」

「はあ、北海道北海道って浮かれていましたけど、よろしくお願いいたします」

「特別に腕をふるうって伝えておいてくれ。フルコースだけども気楽に来てくれって。両家でたのしい食事会にしよう」


 小豆島を出た後、四国の海岸線を楽しんで、愛媛からしまなみ海道をドライブ、蒼の広島の実家へとご挨拶へ出向いた。

 結婚云々より、蒼が『愛しちゃった彼女、かわいいでしょ。あのハコちゃんよ。俺ね、この子のそばで、ずっと支えてあげたいんだ』なんて紹介だったので、もう多くを告げずとも、あちらのご両親も理解してくれていた。

 ご両親も、秀星のことをよくご存じだったので、葉子は驚く。それだけ、蒼が大好きな先輩だったということ……。むしろ、その秀星のために頑張って写真集まで辿り着いた女性として、受け入れられた感じでもあった。やっぱり、これも、秀星さんが運んでくれたことなのかなと葉子は思ってしまった。


 そのご両親が、北海道までご挨拶にきてくれることになったのだ。

 


「あ、あと。広島出身の婿殿に言っておく。赤ヘル軍団の話はすんなよ」

「はあ? 俺、トラのほうなんっすけど」

「じゃ、いいや。ハムの敵じゃねえ」

「ひっど! なんでや阪神関係ないやろって言いたいですわっ」

「どこにも334ないだろ」

「あ、いま3時34……じゃないっすね。じゃあ、この肉の塊が334グラム!!」

「あっははーー。おもしろっ! はあ、蒼君が帰ってくると急ににぎやかになるな~」


 やだ、もう。もしやこんな男の掛け合いを一生聞いていくことになるのかもと思えたら、涙が止まって葉子は笑い出していた。

 秀星と父だったら、こんな掛け合いにはならなかっただろう。


 でも秀星が運んでくれた遺してくれたことが、いっぱい。


 秀星さん。ハコ、しあわせになるよ。

 ありがとう。

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