15.私の愛。エゴイスト
ギターを担いでレストランの給仕長室へ突撃する。
こら、ダラシーノ!!!!
叫んで飛び込んだが声など出るわけもなく、なのに葉子が勢いよくドアを開けて飛び込んできたので、デスクで営業データを確認していた蒼が『うわぁあっ』とおののいたほどだった。
あれなんなの!! 見たからね!! なんで私にひとこともなく、ぜんぶ言っちゃったの!!!
口だけパクパクさせて音は出ず、でも葉子の手振りと勢いで蒼には言いたいことは通じている。
「だってさ。相談してもハコちゃん絶対ダメって言うだろ。また迷ったり悩んだりしてさ。相談されただけできっとストレスになると思ってさあ。こういうときって、俺、割とキッパリしちゃってる性格なのね。任されたからキッパリやってやろうと思ってたわけよ。ちなみに、お父さんにも相談して許可もらってんの。出版社に相談したのも、権利を持っているお父さんがしたから間違いないよね。ハコちゃんも文句言えないよね。そういうことだから。あ、言っておくよ、上司としてもさ。けっこう、悩んじゃうタイプでしょ。今後もあらゆる場面で思い切った判断を身につけたほうがいいと思いますね、給仕長としては!」
ぐうの音も出ず、葉子の勢いが削がれる。
一人の大人としても、社会人としても、そうして、いちいち立ち止まったり、気にしたりするから、声が出なくなった――。そうとも言える。
でも葉子はぷりぷり怒った様子を見せながら、蒼がいつもデスクに置いているハンディカメラを、窓辺の白樺木立と湖が見える位置にセットする。
蒼を押しのけ、秀星のノートパソコンを立ち上げ、動画配信の準備をする。
「え、え、なにしているんだ、よ……?」
ブラウザを立ち上げ、ある曲名を検索して『歌詞』を表示させる。
最後はスマートフォンでメッセージアプリを開き、蒼にメッセージを送信。
『唄って。おしおきです』
「え!? なんで!?」
『ちなみに。もう動画配信ライブで始まっています』
「はあ!? 俺の声、入っちゃってる!?」
秀星のパソコンに開いたチャンネルのコメント欄にも『え、なんか始まってる』と気がついた視聴者もちらほら。
葉子はギターを肩にかけたまま、歌詞を表示させた画面もこんこんと指先でつついて蒼に唄えと促した。
「あー、わかりましたぁ。俺が好きだと教えた曲ですねえ」
『思い切った判断をこれからしましょうね――と言ったから、やっています』
今度は蒼がぐうの音も出ずに唸っている。
すでに整えていた首元の蝶ネクタイ、それをきゅっと蒼が締め直す。カメラは外の雪の中に佇む白樺木立しか映っていないのにだった。
「皆様、ふたたび、こんにちは。ダラシーノです。えー、ハコちゃんが元気だと言うことを皆様にお伝えしたいらしいです。いま見える景色は、レストランのそばの風景で、室内からカメラを向けています。えー、ダラシーノ唄います。伴奏は、元気ですと伝えにきたハコちゃんです」
曲は斉藤和義『歩いて帰ろう』です。
蒼が諦めたように呟いたその曲は、『明日はダラシーノさんの好きな曲を唄う』と言ったときにリクエストしてくれたものだった。
しかもドライブ中にもこの曲がかかると、蒼は大声で歌い出してうるさいのだ。大好きすぎて歌詞だってほんとうは見なくても歌えるほど。
リズムを取って、葉子はイントロの伴奏を始める。
蒼もまんざらでもない様子で、きちんと息を吸って最初の一音を発声する。
葉子の軽快なギターの音と蒼の調子よい大声の歌が重なり合う。
けっきょく最後はノリノリでリズムをとって、蒼が気持ちよさそうに唄っているのを見て、やっぱり蒼さんだ、ダラシーノだと葉子は笑いながらギターを鳴らしていた。
*ダラシーノも、うまいじゃん!
*マジで声でかい! ダラシーノうるさい!!
*ハコちゃん! 唄えなくても音楽は好きなんだね。ギターで楽しそうなの伝わってくる!! ゆっくり過ごして、北星さんの写真集待っています!!
でも最後には、蒼と目が合って、一緒に微笑んでいた。
声は出ないけれど。いまは、これでいい。心のままに疲れているなら声も出なくていい。自然に出るまで待とう。そう思えた。
突発的ゲリラ配信を終えて、給仕長室を出ると、そこにぐちゃぐちゃに泣いている父がいたので、ふたりでびっくりする。
神楽君がスマートフォンを手にして『ライブ配信していたようなので、僕が見せちゃいましたー』と伝えてくる。
「葉子。おまえさえ良ければ、声が出なくてもなんとかなるようにしてやるから。ホールに出ろ」
そのほうが気が紛れていいかもしれない。
葉子も頷く。ひとまず、もう一度、函館の病院で診察をしてから、レストランのホールに復帰することにした。
もう安積先生の予約はこなかった。
葉子はもう一度、最終稿となる前に、写真集に寄せた文章の見直しを始めた。出版社の担当さんにお願いして、遺作について、全理解が寄せられなくとも、少しでも多くの人に、秀星の生き様が伝わるようにしたいとお願いした。
掲載する写真の色校のほうが気を遣う確認で、何度もやりとりした中、もう一度文章の原稿もあげる。
遺作のタイトルも葉子が勝手に決めた。
でも絶対に秀星さんも名付けたタイトルだと確信できる。
『エゴイスト』
相棒も友人も仕事も、弟子も、大事にしていたものを全て捨てて、彼が選んだのは写真だった。その後のことなど、『考えていたけれど、止められなかった自己表現』。秀星が最後に辿り着いた『正解』だ。
彼が葉子に常々話してくれていたことも文章にする。
遺作にあれこれ解説はつけず、よくある芸術として、人々に自由に感じてもらおうと思ったが、やめた。少しでも美しいものだと感じてほしくて、葉子は秀星が口にしていた『綺麗なものじゃない。エゴは欲にまみれたわがままだ』ということを知られたくなかったのかもしれない。
険しい吹雪が開けて、美しい夜明けがやってくる。どんな厳しさの中にも美しい夜明けがある――という感動を期待していたからだ。
違う。美しいものだからこそ、禍々しい感情を引き寄せるのだ。秀星はその美しい魔に飲み込まれていった自ら。美しさは美しいだけじゃない。全ての欲望も闇も吸い込んでそこにある。気高いのは、それでも美しさを見せつけるからだ。
エゴなんだから。彼のエゴをきっちりと示してこそ エゴだ。
誰の考えの余地も入れてやるもんか。
もうすぐ秀星の命日がやってくる。
雪解けで、春も間近だったのにホワイトアウトだった明け方に逝ってしまった日。
『なにをそんなに頑張っているんだ。ハコちゃん。これは僕のエゴだから、もうシャッターを押した時点で完結しているよ。ハコちゃんが頑張ることじゃないんだよ』
そんな声が浮かんできた。
じゃあね。秀星さん。私も答えるね。
ずっとずっと秀星さんを忘れたくないのが、私のエゴなの。
やらせてね。エゴだから、もう一度、はねのけていくよ。なにもかも、どんなことも!!
一度理解したはずの、身に染みて心の一部になったと思っていた『秀星さんのエゴ』。ちょっとのことで、彼が生き抜いたエゴを否定されて、葉子は声を失った。
まだまだ、だった。
骨の髄まで行き渡るほどのエゴを秀星は持っていたのだ。だから逝ってしまった。
葉子はそこまで行くことはないだろうけれど、それでも、これはやり通す。これが、私の『愛』だ。
「お水をいただけますか」
お年を召した女性のお客様に呼び止められ、葉子は右手を胸に当てすっと降ろす。手話の『かしこまりました』を示し一礼をする。
お客様が驚いた顔をされたそこに、蒼がやってくる。
「彼女は声がでないので、手話で対応させていただいております。対応で不足することがあれば、私かほかのスタッフを遠慮なくお呼びください」
「大丈夫ですよ。そちらの女性にお願いします」
「ありがとうございます」
対応できる手話を覚えるようにした。いつ声がもどるかわからないからだ。お客様が手話を知っているなんてことはほとんどない。だが、それできちんとオーダーが伝わっていることを示したいために覚えた。
それにこれはまたいつか。葉子のスキルになるかもしれない。
蒼に父に母までもが、手話を一生懸命に覚えようとしてくれている。
後輩の神楽君に江藤君も、厨房のスタッフもだった。
動画配信も続けている。先日のように、ハコがギターで伴奏をして、ダラシーノが大声で唄って大ひんしゅくをかう――という流れも、いまや視聴者の中では定番の流れで賑わいになっていた。
二月の雪深い季節もなんとか越えそうだとかんじたころ。
ある女性がレストランを訪ねてきた。食事をするためではなく、篠田とオーナーシェフである父とお話をしたいということで、だった。
その女性は安積先生のお母様だった。
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