0-02 不死身の刺客

 これでもヴィルは元傭兵で、それなりに腕利きだったと自負している。

 戦場でさんざん命のやりとりを経験してきた彼にとっては、女の素性やヴィルに向けられる無機質な殺意などよりも、こうして家屋を破壊されることのほうがはるかに重大な問題なのだ。


 女は答えず、さらに剣を横薙ぎに振るう。

 これ以上家を痛めつけられるわけにはいかなかったヴィルは、その切っ先の真下を転がるようにして潜り抜け、扉の外へと逃げた。


 口調からして強盗というわけではないらしい女は、ゆっくりと振り向いてヴィルの行方を視線で追う。

 そのとき初めて帽子の下からその冷たい眼差しを確認できた。

 肩越しで表情ははっきりと見えないが、人形のように無機質で、感情の一切を持たぬ瞳をしている。


(……兵士の眼だ。こりゃ久々に嫌なもん見たな)


 戦うための理由が自分自身にあるわけではないが、誰かの指示で人の命を奪うときに、人間はこのような眼をする。

 戦場で何度も同じものを見た。


 しかし、これほど空ろで寂しい瞳は、ましてやそれが女であったのはこれが初めてかもしれない。


 しかしヴィルとてまだ死ぬ気は毛頭ないので、たとえこの女が所属する宗教組織かなにかの命令で仕方なく襲ってきたのだとしても、そこにかけてやる慈悲はなかった。

 つまり、殺される前にこちらが殺すしかない。


 幸いにして女の異常さは剣の大きさぐらいで、その動き自体に圧倒される要素はなかった。

 それどころか足捌きに既視感を覚えたヴィルは、それを何度か避けたり受けたりしながら観察し、そして確信に至った。


 どこの戦場でかは忘れたが、以前にもこれと同じ動きをする相手とやりあった経験がある。

 この手と足がそれを覚えている。

 ひとつだけ疑問を述べるなら、こんな化けものに一度でも会ったら到底忘れられそうにはないのだが。


 なにせこれだけ大きな得物だ。

 男でも振り上げるのに苦労しそうな代物だというのに、それを細腕一本で振り回している女の表情には、疲れや苦労の気配がない。


 あまり長く付き合うのは得策ではないと判断し、ここでヴィルは仕掛けることにした。


 振り下ろされた刃を避けるついでに、それを蹴り飛ばす。

 こんな方法ふつうなら危なくて簡単にはできないが、この場合は刃幅が広すぎて逆にやりやすい。


 女が衝撃でよろけたところを見逃さず、ヴィルはすばやくその懐に潜り込むと、突き上げるようにして切っ先を彼女の胸へ立てる。

 刃は水平に寝かせ、肋骨の間を刺し貫いた。

 顔に降りかかってきた鮮血を見て、化けものでも血は赤いんだなと、なんともいえない気持ちになる。


 戦場で人を殺すのには慣れているが、殺す瞬間に慣れるのはまた別の話だ。


 刃を引きぬくと、女が地面に転がった。


 アトレーゼ、とか言ったか。

 声などからするとまだ若そうだったが、もはや物言わぬ肉塊と化してしまったその姿に、下手人であるはずのヴィルは憐れみを覚えた。


 そのなんとか教団とやらをヴィルはよく知らない。

 たしか麓の街にも教会があり、そこは人びとの心の救いになっているという話だが、それがなぜ元傭兵の自分に暗殺者を差し向けてきたのだろう。

 しかもそれが女、若い娘というのがわからない。


「墓くらいは作ってやるよ。……その前に顔を拝んでみるとするか」


 そう呟き、アトレーゼの帽子に手をかける。

 そのときだった。


 びくりとアトレーゼの身体が震えたので、ヴィルはまさかと思いつつ飛びずさった。


 まだ胸からは血が溢れ出ている。

 長いスカートを泥のような色に染めながら、どう見ても致命傷を負って即死したはずのアトレーゼが、ゆっくりと起き上がった。

 脇に転がっていた大剣を掴み、それを杖代わりに震える脚でふたたび立つ。


 化けものだ、と本日何度目かの驚愕に晒されながら、ヴィルはもう一度剣を構えた。

 心臓を斬り潰したはずなのに。


「……あなたさまの実力を……見誤っておりました……、申し訳ありません、一旦……退かせていただきます……」


 ぼたぼたと地面の草に血が降りかかり、あたり一面が深紅の沼と化している。

 たとえ奇跡的に心臓を逸れていたとしてもこの出血では、立ち上がるどころか意識すら保てないはずの重傷だろう。


 女は果たして亡霊なのか、あるいは不死身の怪物なのか。

 後者ならばもう一度斬ったところで無駄なのか。


 ヴィルが呆然と眺めている中、アトレーゼがくるりと背を向けた。


 不思議なことに、その時点でもうあの大剣の姿はどこにもなかった。

 あれだけの大きさがあれば背中越しにでも見えるはずなのに。


「三日後……必ずもう一度、お伺いします。どうぞよしなに……」


 律儀に頭まで下げつつそう言い残し、アトレーゼは去っていった。

 消えたり飛んでいったりするかと思ったが、意外というか、ふつうに歩いて帰っていった。

 血まみれのままで。


 ヴィルはまだぽかんとして彼女が見えなくなるまで見送ってしまったが、あとからはっと思い直して叫んだ。


「別にもう来なくていいからな!?」


 しかし、それはもうアトレーゼには聞こえていなかっただろう。



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