第8話ー②

 そしてバイトの帰り道。

 繁華街で見つけてしまった。柊木さんだ!


 コンパ……? の帰りかな?


 明らかに男性比率の高いイケイケな集団が、パリピってウェイウェイしている感じだった。


 大人の世界だな。なんて思い、バイト行かずにコンパか……と。普段のイメージからは程遠い柊木さんを見て、心が少し霞んだ。


 目が合うとなぜか手招きされた。

 なんだろうと思い近付くと……!


「遅いじゃ~ん! 何してたの~?」


 へ……? 

 うわ……めっちゃ酒くさい……。しかも喋り方がなんだかチャラい! 本当に柊木さんなの……?


 目の前の光景に何ひとつ理解が追いつかずにいると──!


「ってことで、彼氏が迎えに来たので二次会はパース! パスパスパース!」

 

 可愛く敬礼をする姿は普段の余裕に満ち溢れた綺麗なお姉さんな看板娘だった。


 でもその目は酒に溺れたからなのか、うつろだ。


 え。でも、どういうこと? なんて言ったの今?


 突然のことに頭の中がパニックを起こす。


 「彼氏? ないない! 酔いすぎっしょぉ~! そんな芋学生と!」

 「柊木ちゃん飲み過ぎだよ~」

 「でもまだ飲みたりNA☆うぃーね!」


 超カックィィパリピなお兄さんたち。

 オラオラしちゃってる系から顔立ちの整った美形タイプまで、守備範囲は幅広い。


 野ねずみが迷い込むにはあまりにも場違いでダークサイドな香りがした。


 なんかやばそうな雰囲気だな。

 ふだんの柊木さんならこの手の誘いにはのらりくらりするのに、今はそのキレが見受けられない。


 目がうつろだし!


 このまま押されてついていってしまうような、危うさが見える。


 失恋……? お酒……? 自暴自棄……?


 店長の予想はドンピシャリに当たっていた。


 嫌な予感がした。

 ここで柊木さんを放ってしまったら、もう二度とバイト先には現れないような。そうして、涼風さんが看板娘になってしまうような。


 俺の日常が崩壊するような、破滅的な未来が見えた。


 夏恋がバイトを始めるまでの、残り少ない掛け替えないの時間。


 一度は諦めた時間だった。

 それでも今目の前に降ってきたチャンス。


 俺は、お前との時間を諦めたくない──!


「お姉ちゃん、お母さんが心配してるから帰ろうよ?」


 彼氏と言うのは無理がある。

 しかし弟ならどうだろうか。


 そんな淡い期待に賭けてみた。


「もぉ~。なぁーにいってんのぉ~?」


 やばい。ぜんぜん乗ってこない。

 普段の察しのいい柊木さんなら、乗ってくると思ったんだけど……。


 「柊木ちゃんってブラコンだったのか?」

 「でも顔似てなさすぎじゃね」

 「だけど本当だとしたら家族はやべーよ」


 作戦会議なのだろうか。パリピなお兄さんたちの顔が険しさに包まれていく。


 でもだからって。引けない!


 やるしか、ないんだ!


「うちのお姉ちゃんがご迷惑かけたみたいで……すみません」


 深々とお辞儀をしてみた。


 「い、いや、そんなことないよ」

 「お、おう。弟君? 迎えに来てくれてありがとうな」

 「でもさ、柊木ちゃんって実家ここらへんじゃなくね?」


 ざわざわとパリピなお兄さんたちの視線が向かってくる。


「ぇっと、従姉弟いとこなんです!」


 もっとマシな嘘はなかったのかと、言ってからすぐに後悔した。


 しかし──!


「そーなの! お世話になってるおばさん家の次男ボー!」


 遅ればせながら乗ってきた!

 さすが柊木さん!!


 「なるほど!」

 「ドンピシャ!」

 「どうりで似てないわけだ! 遺伝子レベルで違うもんな!」


「ってことで! 彼氏が迎えに来たので帰りまーす!」


 ちょっ。次男坊設定はどうしたの?!


 「まぁこればかりはしょうがないべ」

 「次があるっしょ! ねっ柊木ちゃん? 次、いいよね?」


「う~ん。彼氏の許可次第かなぁ~?」


 ねえちょっと! 酔い過ぎだよ? いつもの柊木さん帰ってきて?!


 「弟君? いや、彼氏君って言ったほうがいいのか? なんだこれ。よくわかんねぇな。とりま、姉ちゃんのこと頼んだ!」

 「ちっ。まじかよ。今日のためにどんだけ用意したと思ってんだよ」

 「まぁまぁ。身内はさすがにやべーって。次があるっしょ」



 若干、不貞腐れながらもちょっと意味深な会話をこぼしながらも、パリピなお兄さんたちは去っていった。


 意外と上手くいくもんだな……。

 気付けば俺の足は震えていて、そのまま地面に座り込んでしまった。


 こ、怖かった!!

 遅ればせながらの感情が襲い掛かってくる。


 すると柊木さんが!


「夢崎くんえらいっ! いいこいいこしてあげるぅ~!」


 あぁ。なんだかとっても安心する。……でもやっぱりお酒くさい。


 足の震えが治まったところで立ち上がる。


「家まで送って行きますよ!」


 柊木さんはバイト先まで徒歩で来ているからそんなに遠くはないはずだ。


「だぁいじょぶだよー! 一人で帰れまーす!」


 可愛く敬礼をする姿は大丈夫そうだけど、やはり目がうつろだ。


 どうやら真っ直ぐ歩けないみたいで、俺にもたれ掛かってくる。


 ましゅまろが否応なしに襲撃してくる──!


 しかしひとたび口を開けば……。


「いやぁ~コンパなんて行くもんじゃないねぇ。あやうくお持ち帰りされちゃうところでしたっ! 助かったぁ! ありがとゅー!」


 とてつもなくお酒くさい……。

 ましゅまろと相殺されてプラマイゼロ……。


 しかも綺麗なお姉さんのフェロモン的な何かとお酒の匂いが反発し合って、脳がぐるぐるまわる。


 くさいいにおい。

 いいにおくさい。


 いい匂いの後にお酒のくさい匂いが。

 生と死を繰り返すような無限コンボ。


 脳内をぐるぐるまわる、なんだかよくわからない感情……。


「断ってもグイグイ来るしさぁ。頭の中はお酒でぐるぐるしちゃってるし。あぶないねー。本当、なにやってるんだろ……わたし……ぐるぐるぅ」


 柊木さんもぐるぐるしちゃってるのか。ナカーマ……。


 どうにも歩くのが辛そうだから「おぶりましょうか?」と言ってみたら、「だいじょーぶ! ぜんぜん酔ってないんだからぁ!」とおでこをコツンとされた。


 通りがけの自販機で水を買って少し休憩。

 ホールを翔ける看板娘で天使様な姿はなく、ほとんど別人だった。


 立っていることすらままならず、柊木さんは地べたに腰を下ろしてしまった。


 あの、天使様な柊木さんがコンクリートに座るなんて……。その衝撃が、今、柊木さんの心境を現しているようで事の深刻さすらも悟る。


 うつろな目で夜空を眺めると、おもむろに話し始めた。


「彼ね、社会人だし時間もなかなか合わなくてさぁ。それでも会いに行ってたの。新幹線で往復四万円! さすがに続かないから夜行バスが多かったけど。高校卒業して二年。頑張ったのは最初の一年だけ。残りの一年は日々に擦れていったのかなぁ。彼がこっちに来てくれることも無くなっちゃったし。で、昨晩ね。彼から。って、なんで君にこんなこと話してるのかな? お酒ってやばぁいね!」


「い、いえ。話くらいならいくらでも聞きますよ。俺にできることなんて、ほとんどないですけど……」


 そ、そうだったんだ……。かける言葉すらも思い浮かばない。ただ、話を聞くくらいしか。


「ありがとう……。さっきもね、迎えに来てって何度もメッセージ送ったんだよ。既読はつくのに返事くれなくて」


 それは少し、妙な話だった。新幹線で四万円の距離って言っていたような……。


「遠くに居るから来れないので……仕方ないんじゃないですかね」


「違うの!! 本当に来れるなんて思ってない! そうじゃないの!! そうじゃなくて……」


 ちょっ、え?!

 泣くの? 泣くの?


「知ってるんだから。他に女ができたこと」


 待ってよ。こ、怖い……。


「嘘つき。嫌い。大嫌い。嘘つき。嘘つき。嘘つき。……嘘つき」


 ど、どどど、どうしよ……。

 あの柊木さんが、天使様の柊木さんが壊れちゃった?!


 あたふたとする俺をよそに、天使様はおもむろにスマホを取り出すと、ぽちぽちしだした。


 覗くつもりはなかったけど、見えてしまった。


 一方的にすごいメッセージ送ってる。男たちと写真を撮ったのかコンパの風景も送ってる。


 『楽しそうにやってて安心したよ。まあお前も幸せになれよ』


 この男もこれで案外、酷い……のか?


『やだ。会いたい。まぁーくんに会いたい。会いたいよ』


 ま、まぁーくんって言うんだ……。

 でも既読がついているのはそこまでだった。……これってきっと、もう……。


 二人の間に何があったのかわからない。こんな切り取ったような一部始終だけではわからない。


 けど、二人の関係がもう既に破綻しているということだけは、わかる。


 そうして、『さよなら』と送った。


 そのメッセージが届かないことは柊木さんもわかっているはずだ。


 さらに、ブロックして削除──。


 とっくに終わっていたはずなのに、今ようやく本当の終わりを告げた……?


「これで終わり。おーしまい。おし……まい」


 …………。あれ。なにこれ?

 なんで俺、ここにいるの?


 途端に恐怖心が襲ってくる。


「いっそ、ぜんぶ、おしまいにしようかな」


 待て待て待て待て! なんか今、とてつもない場面に遭遇してしまってる気がする。


 なんか今日、多くない? こういうの!


 ていうかちょっと怖くない?!


 厄日なのかな……。お祓い……お祓い行かないと……。


「ああああああ」


 ちょ、ちょっと?! な、なんで俺の胸で泣くの?!


 お酒か? お酒のせいなのか? ……明日になれば忘れてるってやつだろうな?!


 ま、まぁこういうのには慣れっこだけど。

 葉月に告白して散っていった戦士たちの後始末。


 だから俺は背中をポンポンとしてあげる。


 でも、これはたぶん失敗だった。

 通常なら肩ポンから入る場面。俺は柊木さんの肩をポンッとしていない。


 そして何より、柊木さんと彼氏の間には数年の歴史がある。


 この中途半端な俺の背中ポンポンが事態を間違った方向へと加速させる──。


 ◇ ◇


 泣いて疲れたのか、その後は素直におぶらせてくれたので、どうにか柊木さんが一人で住むアパートまで辿り着いた。


 家の中に入り、ベッドに運ぼうと思ったら──。


「トイレ」


 そしてトイレから出てくると、もたれるようにして壁に叩きつけられてしまった──。


「ひぃ!」


 一瞬でも気を抜けば、容易に間違いが起こってしまう神的状況──!


 間違いの先にあるのは、柊木さんの後悔。しいてはバイトを辞めることへの直結──。


 もう、辞めているつもりかもしれないけど、今ならまだ戻ってこれる……はずなんだ。


 それに……。

 俺は早く家に帰りたい。……夏恋が待ってるから──。


 ここからの俺は早かった。

 バサッとお姫様を抱っこをしてベッドへと運ぶ。


 そして!

 真白色さん直伝! 額に手を当て目元ピタッ。からの夏恋に唯一褒められた魔法の言葉。──猫シリーズ!


「可愛い子猫ちゃんだ。今日はもう、ゆっくりおやすみ」


 そして、極めつけのおふとゅんトントン!


「……おやすみしゅる……猫しゃん、ねんねしゅる…………」


 こんなにろれつが回らなくなるまで飲んで。

 恋ってなんだろうか。片思いしかしたことのない俺には、ちょっとよくわからない──。


 そうして五分も経たないうちに柊木さんはスヤァへと旅立った。その寝顔は天使様だった──。


「……ふぅ」


 ほっとひと息。落ち着いたところで辺りを見渡すと……。

 ましゅまろが包まれし、生地の類が干されている。

 他にも脱ぎ捨てられた服やいろいろ。部屋中に香る、看板娘ならぬ天使様の甘い匂い──。


 一介の高校生には目と鼻の毒だ。さっさとドロンするに限る。


 テーブルの上に書き置きをして、ドアポストから鍵を投函。俺は柊木さんの家を後にした。


 バイト戻って来てくださいということと、鍵はドアポストに入れてあります、と。


 このとき、書き置きしたのが失敗だったことを後になって知ることになる──。


 時刻は既に十時を大幅にまわっており、大急ぎで家に帰った。


 ◇ ◇


 玄関を開けると待っていましたと言わんばかりに夏恋が突っ込んで来た──!


 タタタタタタッ!


「おっにぃちゃぁーん!」


 そのまま俺目掛けてダーイブ!


「ちょっ、靴脱いでる途中だから!」


「遅くなるときは連絡してって言ったよね? もう十一時だよ?」


「ごめん。これでも急いで帰ってきて……」


「知ってる! 汗で火照ってるし! 一秒でも早く帰って来ようとした、その姿勢だけは褒めてあげましょう!」

「お、おう。でもなんでそんなに偉そうなんだよ」



「え、だって彼女だから。当たり前じゃない?」

「……それも、そうだな……!」


 よ、予行練習──!


「それで、どうするの?」

「ど、どうするって?」


 的を得ない俺の表情を見てニヤリとした。


「ごはんにする? お風呂にする? そ・れ・と・も~?」


 ……お、おう。

 今日はいろんなことがあったからかな。堪えるのがキツイや。


 そんなの、俺の中では決まってるから。

 それでも、この気持ちを飲み込んで、兄として至極真っ当な返事をする。


「ご飯に決まってるだろ! バカヤロー!」

「はいだめー! ぜんぜんだめー! 予行練習の意味が問われるね~本当に!」


「うるせー!」


 今はまだ、大丈夫だけど。こんな日が長く続けば、きっと俺は──。



 夏恋、そこんとこ……わかってるのか?



 わかっててやってくれているのだとしたら。

 そんな、ありもしない望みを抱いてしまう俺は、やっぱりお兄ちゃん失格だった──。

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