第2話

   ◇ ◇ ◇


 私が所属するさくら坂高校クッキング部の活動日は週に一回、木曜日だ。

 毎回、持ち回りで部員達がレシピを決めて、それに従った材料を持ち寄って料理を楽しんでいる。


 夏休み前に残す活動日もあと二回となったこの日は、私がレシピを決める当番だった。

 いろいろと悩んだ結果選んだのは、夏らしくトマトのコンソメジュレ寄せ。コンソメスープで煮込んだミニトマトをスープごとゼリー状に固め、冷やしていただく。コンソメ味のなかにトマトの酸味がほんのり漂う、さっぱりとした一品だ。


「遅くなっちゃったな……」


 部活を終え、急ぎ足で教室へと向かう。


 柔らかい感触を出したくてゼラチンを少なめにしたら、思ったよりも固まるのに時間がかかってしまった。

 待っている間に夏休み中に取り組むレシピコンテストの相談などをしたのでさほど待ち時間もなかったけれど、いつもより三十分くらい遅い。夏だからまだ日は昇っているけれど、時計を見ると時刻は既に六時半を回っていた。


 置きっぱなしにしていた教科書を鞄に突っ込むと、教室を後にする。そのとき、「雫!」と呼ぶ声がして、私は後ろを振り返った。


「あれ? 侑くん?」


 肘を折り、手持ち鞄を肩越し後ろに下げて持った侑希がこちらに歩いてくるのが見えた。私は立ち止まり、その様子を見守る。


 男の子ってああいう鞄の持ち方をする人が多いけど、手首が痛くなったりしないのかな、なんて思ったり。


「どうしたの、こんな時間まで」

「部活だよ」

「あ、そうなんだ。一緒だね」


 侑希がバスケ部に入っているのは知っているけれど、木曜日が練習日なのは知らなかった。侑希は私のすぐ前まで歩いてくると、立ち止まった。


「バスケ部って週二回だっけ?」

「うん。火、木。あとは、隔週で土曜。終わった後、雫を待ってた」

「え?」

「だって、彼女だし」

「あ、そっか……」


 そう言われると、なんだか無性に恥ずかしくなった。

 

 照れを隠すように窓の外を見ると、空は水色に薄墨を混ぜたような色をしていた。きっと、最寄り駅に着くころには真っ暗になっているだろう。


「帰ろっか?」と侑くんがこちらを見る。

「うん」


 私も頷いて、鞄を持った。


 帰り道、駅までのさくら坂を上っている最中に予想通り太陽はすっかりと顔を隠してしまった。


「あのさ、前に話したことだけど……」


 不意に侑希が口を開く。


「毎週金曜日に駅前のすみれ台図書館に行くのはどうかな? 聞くことがあれば、聞いてくれていいし、なければ俺は俺の勉強をすればいいし」

「え、いいの?」


 すみれ台図書館とは、私達の住む地元の駅──すみれ台駅の近くにある図書館だ。駅から五分ほどの場所にあり、無料で夜八時まで使える自習室が併設されている。私も高校受験前は中学の友達と時々利用していた。


「いいよ。だって約束しただろ? それに、勉強を人に教えるのって凄く教えるほうの勉強になるし」

「教えるほうの?」

「うん。きちんとわかっていないと教えられないだろ? なんとなくわかっているだけのつもりだった部分がクリアになるっていうか」

「ふーん」


 横を歩く侑希をそっと窺い見る。

 週二回と土曜日もしっかりと部活に参加していて、その上トップレベルの成績を取るなんてすごいなぁって思う。きっと、家に帰ってから勉強しているのだろう。それなのに付き合いが悪いわけでもなくて、要領のよさが羨ましい。

 そんなことを考えていると、侑希が再び口を開いた。


「雫ってさ、クッキング部だっけ?」

「うん、そうだよ」

「今日は何作ったの?」

「今日はね、ミニトマトのコンソメジュレ寄せ」

「ミニトマトの……?」

「コンソメジュレ寄せ。今日のレシピ、私が用意したんだ」

「ふーん」


 どんな料理なのか想像がつかないようで、侑希の形の良い眉がわずか寄る。


「じゃあ、今は持ってないんだ?」

「ないよ。今日はその場で食べるやつだったから」


 そこまで言って、気付いた。


「侑くん、もしかしてお腹空いてた? じゃあ、今度持ち帰れる料理作ったときは侑くんにとっておくね」


 運動部なのだから、お腹も空くだろう。

 私がそう言うと、侑希は「え、うん」と言って嬉しそうにはにかんだ。そんなに嬉しそうにするほどお腹が空いているなんて、知らなかったよ。


 お喋りをしながら帰ると、自宅まではあっという間に到着してしまった。


「じゃあな」

「うん、またね」


 自宅の前で手を振って別れ、門を開けようとしたところで肝心なことを思い出した。


「侑くん!」


 同じく自宅の門を開けようとしていた侑希は私の呼びかけに気付くと上げかけていた手を下ろし、こちらを見た。


「なに?」

「あのね。好きな子と両想いになる方法なんだけど、もっとお互いのことを知るといいと思う!」

「え?」


 侑希はちょっと困惑したような顔をした。

 私はそんな侑希を見上げ、小首を傾げる。


「侑くん、好きな子がいるんでしょ?」

「あ、うん。そっか……お互いのこと?」


 侑希は私に聞き返す。


「うん。お互いのことを知って、一緒にいる時間が増えれば、好きになってもらえるチャンスも増えるかな、なーんて思ったり……」


 言葉尻に行くにつれてだんだん声が小さくなってしまうのは仕方がないと思う。だって、こっちは恋愛経験ゼロだ。初心者ですらない、未経験者なのだから。


 二人の間に沈黙が流れる。

 なんか、自分はとてつもなくおかしなアドバイスをしてしまったかもしれないと不安がこみ上げてきた。


「一緒にいる時間が増えれば……」


 侑希が小さく呟く。


「うん、わかった。俺、頑張ってみるよ」


 片手を挙げると、「ありがとな」と言って侑希は笑った。

 私はほっとして胸を撫で下ろす。


「うん。頑張れ!」


 幼馴染の私から見ても、侑希はとってもいい男の子だ。見た目が格好いいのはもちろん、運動もできるし、努力家だし、根が優しいのだ。


(きっと、うまくいくよ。)


 心の中で、侑希に精一杯のエールを送った。

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