第96話 魔王の夜這い

「ん、んうぅ……?」


 重い。まるで誰かが自分の上に乗っかっているような感触を覚え、少女イルゼは目を覚ました。


(……まよなか。変な時間に起きちゃった)


 街に灯る明かりも点々としたもので、昼間の騒がしさが嘘のような静けさを纏い、ウルクスの街は静まりかえっていた。


「んー……」


 寝ぼけまなこをこすりながら、天井をぼっーと見ているとしだいに目が暗闇に順応していく。


「あ」


 最初に見えたのは美しい少女の顔だった。それから華奢な肩、たわわな胸、くびれた腰に細長い手足が見えてくる。


――リリスだ。


 彼女は500年前、暴虐の魔王リクアデュリスと呼ばれ、人々から恐れられていた存在であったが、現在はなんの力も持たないただの美少女である。


「リリス、私の上で寝ないで」


 彼女はイルゼの上に跨って、こっくりこっくりと船を漕いでいた。


 寝惚けているのだろう。むにゃむにゃと寝言も言っている。


「もう、いっぱい……もういっぱいじゃぁ……」


「むぅ」


 片手を伸ばして、ペシっと軽く叩いてみるも反応は芳しくない。


「いるへぇ……むにゃ……」


 その頬はまだ赤い。


「酔ってる……」


 酔いが回っているせいで、半分夢のような心地でいるのだろう。リリスが「でへへっ」と口元を緩め、その拍子によだれが垂れる。


(そういえばリリスは、ランドラでもよく寝てた。もしかしてリリスって、おねむさんなのかな?)


 思い返せば、旅の初めから彼女は眠たそうにしていた。


 最初は単に疲れていたんだろうと思っていたイルゼだったが、ここにきて今一度考えを改める。


(普通の女の子になったから体力も落ちてるし、あんなにはしゃいだら疲れるのも当然。でも、それを抜きにしてもリリスは疲れるのが早い)


 もしかしたら魔族が人間の身になった事で、彼女の身体になんらかの異変、不都合が起きているのではないかと、今になって不安を感じ始めたイルゼであったが、彼女は物事を深く考えるのはあまり得意ではなかった。


(むずかしいこと、今は考えたくない)


 リリスの服を脱がせ、そのままベッドに寝かしつけた後、自分も寝巻きに着替えるのが面倒だったので、肌着のまま眠っていたイルゼはぶるっと身体を震わす。


(もう秋。肌寒くなってきた)


 夜は冷える。


 このままではリリスが風邪を引いてしまうと、眠気を我慢して上半身を起こす。


「リリス起きて。そこにいたら風邪ひいちゃう。自分のベッドに戻って」


「んぅ……もう食えないぞぅ〜」


「リリス、寝惚けてないで。風邪引くとお互い大変だから、起きて」


 イルゼも人間だ。寒さを感じない筈がないのだ。


 寒い時は寒いし、暑い時は暑いと感じている。ただ、人より少しだけその表現が苦手なだけで、リリスが思っているような感覚をしているわけではない。


 野営の時、イルゼは本当は寒いのにリリスの前では意地を張って我慢し、平気なふりをしていた。だがそれが祟って、温泉に入った後、最終的には湯冷めして風邪を引いてしまった。


(もう、リリスを心配させたくない)


 とりあえず起きて、自分のベッドに戻ってもらおうと肩を揺するも、大方意識はあるのだが、お酒が入っているせいでまともな会話ができそうになかった。


「風邪、ひく。お願いだからお布団の中に入って」


「んー……では、イルゼのベッドに潜ればいいかの?」


「え」


 止める間もなく、するりとリリスがベッドに潜り込む。


「お主のベッド、あったかいのじゃ」


「……自分のベッドがあるのに」


「そんなちっちゃなこと、気にするでない」


 魔王が満足そうに「むふー」と微笑む。


「上が寒かろうて。お主も布団に入るのじゃ」


「ん」


 それを受けてイルゼも大人しくベッドに潜る。気分が高揚しているからだろうか、今日のリリスはずいぶんと素直だった。


 足を絡めてきたかと思えば、両手を背中に回し抱きついてきたのだ。


「り、リリス!?」


「なんじゃイルゼー?」


 すべすべつるつるした太ももに足を挟まれ、寝そべったままのリリスの顔がすぐ隣にあった。


(ち、近い……)


 背中に回された手がぐいっとイルゼを抱き寄せ、そのあまりの距離の近さに戸惑いつつ、リリスにどうしちゃったの? と問いかける。


「イルゼとくっつきたい気分じゃったのじゃ。いやか?」


「ん。別に嫌じゃない」


「そうかそうか。ではこれはどうかの?」


「んっ」


 再び覆い被さったリリスが、イルゼの肩甲骨から脇腹を撫でるように触る。


 ビクリとイルゼの腰が浮いた。


「リリス、酔ってる。お水飲んできて」


「分かっておる。だが酔ってなければ、こういう事も出来ないからのう」


「――あっ!!」


 首筋に強く吸い付けるように口付けされ、少し大きな声が出た。その後もリリスはイルゼの首筋にチロチロと舌を這わせた後、彼女の耳たぶを甘噛みした。


 右手で肩を押さえ、左手は彼女の薄い胸の上に置く。そして少しだけ力を込めた。


 うんっ、うふっ、と堪えきらない喘ぎが漏れる。


「はぁっ……イルゼ、好きじゃぞ」


「リリス。私も好き、だよ」


「うむ」


 暗い室内で二人の少女がベッドの上で愛を囁き合う。


――先に堕ちたのはリリスだった。


「……リリス?」


 リリスを受け入れるように、目を瞑っていたイルゼが異変に気付く。


 彼女が自分の下腹に頭を置いて、すやすやと寝息を立てていた。


「…………ちょっと残念」


 眠った彼女をベッドに運ぼうか迷ったイルゼだったが、一緒に寝ることはよくあるので、まあいいかと彼女を自分の横に移動させ、枕を半分開け渡した。


「おやすみリリス」


 目を閉じたものの、すぐには眠れなかった。


 自分は緊張していたというのに、リリスはちょっとしただけでぐっすり眠ってしまったのが、なにか悔しかった。


「……ん、むにゃ。イルゼぇ〜、ここかのー?」


 それからしばらくすると、リリスが寝言を言い始めた。


 よだれをだらしなく垂らしながら、夢の中で続きをしているリリスに、むうっと頬を膨らましつつ、少し夢の中の自分を少し羨ましく思うイルゼであった。


(今度は素面の状態で、襲ってほしい……な……)


 リリスを寝顔を見ていたイルゼは、彼女が自分の手の届く場所にいる事に安堵したのか、その瞼が段々と重くなり、やがて深い眠りへといざなわれた。


「うーむ……イルゼ、そこは反則じゃー……」


 元魔王のくせに奥手なリリスが、イルゼの願いを叶えられるのはまだ随分と先の話であった。

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